第13話:一手目の選択
朝の執務室。カイルは一人、積み重ねられた書類の山を見つめていた。
会議の資料、予算案、民からの陳情、貴族たちの提案――。
その中から彼は一枚の紙を引き抜く。
「……農地再編と、収奪の抑制。まずは“底を塞ぐ”ところからだな」
昨日、畑でレントに教えられた“順番”という言葉が頭に残っていた。
そこへノックの音が響く。
「入っていいですか?」
入ってきたのは、リシェル。メイド長エリーナの妹だった。
「……姉を、もう呼ばないのですか?」
リシェルは少しだけ寂しそうに問いかける。
「彼女には、彼女の立場がある。それを壊すのは、私ではありません」
カイルは静かに答えた。
(けど、“彼女の力”が、今の私には必要だ)
リシェルが退室したあと、ふいに背後から別の気配がする。
「……急激な変化は、混乱を招きます」
控えめな声。振り返ると、そこにはミリィがいた。
クラヴィス伯爵家の娘。普段はメイドたちに紛れて目立たないが、
エリーナとは幼なじみであり、静かに状況を見守る“影の橋渡し役”だった。
「魔王様、良策であっても、“速さ”を誤れば、反発を生みます」
「……それは、誰かに言われたのか?」
ミリィは小さく微笑んだ。
「父の案、覚えておいでですか? 小さな村の税制改革の話です」
「あれか……五年かけて、緩やかに再編するという」
「ええ。時間をかけたからこそ、混乱も争いも起きませんでした」
ミリィは昔のことを思い出したように、ふっと苦笑いした。
「エリーナは、いつも真っ直ぐすぎるんです。だから私は……少しだけ、斜めから」
カイルはその言葉に目を細めた。
(……速さよりも、崩さず進めること。そういう道も、あるのか)
その日。御前会議。
カイルが提出した新たな政策草案に、貴族たちはざわめいた。
「……税率の変動を段階的に?」
「一部、実施試験地域を設けて反応を見る……?」
「魔王様……どなたがこれを?」
ざわめきの中、グランシュタイン公爵だけが穏やかな笑みを浮かべていた。
その日の夜。グランシュタイン邸の書斎。
エリーナは、昼間の御前会議の議事録を静かに読み進めていた。
カイルが提出した草案、その言葉遣い、段階的な施策。
(……これは、“彼”の判断)
ページを閉じて、そっと胸元で抱きしめる。
(……ならば、私は“この距離”で支える)