第二話:混乱と誤解と、魔王の威厳
目を覚ましたカイルは、見知らぬ豪奢な天井をぼんやりと見つめていた。
ふかふかの寝台、広すぎる室内、そして隣には赤髪のメイド――
(え、夢? いや違う……なんかすごい現実感……)
「魔王様……ご無事で……」
メイド長は安堵とともに、そっと目元を拭った。
状況が飲み込めないまま体を起こそうとしたカイルだったが、次の瞬間――
ベッドの脚が“メリッ”と音を立てて崩れた。
(……は!? な、なんでベッド壊れるの!?)
「魔王様、お加減がまだ……」
「いえ、逆に完全復活と見てよろしいのでは?」
(いやいやいや、違う! 力加減がわからなかっただけだってば!!)
誤解が加速する中、カイルはこの“魔王としての生活”をどう始めればいいのか混乱していた。
そして、そんな余裕すら与えられない現実が、容赦なく彼を襲う。
「魔王様、間もなく御前会議の時刻です」
(ご、御前会議!?)
「諸侯が集まり、国の運営についてご相談申し上げる場です」
(相談って言いながら、絶対“報告だけして了承させるやつ”だろ!?)
メイド長に促され、漆黒の軍服のような礼装に着替えさせられる。
鏡に映った姿は、本人すら驚くほど“魔王”だった。
(うわ、なんか似合ってるのが逆に怖いんだけど……)
「魔王様、入場の際は堂々と、顎を引きすぎず、睨みすぎず、お声は低めで……」
(……アレ? それってギルマスみたいな感じかも?)
そう思った瞬間、カイルの背筋がピンと伸びた。
メイド長はその変化に、ほんの少しだけ目を見開いた。
「大丈夫です。堂々としていれば、それで通じます」
笑顔で断言するメイド長に背中を押され、カイルはついに御前会議の扉を開く。
重厚な扉が軋む音と共に、視線が一斉にカイルに集まった。
会議の幕が上がる。
「本日の議題は、“交易都市の再整備計画”についてでございます」
すぐさま貴族たちの提案ラッシュが始まる。
「我が領の運河を延ばせば全体の流通が改善される」と語る者、
「交易関税を一時的に我が管轄で預かっては」と申し出る者。
(え、それって全部“自分の領地だけ得する案”じゃない!?)
(……てか、冒険者ギルドでもこんな交渉うまい人いたな~。言い方一つでめっちゃ得してたし、あれ思い出せばワンチャン通じるかも……?)
カイルは頭をフル回転させ、できる限り言葉を選びながら発言した。
「その案では……国全体の利益としては……難しい……」
(のでは……と思います!)
カイルの口から発せられたその言葉に、メイド長は思わず目を見開いた。
(……今、魔王様が、ご自身の意志で意見を?)
それは、かつての魔王様では考えられなかった光景だった。
――あの頃の御前会議。
魔王様は、どんな提案にも「ふむ……」としか返さず、目の焦点も合っていなかった。
場を取り仕切る気配もなければ、意思を示すこともない。会議室には沈黙だけが流れていた。
今と、何かが違う。
その“わずかな違い”が、彼女の中に不思議なざわめきを残した。
場が静まり返る。
(……やっちゃった!? 空気読めてなかった!?)
沈黙を破ったのは、メイド長だった。
「魔王様のご判断は的確かと存じます。現在最も求められているのは、領土の一極集中ではなく、全土の安定です」
「む……た、確かに……」
「……ふむ、もっともな話だ」
しぶしぶながらも納得した様子の貴族たちに、カイルは内心でガッツポーズを決めた。
(あぶねぇぇぇぇ……! メイド長マジ女神……)
こうして、魔王としての初の政務は、周囲の誤解と助けに満ちた中、なんとか幕を下ろしたのだった――。
(……ていうか、俺、昨日床に倒れてたよね!? あれ、誰も触れないの!? え、あれって“普通のこと”なの!?)
だがその事実――「魔王が倒れていた」という情報は、
静かに、しかし確実に、城内を超えて国の上層部へと広がり始めていた。
メイドたちの親へ、貴族の家々へ、そして公爵家の耳にも届く。
誰も公に語ろうとはしない。だが、疑念と憶測は止まらない。
「暗殺未遂か?」「誰の差金だ?」「魔王様が倒れるなど――異常だ」
もし真実が露見すれば、国家そのものが揺らぐ可能性すらある。
貴族たちは“見なかったことにする”のが最善だと悟っていた。
……静かに、疑心暗鬼の霧が、魔王城を包み始める。