拾われる女と拾う男
居酒屋クックドゥルドゥルは、俺の出発点だった。
貧民街からほど近い場所に、この居酒屋を開いた。
自分でも店に立ち、何が好まれるかを肌で感じた。
月に一度はこの店を訪れる。
今の時間は営業はしていない。
俺は馬車を店の前でとめる。
おや。
店の軒下になにかある。
暗くてよく見えない。
手持ちランタンを手によく見てみる。
人だ。女の子。倒れている。
「手を貸してくれ」
俺は御者を呼び、居酒屋の扉を開け、女の子を中に入れる。
俺は声をかける。
「おい君。おい君大丈夫か?おい」
俺は声をかける。
身体は冷たくなっている。
俺は頬を女の子の顔に近づける。
よかった。まだ息はしている。
しかし、どうする。
身体が冷え切っている。
このままだと。
まずい。
「この娘を屋敷まで連れて行くぞ」
と俺は言った。
「どこの馬の骨かもわからない女を?」
と御者は言った。
「そうだ。どこの馬の骨かもわからない女をだ」
と俺は言った。
俺と御者は女の子をかつぎ、馬車に乗せる。
冷めないように、俺は上着を着せたやった。
頼む。死ぬなよ。
一号店の前で死なれるなんて、縁起でもない。
冷たいかもしれないが、俺はそう思っていた。
屋敷につくと、さっそくメイドに事情を説明し、女の子の介抱をさせ、医者も呼んだ。
「たんなる風邪ですが、かなり疲労が溜まっています。だいじょうぶでしょが、ムリはさせないように」
と言われた。
何がムリはさせないようにだ。今日初めて拾った女の子だぞ。
と俺は思った。
いけない。いけない。とんだ無駄な時間を使ってしまった。
執務に戻ろう。
そして俺は屋敷の執務室にこもる。
そしていつもの時間に寝て、またいつもの時間に起きた。
朝食後俺は女の子の顔を見に行った。
昨日は暗くてよく見えなかったが、よく見るとキレイな顔をしていた。
女の子の枕元に荷物が置いてあった。
身元がわかるものはないかと、俺はカバンの中見た。
少しのお金と、着替えと辞典があった。
見覚えのある辞典だ。
俺はパラパラと開く。
最後の頁に『クリストファー』と金箔の文字でネームが入っていた。
これはあの時……、
捨てられた国語辞典だ。
気が付けば、涙が溢れていた。
「……うん。ここは。あなたは誰……、なんで私の辞典見てるの。返して。それ大事なの。返して」
と女の子は言った。
「あぁ。そうだね。驚かせたね。
君は俺の店の前で倒れていたんだ。
ひどい熱だった。だから屋敷まで連れてきて、医者に見せた。
ただの風邪だが過労で倒れてしまったようだ。
しばらくうちにいると良い。
それとその辞典はどこで手に入れたものなんだい?
実はそれをずっと探していたんだ」
と俺は言った。
「えーっと。助けてくれて、ありがとう。
この辞典は10年前ごみ拾いをしている時に拾って、ずっと大事にしてるの。
宝物なの。だからこれはあげられない」
と女の子は言った。
「いや。君が大事に使ってくれてるなら、それでいいんだ。ただ思い出の品だったから、見せてもらったんだ。俺の名前はリラ。君の名前は?」
と俺は尋ねた。
「リラって言うんだ。私はリリーよ」
とリリーは言った。
「リリーか。昔友達だった犬と同じ名前だ」
と俺は言った。
「リラだって、友達だった犬と同じ名前よ」
とリリーは言った。
「本当に?これはすごい偶然だ」
と俺は言った。
「本当だね。すごい偶然だね」
とリリーは言った。
「リラはどうしてるんだい?」
俺は尋ねた。
「私を助けて亡くなった」
とリリーは悲しそうに言った。
「そうか……」
俺は言葉に困った。
「リリーは?お兄さんお金持ちそうだから、リリーは元気にしてるんでしょ」
とリリーは言った。
「俺は孤児で、商人に引き取られたから、こんな良い生活できているんだ。リリーはまだ俺が孤児だった頃の相棒で、俺を助けて亡くなった」
と俺は言った。
「そうか……、リリーって名前の子は不幸になるんだろうね」
とリリーは言った。
「君はどうしてあんなところに倒れていた。孤児じゃないだろ。親はどうした?」
と俺は尋ねた。
「私ね。娼婦の娘なの。それで娼館に売られる前の日に逃げたの」
とリリーは力なく言った。
「それで、なぜあそこで寝ていた?」
と俺は尋ねた。
「働くところを探していたんだけど、どこも見つからなくって、街の店全部いったのだけど、親に許可を取ったのか?って聞かれて。働くのは私なのに……」
とリリーは言った。
「居酒屋クックドゥルドゥルは行ったのか?お前が寝てた店」
と俺は尋ねた。
「たしか16番目か、それくらいの時に行った。断わられた」
とリリーは言った。
「戻れば、娼館に売られるんだよな」
と俺は尋ねた。
「うん」
とリリーは力なく言った。
「じゃあ。居酒屋クックドゥルドゥルで働け。あと使用人の部屋が空ているから、そこに住ませてやる」
と俺は言った。
「働けって、その店で断られたんだよ」
とリリーは言った。
「大丈夫だ。そこの経営者は俺だ。俺が言えば、仕事はできる」
と俺は言った。
「うそ……。ありがとう。でも何でそんなに優しくしてくれるの。私なにも持ってないよ」
とリリーは言った。
「なんでだろう。その国語辞典を大事に持っていてくれたからかな」
と俺は言った。
「この辞典は何なの?」
とリリーは尋ねた。
「その国語辞典は、俺が知り合ったホームレスの元大学教授からもらったものなんだ。
教授は言ったよ。
言葉は魔法だ。
使い方しだいで、人をあやめる凶器にもなるし、人を癒す薬草にもなる。
そしてね。言葉は泥棒にも取られない。王様にだって奪われない。
そして僕がこの世を旅立ったとしても、僕の意思を後世に残してくれる。
この国語辞典。
見た目は単なる辞典だが、ここには人類の叡智が詰まっている。
そしてその叡智は求めるものに力を与える。
だからもし君が世間に負けたくない。差別に負けたくないと思うなら、この国語辞典で学びなさい。何度も何度も読み込みなさい。そして考えなさい。この世界について。
これを君にあげよう。もう僕には必要のないものだ。
あぁお迎えが来た。君にあえて本当によかったよ。さらばだ。小さき友よ。
そうして教授は兵士につれていかれた。教授は政治犯として後に処刑される事になる。
だから、これは彼の遺品なんだ。
最後の頁にクリストファーと金箔で名前が入ってただろ。
あれが彼の名前さ。
貧民街にいる間、ずっと暇さえあれば。その国語辞典で勉強して、商人に引き取られる時に商人の執事に馬車から捨てられたんだ。
あとで執事は商人からすごく叱られて、すぐにあちこち探したんだが、見つからなくって。君が持っててくれてよかった」
と俺は言った。
「これ。私もすごく勉強してるから、あげれないけど、たまに貸してあげるね」
とリリーは言った。
「いいんだ。君が持っててくれ。あると知って。クリストファー教授の国語辞典がまだ大切にされてるってわかったら、それだけで俺は幸せさ」
と俺は言った。




