裏切りと絶望の交差点
成功している経営者には、必ずと言っていいほど、優秀な右腕がいるものだ。
まれに完全にワンマンで上手く回しているケースもあるが、それは非常に経営効率の良い業態のみだ。
経営の先輩たちによく言われたのが、右腕に見放されたら、経営者として絶望的だという言葉だ。
実際、右腕に見放され、経営が傾いたケースは数多い。
だから右腕の待遇は厚くして、常に感謝して大事にするのが、一流の経営者だ。
そして私はどうやら二流か三流の経営者みたいだ。
長年仕えてくれた右腕が、今朝去っていった。
融資の話をした辺りから態度が変わっていた。
見限られたのだろう。
同業他社に好待遇で引き抜かれたとの噂だ。
引き留め工作は失敗した。
店の新規開拓や従業員の募集など、細かな業務を常にそつなくこなしてくれていた。
彼がいなければ、かなりのダメージだ。
飲食グループは常にシェアの奪い合いだ。だれがお客の胃袋を掴むか。
コストと味とサービス。そのギリギリのバランス調整で動いている。
彼が抜けた事での喪失は正直計り知れない。
従業員の士気も下がっている。融資元も動揺している。
何か手を打たなければ、せっかく危機を乗り越えたのに……。
……
俺は執務室で籠っていた。
(こんこんこん……)
ノックがした。
「どうぞ」
と俺は言った。
リリーだ。
「リラ。卵焼きのサンドイッチ作ったの。一緒に食べない」
とリリーは言った。
(ぐー)
まったくこんな時でも腹は減る。
「いただくよ」
と俺は言った。
リリーの作ってきた卵焼きのサンドイッチを一口食べる。
「これは美味いな。
どうやって作った」
と俺は尋ねた。
「卵焼きは塩とコショーと牛乳。サンドイッチにはからしマヨネーズを塗ってあるの。シンプルだけど美味しいでしょ」
とリリーは言った。
「そうだな」
と俺は言った。
「なんかリラらしくないね。どうしたの?」
とリリーは言った。
「右腕に裏切られた」
と俺は言った。
「裏切られたの?」
とリリーは言った。
「あぁ裏切りだ」
と俺は言った。
「なんか約束していたの?」
とリリーは言った。
「約束?どういう事だ」
と俺は尋ねた。
「裏切るってのは、約束をやぶって、敵につくっていう意味だって、国語辞典に書いてあるわ。
だからなにか約束をやぶったのかなって」
とリリーは言った。
いや。やめれば裏切りだろう。と思ったが、
あれ違うのか。
と思い始めた。
なにか約束をしたのかな。
「俺、彼となにか約束したのかな?」
と俺は言った。
「そんなこと私が知るわけないわよ」
とリリーは言った。
俺は思い出す。
「俺はたしか……、
この店を王国一の店にすると彼に約束した」
と俺は言った。
「それはリラが約束したわけでしょ。
右腕さんは何か言ったの?」
とリリーは言った。
「いや。たぶん何も言わなかった。それであれば多店舗展開でしょうねとか、そういう事は言ったと思う」
と俺は言った。
「だったら約束していないから、裏切られたわけじゃないんじゃない」
とリリーは言った。
「そうか。でも見限られたんじゃないか。俺は……」
と俺は言った。
「そうなのかな。本人が”見限ります”とでも言ったの?」
とリリーは言った。
「いや。そんな事は言ってない」
と俺は言った。
「だったら理由はいろいろ考えられるわ。
たとえば、今の仕事より刺激的な仕事に出会った。引き抜き先の給料がよかった。あとは家族の都合であまり長時間働けなくなったとか、それは無数に考えられるわ」
とリリーは言った。
「そうか。そうだよな。たしかにイロイロある。しかしだからと言って状況が変わる訳ではない」
と俺は言った。
「そうかな。ずいぶん状況は変わるわよ」
とリリーは言った。
「なぜそう言える」
と俺は尋ねた。
「リラが裏切られたと思い込んでいたら、商売というのは常に裏切られるものだった思うでしょ。少なくともそういう不安を常に抱えてしまわない?」
とリリーは言った。
「たしかに、それはあった。でもリリーに言われて、少しは気が楽になった」
と俺は言った。
「それが解消するだけでも、ずいぶん違うじゃない。そしてイロイロな理由があるという点にたてば、その人にあった待遇の与え方っていうのもわかるんじゃない?」
とリリーは言った。
「どういうことだ?」
と俺は尋ねた。
「たとえば孤児の件だと、孤児たちはお金持ちになりたいわけじゃない。とにかく住む所と食べるものを確保したい。これが一番優先なのよ。これがなしに、お金だけ渡しても、住むところと食べるものが、手に入りやすくなければ、動かないわ。たとえば家を借りる事って、彼らはできないじゃない。だから寮付き食事付きが優先されるのよ」
とリリーは言った。
「なるほど……そうか。必ずしも給料だけの問題じゃないんだ」
と俺は言った。
「そうよ」
リリーは言った。
「ただ皆に動揺が広がっている。これはどうする?」
と俺は尋ねた。
「とくになにもしなくても良いと思うよ。じきに慣れるから。一番の問題はリラが動揺していることじゃない?」
とリリーは言った。
「俺が動揺?」
と俺は尋ねた。
リリーは笑って、
「ほら顔見なさいよ」
と言って、手を引っ張り、鏡の前に連れていかれた。
鏡の中の俺は、ひどい顔をしていた。
「ほら、カッコいい顔が台無しよ」
とリリーは笑いながら言った。




