第17話:恋と焔と側仕え
アルンハイム侯爵家の書斎は、薄暗いランプの灯に包まれていた。分厚い本棚に囲まれたその空間に、フェリシア・アルンハイムは正装のまま立っていた。
「魔王様の側仕えになれ」
父の口から放たれた言葉に、彼女は一拍置いて、きっぱりと答えた。
「嫌です!」
その即答に、侯爵は片眉をわずかに上げただけだった。無言のまま、机に置かれた銀のティーポットに手を伸ばす。そして、淡々とした口調で続けた。
「……理由は?」
「前に一度、あの方を拝見したことがあるんです」
フェリシアは腕を組み、ため息混じりに答えた。
「玉座で、死んだ魚みたいな目で宙を見ていて……挨拶しても無反応で……」
彼女は一歩踏み出し、声を潜める。
「これから滅びる国の王にしか見えませんでした! 恋愛ルートのスタート地点に立ってないんです!」
侯爵は静かにランプを見つめたまま、右手を軽く掲げた。その掌に、ぽっ、と小さな火球が灯る。
「ならば仕方あるまい。お前が行かぬというのなら――お前の部屋ごと焚書に処す。すべての書物、床下の隠し箱の“あれ”も含めてな」
「そ、そんな……っ!」
フェリシアは青ざめた顔で床に崩れ落ちた。肩が小刻みに震えている。
「そ、それは……! 本棚の裏の『夜会の禁断の令嬢』も……?」
侯爵はため息をつく。
「我がアルンハイム家に、魔王様の側近として立つ娘が一人くらいいてもいいだろう。達成すれば、書庫の増設も許す」
「や、やります……! やらせてください、お父様……っ!」
顔を上げたフェリシアの表情は、ついさっきまで崩れ落ちていた少女とは思えないほど明るかった。
その瞳には希望の光が宿り、まるで“この世の春”を迎えたかのような笑みを浮かべていた。
(書庫増設……蔵書無制限……私の“夢”が現実に――!)
フェリシアの即答に、侯爵はわずかに口元を緩めた。
(本を抱えて出奔するつもりだったかもしれんな……)
◆ ◆ ◆
翌日。魔王城、執務室。
推薦状の束がまた一段と高くなっていた。
「……また増えてる?」
カイルは書類の山を前に目を細めた。ミリィが小声で告げる。
「今回は……アルンハイム侯爵家からです。“本命”かと」
「本命……? 私は何と戦おうとしている?」
◆ ◆ ◆
扉が静かに開き、フェリシア・アルンハイムが登場する。
完璧な礼儀作法、優雅な所作。堂々たる振る舞いは、まさに貴族の鑑だった。
「アルンハイム侯爵家、長女フェリシア。謹んでお目通りを賜りたく、参上いたしました」
(うわぁ……ちゃんとしてる……ちゃんとしてるぞ……)
カイルは内心、既に圧倒されていた。
フェリシアは表情一つ変えず、にこやかに微笑む。
(近い……理想より三割増しで格好いい……あの伏し目、無口系!? いや、知的無表情系かも!?)
「魔王様……失礼ながら、王としてどのような国づくりをお考えか、お伺いしても?」
「えっ、いきなり!?」
(ダメだ、初手で“本編入り”した! このままだと冒頭の情景描写が足りないやつになる!!)
動揺しつつも、カイルは丁寧に答える。
「私は……まだ模索中です。ただ、民の暮らしを守ることが一番だと思っています」
(えっ、えっ、それ……直球すぎません!? 純粋正義属性!?)
フェリシアは見た目こそ変わらずに微笑んでいたが、内心では高らかに鐘が鳴っていた。
(やばい……これ、私の想定ルートと全然違う……でも逆に、好感度+15!?)
「では、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。魔王様」
優雅に一礼して退室するその背には、ほんのり震える決意が込められていた。
(よし……! 初回イベントは完了。次は信頼度イベント発生まで、ターンを温存……!)
◆ ◆ ◆
一方その頃、公爵邸。
エリーナは父と共に議事録を読みながら、静かに紅茶を口にしていた。
「アルンハイム家が動いたな」
「……彼女、“あの模擬戦”以来です」
「直接勝負は避けるだろう。だが“言葉”で動かすタイプだ」
エリーナは微かに眉をひそめた。
「私の代わり……というには、少し癖が強すぎるかもしれません」
◆ ◆ ◆
執務室に戻ったカイルは、書類に目を通しながらぼそりと呟いた。
「……なんで僕、公務中なのに、紙芝居の真ん中に立たされてる気がするんだろ……」
机の上には、一冊の小さなメモ帳。そこにフェリシアの名前が、ふわりと追加されていた。
(いや、何この展開。僕、国の再建したいだけなんだけど……!?)
(……なんか最近、自己主張するメイドが増えたような?)