chap.1 序章Ⅰ
「……ただいま!」
がちゃりと音を立てて扉が開き、快活な声と共に父親が帰宅する。
「お父さん、お帰り!」
「ハッハッハ。燈司、いい子にしてたかあ?」
満面の笑みで我が子を抱き上げる。
──これは遠い記憶だ。忘れもしない、六歳の誕生日だった。
プレゼントが待ち遠しくて、玄関前でずっと待っていたことも。
台所でご馳走を準備している母親も、
いつもの質素なインテリアからは考えられないほど、飾り立てられたテーブルも、全部覚えている。
「……あれ?」
「うん? どうした?」
「お父さん、これなーに?」
指差した父親の首筋には、ほくろのような小さな黒点が、等間隔に並んで記号のような模様を描き出していた。
「変だな……こんなところにほくろなんかあったか?」
あの時に見た『聖痕』の形も。全て、覚えている。
──2026年。
その年の終わりには、突如全世界を覆った奇病による死者が1億人に達したと報道された。
《終焉のプロメテウス》
「……じ」
「燈司! ねえ聞いてるの!?」
不意の大声に、彼──逢坂燈司はうたた寝から引き戻された。
昔の夢を見ていた気がするが、今はそれを思い出している場合ではない。
寝ぼけ眼を擦りながら、燈司はあくび混じりの返事をする。
「聞いてるよ。で、なんだっけ?」
「全ッ然聞いてない……」
燈司の体面に座る女子生徒は、明らかに苛ついた声色で吐き捨てた。
彼女の名は、芹沢日葵。面倒見がよく責任感も強い、この冬川高校軽音部の中心的存在である。
じっと睨みつけてくる日葵の視線に堪えかね、燈司は隣に小声で助けを求めた。
(……これ、今何の話?)
(次演奏する曲探し)
「はい大翔、マイナス五点!」
日葵から言い渡された突然のマイナス評価に、大翔と呼ばれた男子生徒は「俺かよ」と言わんばかりの顔をした。
免れた、と燈司は胸を撫で下ろす。
「あっ忘れてた、燈司はマイナス十点!」
免れてはなかった。
「大体、その謎の減点はなんだよ……」
「いつものだろ。日葵が今ハマってるドラマの決め台詞。『企業戦士田中くん』、毎週月曜日22時から放送中で現在六話まで放送済み」
燈司のボヤキに、大翔が大真面目な顔で答える。
「おっ? 大翔~アレ見てんだ~? 面白いよねぇアレ、アタシのイチオシ~」
同志を見つけた、と日葵は途端に表情を緩ませる。さっきまでの怒り顔が嘘のようだ。
「四話のオフィスに火をつける話。あれでドラマ的にも火がついた感じだよな」
「分かる~」
大翔、上手く逃げたな。話に乗ろうにも、見てもないドラマの話題では取り付く島もない。
このままだと、槍玉に挙げられるのは間違いなく自分だ。日葵の矛先を躱すべく、燈司は周囲を見回した。
「つかさあ、詩と隆成はどうなんだよ? なんかアイデア出した?」
逢坂燈司に芹沢日葵、五十嵐大翔。そして、野村詩と菊池隆成。
部員は他にも何人かいるが、日葵を中心としてバンドを組んでいるのはここにいる五名だ。
全員二年生だが、これには理由がある。このメンバーは日葵が勧誘したのだ。熱意に押し負けた、というのが正確かもしれない。
「ぷぺー」
「今のは何の音だよ?」
「チューバ吹きたい……」
そう言って力なく机に項垂れたのは、野村詩。
一言で表すなら、彼女は天才だ。幼い頃からあらゆる楽器の演奏を教えられ、世界的な公演にも参加しているという。
本来ならこんなところにいるべき人間ではないのだが、そうとも知らず日葵は気軽に勧誘してしまい、何を間違えたか詩も快諾してしまったのである。
当然、演奏技術は群を抜いて圧倒的だ。ただし思考回路も常人のそれを凌駕しており、しばしば意味不明な言動をしてはメンバーを困惑させている。
「しゃーない、ハーモニカで我慢してくれ」
「はーい。ぷぅあーん!」
「で? 隆成は?」
燈司は顔を上げ、部室の隅に居る隆成を見やる。だが反応はなく、隆成はスマホを横持ちにして、何やら画面に釘付けになっていた。
「おーい隆成……」
「ハァ……待って待って! 今すっごく良いとこなんだよ……!」
またか、と燈司は溜息を吐く。
隆成は、『えるえる』という歌専門のyoutuberの大ファンなのだ。今もおそらく、その動画に熱中しているに違いない。
軽音部に入ろうと思った理由も、「えるえると同じ世界でやってみたい」と語るほどだ。もはや崇めていると言っても過言ではないレベルで、日葵も隆成に関しては匙を投げている。
「どうすんのこれ、纏まんないじゃーん! ってか黒木センセまだ?」
日葵が思い出したように名を挙げたのは、軽音部の顧問の先生だ。
「そういや、まだ見てないな」
「授業も来てなかったよ。『聖痕』だって」
詩の一言で、部室内が一瞬静寂に包まれた。




