27 馬鹿げた冗談
佐伯が森の入口に辿り着いたとき、エブリン・パーネルの見たリスと木のダンスは既に終わっていた。
惑星周回軌道上のマリー・アントワネット二世号の大型計算機とリンクされた小型調査船の計算機がレンマの論理――と彼自身の論文のデータ――を解析する待ち時間に、佐伯は調査船を離れ、わずか数分の間だが、眼下の森に展開されたその奇妙な光景を肉眼で確認していた。それは、いみじくもパーネルが無線で佐伯に伝えたように、実際に自分の目で見なければ承服しがたいような光景だった。
その光景には大きく分けて相互に関連する二つの意味があった。ひとつはデルフの提唱した惑星検疫の仮定、そしてもうひとつは、それを利用した高次レベルの励起現実からの通信手段である。
惑星検疫の仮定は流動する自然が本来持っている自己組織化の傾向――散逸構造――の、いくぶん生物よりの比喩といえた。人類が科学を社会構成基盤のひとつとして認めてから二十世紀中庸まで、フーリエの熱学理論を祖とする非平衡系の科学はほとんど顧みられることがなかったが、これは当時隆盛を極めた機械技術が熱の散逸をただ不当なエネルギーロスとみなし、学者がある意味では時間の止まった永遠の状態である平衡系を充分な反省もなく科学の基礎に選んでしまったことによる。そのため惑星や機械の動きを司る自然法則と生物一般の生を保証する原理・法則が完全に分裂してしまい、人間の科学に対する不信感を強めることとなった。
平衡系の科学に決定的に欠けていたのは、時間の一方向性だった。ニュートンの運動方程式は時間の反転に関して逆まわしのビデオの動きしか許さない。相対性理論も量子力学も、その本質においては、ニュートン力学と同じである。そしてこれは、決して生物の理論ではなかった。また同じ意味で、本質的に多体系で構成される自然の理論ともなりえなかった。
だが、イリア・プリゴジン率いるブリュッセル学派が進めた散逸構造系の理論は、大衆的成功を修めたその亜種、ルネ・トムのカタストロフィ理論(ひとつの平衡状態から新しい動的秩序を示すもうひとつの平衡状態への転換を表現する理論。その転換のことをカタストロフィと呼ぶ。真の意味での自己組織化やゆらぎの自己強化を含まない)の際もの的性格のためか、化学反応や生物代謝、社会動態などの解析に威力を発揮したものの、なかなか市民権を得ることはできなかった。二一〇九年の現在でこそ、散逸構造理論は流動する現象一般を扱う準古典理論として認められていたものの、デルフの理論のような一風変わった応用については、いまでも学者の目は冷たかった。
もちろん、佐伯がいま問題にしているのは、そのことではなかったのが……。
そしてレンマの論理。
レンマの論理は大乗仏教の創始者、竜樹の四句分別を元に構成されている。レンマとは具体的、直接的な直観を表す語で、分析的、記号的な言語と正反対の性質を表す概念である。そのため、これを記号言語の極みともいえる計算機言語に応用するには相当な注意を要する。
レンマの論理は、以下四つの判断基準から構成される。
一、一切は如なり(肯定)
二、一切は如ならず(否定)
三、一切は如にして不如なり(否定かつ肯定)
四、一切は不如にも非ず、如にも非ず(否定でも肯定でもない)
その要は第四のレンマで、これは否定の否定かつ肯定の否定、すなわち絶対否定であり、人間の心がまさにそのように働くと説明する以外に説明のしようがない、心の本質のひとつを示すものである。西田の「場所の論理」も、この「即非」の論理を中核にして練り上げられたと考えられる。そして、このようなレンマの論理的二項即一項の論理を数式に置き換えるには、無数の一、〇に対して〇以上一以下の数を規定してその性質を浮き彫りにする、無限次元の量子統計メタファジイ推論以外に適したものが見つけられなかった。
そして、それが佐伯に幸いした。
彼はパーネルが無線で伝えたリスと木のダンスに熱的ゆらぎではない自己組織化されたマクロなゆらぎ――通信――を見出した。リスと木の本来無秩序な動きをダンスに昇華させたその元のゆらぎが何であったかはわからない。けれども、佐伯にはダンスを構成するそれぞれの動き――ミクロなゆらぎ――そのものが、すなわちひとつひとつの単語に相当する通信手段であると見抜くことができたのだ。もしも現れたゆらぎが単なる雑音であったなら、いかにそれを並べ替えようとも、意味の通った文章になどなりはしない。それが意味を持った文章となるためには、それら全体を貫く筋の通った秩序がどうしても必要なのだった。高次の励起現実――たぶん、それは電子遷移に対する振動準位や回転準位のようなものだろう――から励起現実への通信に何故そんな手の込んだ方法が必要なのかもわからない。だが、と佐伯は思った。これは励起現実の住人からおれたちに向けられたメッセージに違いあるまい。何故なら、と彼はマリー・アントワネット二世号の大型計算機とリンクされた小型調査船の計算機が弾き出したメッセージの解読文を握りしめつつ思った。こんな馬鹿げた冗談を思い着く人間は、たぶん他にないだろうからだ。




