第14話:変わった貴族と、閉ざされた工房
グランシュタイン邸の書斎。静かな午前、ページをめくる音だけが響いていた。
エリーナは机に広げた御前会議の議事録を、丁寧に読み進めていた。
魔王がいない場所で進められた議題、その中に見え隠れするカイルの意志。
「……やっぱり、変わったわね」
資料の端に小さく書き込まれた注釈や、段階的改革の提案。その丁寧な構成に、どこか微かな違和感を覚えた。
「お姉様、また議事録を?」
妹のリシェルがカップを持って入ってきた。ハーブティーの香りがふわりと広がる。
「……気になったのよ。今、あの方が何を考えて、何を選ぼうとしているのか」
「お姉様の整えた基盤があるから、魔王様は動けているんです。ご自身の功績を、もう少し誇ってもいいのに」
エリーナは微笑むが、どこか影のある顔をしていた。
(誇り……それはもう過去のもの。今の私は――)
執務室の机に、古びた魔道具の図面と現場報告が積まれていた。
「どれも、使える状態じゃない……でも、村ではまだ使われてるんだよな」
カイルは書類をめくりながら、破損箇所に赤い印を入れていく。
ふと、以前レントが話していたことを思い出した。
「……そういえば、“昔はすごかった技師が村にいる”って言ってたな」
迷うことなく立ち上がる。
「会いに行こう。魔王じゃなく、一人の人間として」
(今の僕は魔族だけどね!)
村の朝は早い。カイルが農村を再び訪れたのは、まだ日が高くなる前のことだった。
すでに畑では農民たちが作業を始めており、その中にレントの姿もあった。
「お、また来たのか。変わった貴族だな、あんた」
レントは笑いながらクワを肩に担ぎ、額の汗を拭った。
「ちょっと、聞きたいことがあってな」
カイルは農具の一つを指差す。刃が欠け、柄がぐらついている古びた魔道具だ。
「これ、誰が作ったか知ってるか?」
「ああ、それか。ロットじいさんのだな。昔はすご腕の技師だったって話だ。今は……まあ、隠居中」
「その人に、会わせてくれないか」
レントは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに肩をすくめて言った。
「やめとけって。貴族嫌いで有名だ。俺が話しても、だいたい門前払いさ」
それでも、とカイルが真剣な目で言うと、レントは苦笑しながら頷いた。
「……まぁ、あんたならワンチャンあるかもな。変わってるし」
案内されたのは村はずれの古びた家屋だった。扉には無数の魔法封印の痕跡があり、年月の重みを感じさせる。
カイルがノックすると、中から重たい足音が近づき、軋むような声が返ってきた。
「帰れ。注文は受けねえ」
「注文じゃありません。話を聞かせてほしいだけです」
「……貴族か?」
「いいえ。“農民からの依頼”だと思ってください」
少しの沈黙の後、扉がギィと開いた。中から現れたのは、白髪に煤けた作業服をまとった老人――ロット・ヘイスだった。
彼の目は鋭く、カイルを値踏みするように見つめていた。
「言ってみろ」
カイルは、村で使われていた壊れた魔道具を取り出した。
「これ、まだ現場で使われてる。直せる人がいないから、騙し騙し使ってるみたいです」
ロットは手に取ると、眉間に皺を寄せた。
「柄が削れすぎてる。魔法石の安定装置も欠損。こんなんで作業すれば、腕が壊れる」
「だからこそ、修理したい。あなたの知識が必要なんです」
ロットは鼻で笑った。
「貴族ってのは、壊してから頼みに来る。作っても搾取されて終わりだ。俺はもう関わらねえ」
「私も、搾取されてる農民も、あんたが作った道具を“頼りにしてる”んです」
「……」
「それが、まだ“現場に残ってる”。その事実が、全部なんじゃないですか?」
ロットは何も言わず、壊れた道具をしばらく見つめていた。
「……名前は?」
「カイルです」
「肩書きは?」
「今はどうでもいいんで」
その答えに、ロットはわずかに目を細めた。
「……ふん。変わった奴だな。まあいい。とっとと帰れ。やるとは言ってねぇぞ」
その夜、ロットの工房では古びた設計図が広げられていた。
蝋燭の明かりの下、ロットは無言で新しい紙を取り出し、ペンを走らせる。
「まったく……若造に何を期待してんだ、俺は」
ぶつぶつと文句を言いながらも、手は止まることなく動いていた。