第18話:乙女と古書と、静かなる想い
「本日は執務、お付き合いさせていただきますね、魔王様」
執務室の扉が開くと、そこには完璧な所作で頭を下げるフェリシア・アルンハイムの姿があった。
仮任命とはいえ、その振る舞いには一分の隙もない。
(き、来た……ここが乙女の戦場……いえ、執務の現場! でもここから、私と魔王様の信頼が芽生えるはず……!)
机に用意された書類に目を通しながら、カイルはそっと心の中でため息をつく。
(……本当に“仮”なんだよね? なんかすっかり本採用みたいな雰囲気なんだけど)
紅茶の香りが漂う。いつの間にかカップの角度まで計算された動きでサーブされていた。
フェリシアは微笑を絶やさないが、物理的距離が妙に近い。書類を渡すときも、身を乗り出してくる。
(近い近い! いや、まだそんな仲じゃないからね!?)
(この距離、この角度、この手の重なり――恋愛小説の18ページ目に出てきたやつ!!)
◆ ◆ ◆
「ふむふむ、これは“保険制度案”ですか……」
ミリィはフェリシアの様子を見つめながら、手元のメモに静かに記録を取っていた。
(“仮任命”とはいえ、この堂々とした振る舞い……。これはちょっと警戒が必要かも)
周囲のメイドたちも微妙な空気を醸し出している。何となく、様子見しているような、あるいは情報を探っているような――。
(エリーナ様、どうかご無事で。こちらは全力で守りますからね)
◆ ◆ ◆
「魔王様、それでは最適化されませんよ?」
その一言に、カイルはピクッと反応した。
(……“最適化”……)
ほんの一瞬、エリーナの冷静な声が頭に浮かぶ。報告書を分析し、戦略を整理し、淡々と支えるあの姿。
(あの人も、こんな言い方をしてたな……)
(やだ……なんか反応してくださった……!? 今の一言、印象に残ってたのかしら!?)
フェリシアの笑顔がまぶしく感じられる一方で、心のどこかが微かに疼いていた。
◆ ◆ ◆
その頃、公爵邸。
エリーナは書斎で、ミリィからの報告を読んでいた。簡潔な文面の中に、彼女なりの気遣いと懸念がにじんでいた。
「……やっぱり、彼女は真っ直ぐ過ぎる」
そう呟きながら、指先が報告書の端を少しだけ強くつまむ。
気づけば、自分の爪を軽く噛んでいた。
「くっ……私の魔王様に……」
自分の声に驚き、エリーナは手で口を押さえた。
「……何を言っているの、私は……」
わずかに顔を伏せ、そして小さく息を吐いて呟く。
「私は……国の為。そう、国の為に魔王様をお支えするの」
紅茶の湯気は、静かにゆらいでいた。
◆ ◆ ◆
その夜。
フェリシアは仮任務を終え、丁寧に辞去した。執務室には、静けさが戻っていた。
カイルは机に頬杖をつきながら、窓の外を見上げる。
「“仮”って、意外と気を遣うんだな……」
(……これが“偉い人の苦労”ってやつか……)
一方その頃――
廊下の角を曲がった瞬間、フェリシアは背中で小さくガッツポーズしていた。
(やった……! 今日は好印象だったはず……!)
その頬には、ほんのりと紅が差していた。