chap.2 序章Ⅱ
「あー」という、隆成の相槌にも似た呟きが、張り詰めた空気をすぐに吹き飛ばす。
『聖痕』については、それで終わりだった。今更それについて話すことなどありはしない。
2026年に突如として現れ、程なくして世界中で確認された奇病。
正式な日本語名は「原因不明皮膚疾患」だが、その名で呼ばれることはまずない。『聖痕』という呼び方が広く浸透している。
体のどこかにほくろのような斑点が浮かび上がり、発症して3日から1週間程度で意識を失う。その後は二度と目覚めることなく、正確に72時間後に死亡する。
この病気が発見された最初期の混乱は、相当なものだったと記録されている。
何の前触れもなく倒れ、そのまま死亡する人々。新種のウイルスか、バイオテロか。様々な憶測、陰謀論、デマが飛び交い、世界中が不信に陥ってしまったという。
それでも医療機関は解明に尽力したが、数年後に得られた調査結果は決して希望のあるものではなかった。
病因物質は不明。罹患者は斑点以外のあらゆる面において異常が検出されず、死の直前ですら肉体的には『正常』である。地球上のあらゆる生命体の中で、唯一ヒトだけが発症を確認されている。地域や年齢に傾向は見られず、それは胎児であっても例外ではない。
『人間という種の終着点というほかない』。調査文書の最後は、諦めの言葉で締めくくられていた。
だが、その諦めはある意味で人類を救ったともいえる。過度なストレスによって疲弊しきっていた人々は、この『手の打ちようがない』という結論に、どこかほっと胸を撫で下ろした。
事実、どうしようもないのだ。隔離しようがどこに逃げようが関係ない。子供も大人も、政治家も犯罪者も関係なく、等しく『死』は訪れた。
ほくろ状の紋様、『聖痕』の出現から少なくとも3日の猶予があることも救いだった。病気そのものよりも、意識喪失による二次被害の方が深刻だったためだ。人々は毎日決まった時間になると、全身をくまなく確認し、そこに『聖痕』がないことに安堵するようになった。
年間発症確率2%程度という、決して高くはない確率で、『聖痕』は緩やかに人類を死へと導いた。そして2037年現在、地球の総人口は60億程度にまで減少していた。
「良いセンセだったのにねぇ……」
前髪をくるくると弄りながら、日葵は溜息混じりに呟く。
『聖痕』を発症した時点で、その人間は死んだも同然だ。致死率100%で治療法もないのだから。皆が黒木に向ける感情も、生きている人間に対するそれではない。
「……でどうすんの、次の曲」
いたたまれなかったのか、日葵は無理に話題を変えた。
「鎮魂歌とかどう?」
「プッ……鎮魂って。ダメっしょ詩、女の子がそんなこと言っちゃあ……」
「鎮魂?」
不思議そうに首を傾げる詩。
「ブフッ!!」
ツボにハマったのか、隆成は勢いよく噴き出した。……が、誰もクスリとすら笑っていない。
バツが悪そうに咳払いしてから、スマホの画面を皆の方へ向ける。
「どう? これ」
「どうって何が」
「だから次の曲! これ、えるえるの新曲なんだけど凄く良くって……」
隆成が言い終わるより早く、大翔がわざとらしく欠伸をしてみせた。ムッとした隆成がそれに食って掛かる。
「なんだよ! えるえるをバカにしてんのか!?」
「えるえるじゃなくて、お前に呆れてるんだよ」
「んだとぉ!?」
「あーはいはい、隆成やめな」
喧嘩になりそうな空気をいち早く察したのか、日葵が二人の間に割って入った。こういう場面での日葵は、非常に上手く立ち回る。どちらの恨みを買うこともなく、かといって八方美人的にもならない。自然と頼りにされるのも納得がいく。
「いやアタシもさ、えるえるの歌声はいいなーって思ってんのよ」
「でしょ!? そうっしょ! えるえるはホント声が良いんだよなー! 心にしみるっていうか、傷ついた心を癒してくれるっていうか? 欠けた部分にスッと嵌まるみたいな……」
「単に見た目が好みなだけだろ?」
大翔が横から口を挟んだ。
「ちょっと大翔ーやめときー? ……でもえるえるってさあ、英語の曲ばっかじゃん? ボーカルアタシ自信ないよー」
「いや、えるえるは英語の曲じゃないんだって! 中国語もスペイン語も、10か国語で自分の曲をセルフカバーしてて……じゃなくて、今度はなんと日本語で歌ってるんだ!」
そう言うと隆成は(誰も求めていないのだが)、スマホの音量を上げる。隆成イチオシのyoutuberの歌声が部室に響き渡った。
「分かった、分かった」
日葵が勝手にスマホを触り、音量をミュートに変更する。「何するんだ」と憤る隆成を宥めて、
「その新曲は家帰ってじっ……くり聞かせてもらうから。決めるのはそれからにしよ。ね?」




