第三話:すれ違う静寂
御前会議を終えたばかりの魔王城。その空気には、表面上の平静とは裏腹に、わずかな緊張が走っていた。
(あの発言……通じた、よな……?)
御前会議を終えたカイルは、ようやく解放された心地で玉座の間を後にした。
(……なんとかなった、のか?)
緊張から解放されたのも束の間、メイド長のエリーナに昼食へと促される。
重厚な扉を抜け、豪華な食堂に通されたカイルの向かい側には、給仕を終えたエリーナが控えるように立っていた。
(戦闘力……104万……うわぁ……)
思わず手が止まる。エリーナだけではない。給仕に立つ他のメイドたちも、戦闘力が軒並み90万超え。
全員が“勇者パーティ6組分”くらいの戦力だと考えると、心中穏やかではいられなかった。
(この国、なんでメイドが軍団並みに強いんだ……?)
ビビりながらも食事を終えたカイルは、さっきの決意を思い出しながら“城内散策”に出ることにした。
――せめて何か、勉強できそうな手がかりを探そう。
魔王らしく堂々と歩く……つもりが、廊下を行き交うメイド達とすれ違うたびに軽く会釈してしまう。
(みんな、強そうだけどちゃんと礼儀正しい……それが逆に怖い)
廊下の奥に“資料室”と書かれた扉を見つけたカイルは、好奇心にかられて中を覗いた。
中には誰もおらず、膨大な書類と本が整然と並んでいた。ギルドで見た事務室に似た雰囲気に、思わず足を踏み入れる。
(……これ、見覚えあるかも。あ、輸出入記録……?)
無意識に手が伸び、いくつかの資料を手に取る。
(そうだ、会議の“予習”……しておこう)
そう決意したカイルは、数冊の資料をこっそり自室へ持ち帰った。
カイルは寝室の隅に積み上げた資料の束を見つめながら、昼の会議を思い返していた。
自分が適当に口にしたつもりの言葉が、意外にも会議を動かした。それは嬉しい驚きではあったが、同時に――
(……それ以上のことを聞かれたらアウトだ)
だからこそ、今夜からひとり、資料と向き合っていた。
貿易都市の物流データ、輸出入記録、各領地の収穫統計――冒険者ギルドでの事務手伝いの経験を頼りに、なんとか読み解こうとしていた。
(偉人伝のあの王様も、最初は無知だった。でも仲間と一緒に国を立て直した……)
そう、カイルには“仲間”がいない。だから一人で、こっそり努力するしかなかった。
もし――自分が「別人」だと知られたら。国が混乱するどころの話じゃない。
(知らぬ間にトップが入れ替わってた……そんなの、誰も納得しない)
紙とインクを取りに立ち上がった時、机の下に一枚のチラシが舞い込んでいた。
「ミス魔族・昨年度グランプリ サマーエディション」――華やかな笑顔の魔族美女が、水着でポーズを決めていた。
(うわっ……これ、こんなとこに……まあ、裏は白いし、メモには使えるよな)
適当なサイズに破ってメモ代わりにし、布団に入って続きを読む。眠気が限界を迎えるその時――
コン、コン。
控えめなノック音が響いた。カイルがびくりと肩を震わせる。
「……誰だ?」
ギィ……。
扉が静かに開き、見慣れたメイド服姿――エリーナがそっと顔を覗かせた。
「失礼いたします、魔王様。深夜に申し訳ありません。……体調はいかがですか?」
(うわっ、メイド長!? なんでこのタイミングで!?)
慌てたカイルは、資料もろとも布団に潜り込んだ。
「……だ、大丈夫だ。ちょっと寝付きが悪くて……」
布団の中からこもった声で返す。
エリーナはしばらく沈黙したのち、そっと扉を閉じて退室した。
(……助かった……)
そして、朝が来た。
メイド長・エリーナは魔王の寝室を訪れ、室内を軽く整える。ふと、ベッド脇のテーブルに置かれた紙切れに気づいた。
だが、表には――水着姿のミス魔族が、爽やかに微笑んでいた。
エリーナは、しばらくそれを見つめていた。
(……昨日、魔王様が倒れられてから、どこか変わったと……思ったのですが)
紙には触れず、そっと整頓を再開した。
(……私の勘違いだったのかもしれませんね)
そして、何も言わずに部屋を出ていった。
ベッドの中で寝返りを打ったカイルが、ぼそりとつぶやいた。
「……あれ? メモ、どこいった……?」