【富田勢源入道①】中条流の盲剣
日本には剣術が栄えた時代があった。
①平安時代の末期~鎌倉時代の初期
②鎌倉時代の末期~室町時代の初期
③戦国時代(室町時代中期~安土桃山時代)
④江戸時代の幕末
それらの中でも、剣術の諸流派が生まれた平安時代の末期や剣術が再び盛んになった江戸時代の幕末より、人を殺める戦が多かった戦国時代は別格だった。
その証拠に、明治時代の初期まで続く実戦的な剣術流派の多くが戦国時代に生まれている。
戦国の世に剣術で名を馳せた者は余多いるが、その中でも一際輝く巨星が幾つか存在した。
戦国の世の越前に、盲目でありながら名人と謳われた中条流平法(富田流)の富田勢源入道という剣豪が居た。
名前も様々あり、富田勢玄・富田盛玄・富田清源(=當田清源)・戸田清元・戸田清玄と同音の当て字が幾つも伝わる。
元服後は富田五郎左衛門と、出家後は富田勢源入道と名乗り、通称で富田勢源と呼ばれた。
諱は、吉方(吉景・吉家・景盛)など、年代に由り改名した可能性が有るという。
富田勢源(金沢工業大学所蔵)
勢源は、越前国足羽郡浄教寺村(一乗谷)で誕生する。
父の富田与五郎景家は、越前の大名である朝倉氏に仕えて戦功があった。
兄の富田九郎左衛門郷家が27歳で早世をした為、次男の勢源(五郎左衛門景盛)が家督を継いだが…
その勢源も眼病を患って出家をし、弟の富田治部左衛門景政に家督を譲り隠居する。
一説に、勢源は加賀一向一揆との戦いで目を負傷したとも伝わる。
盲目になった勢源だが腕は落ちておらず、中条流宗家を継いだ一つ年下の弟である景政を、稽古に於いて赤子の手を捻る様にあしらったという。
一乗谷の朝倉館跡
中条流(中條流平法)の開祖は中条兵庫頭長秀で、中条家の家伝刀法と念流を合わせて生み出した剣術と槍術である。
長秀は念阿弥の高弟である“念流十四哲”に数えられる剣士で、室町三代将軍・足利義満の剣術指南役を務めた事で知られる。
中条家の中条流が断絶すると、長秀の弟子筋が継承して越前の富田家に伝承される。
富田家の中条流は、大名である越前国の朝倉氏と加賀国の前田氏に仕えた時代に隆盛を誇り、名人や達人を数多く輩出した事から、後に中条流を富田流とも呼ぶ様になった。
その富田流の最初の名人が勢源で、剣豪として知られているが、勢源の事績は殆どが不明とされる。
唯一、残された逸話だけが、名人・富田勢源を知る全てである。
子供が読める様に、人物・地名・和暦・難読・漢字四字以上の言葉には初出のみルビを振ってあります。
数字は、基本的にアラビア数字(インド数字)で表記する事が多くなります。
【参考史料】
・『山崎軍功記』
・『中条流平法』12巻(上・下)※写本(文化4年=1807年成立)
・『新撰美濃志』全30巻 岡田 啓(別名:おかだひらく)(岡田文園)・著
(天保14年=1843年頃成立)
・『富田傳書』
・『武芸小伝』全10巻5(5冊)
(別名:『干城小伝』・『本朝武芸小伝』)
日夏繁高・著(正徳4年=1714年成立)
・『撃剣叢談』全5巻 三上元龍・著(寛政2年=1790年成立)
・『垂統大記抄』
・『関剣術伝書』
・『老話集』
・『本朝武林伝』全95巻(25冊)(元禄13年=1700年頃成立?)
・『津軽史一刀術』
・『中条流兵法手鏡』
【参考資料】
・『富田流道統継承の研究』岡田一男(日本文化大学)
・『奥州に於ける富田流(當田流)』岡田一男(国学院大学)
・『三輪氏族譜』三輪信太郎(1937年出版)
・『ふるさとコレクション』HP 石川県立図書館
・『福いろ』福井市観光公式サイト
・『福井市文化遺産』HP
・『国立国会図書館サーチ』HP
・『名古屋市中川区』HP
※当方の都合を含め、各話毎(エピソード毎)に使用した【参考史料・資料】を表記しています。