26 マクロとミクロ
「つまり」
と、再び統合されたコンタクト用の位相空間の中でジョン・カウフマンはいった。
「通常の形式論理の推論というのは、その前提に現れる主語の同一性から組立てられています」
彼は一同を見まわした。
「例えばここに『馬は動物だ』『動物は死ぬ』という二つの前提があったとします。最初の前提では〈動物だ〉という述語(述部)の中に〈馬〉という主語(主部)が含まれています。同様に、後者では〈死ぬ〉という述語の中に〈動物〉という主語が含まれる。そして、ここでは馬という主語に全体の同一性を認めているので『馬は死ぬ』という結論が導かれるわけです。ここまではいいですか?」
まっ黒な肌の航宙船機関士、ロイ・メルがゆっくりと首肯きながら答えた。
「オーケイ、科学班長、続けて」
大男の金属採鉱船船長、リチャード・A・ワイスコップも先を促した。
「こちらもだ!」
「では……」
マリー・アントワネット二世号の科学班長は続けた。
「通常我々が用いている推論の形式は、いま述べたようなものです。暗黙のうちに、主語の同一性が保証されています。けれども推論の形式というのは、もちろんそれだけではないわけです。その基盤となる同一性を前提の主語ではなく述語に置く形式も当然考えられます。例えば、こんな具合にです」
科学班長は軽く息を継いだ。
「『私は顔が長い』『馬は顔が長い』という二つの前提があったとします。もちろんここでも〈私〉と〈馬〉が主語で、〈顔が長い〉という記述が述語(述部)であることには変わりありません。けれども今度の場合、同一性は〈顔が長い〉という述語(述部)の方にあるので、結論は我々の常識に反したものになります。すなわち『私は馬です』が、この推論から導かれる結論となるわけです」
ひと呼吸置いてから、カウフマンが続けた。
「つけ加えれば、これは統合失調症患者の一般的な思考様式でもあり、精神科医のE・フォン=ドマスルが、初めて理論づけたものです」
カウフマンは三人の聴衆の反応をじっと窺った。機関士も船長も「なるほどな」という表情を浮かべている。が、その表皮の変化から理解の度合いを読み取るのは難しい。彼の講義のもうひとりの聴衆――励起現実の女性――は、そんなカウフマンの苦り顔を見て、彼に穏やかな笑みを返した。父兄参観日の母親のような微笑。その微笑にカウフマンは勇気づけられた。彼は彼女に目礼した。
「さて、ここまでの推論は、いわゆる二値論理を基盤としたものです」
カウフマンはいった。
「しかし、我々の本当の推論様式は、実は二値論理――AがAであるか、非Aであるか、または、BがBであるか、非Bであるかを推論の拠り所とするもの――ではなく、もっと複雑なものです。そこではAがAであるか、非Aであるかを問うのではなく、AはAと似ているのか、それとも違うのか、そしてもし似ているとすれば、それはいったいどのくらい似ているのかという判断を推論の拠り所とするものなのです」
カウフマンは続けた。
「例えば、こんな例を挙げられるでしょう」
彼はにやっと笑った。
「前提一『あの男は顔が長い』。前提二『馬面の男はあそこが大きい』。結論『あの男はすぐに欲情する』。こんな風になります」
黒人機関士のロイ・メルが、彼にはそぐわない真剣な眼差しで大きく首肯くといった。
「なるほど、科学班長、そういった推論形式なら、おれにもよくわかりますよ」
カウフマンはロイに首肯き返した。ワイスコップも理解の表情を示している。
「つまり、その推論は基本的には主語の同一からなされるのだが、それは完全に同じではなく、似たものでもよいということだな。ええと、この場合は〈顔が長い〉と〈馬面〉がニアリイコールで結ばれ、同様に〈あそこが大きい〉と〈すぐに欲情する〉が同じようなものと見なされる」
ワイスコップも真剣な表情で答えた。
「はい。簡単に表現すれば、そういうことになるでしょう」
カウフマンが答えた。
「同じという判断が、まったく同じ(一)、まったく違う(〇)ではなく、〇・七くらい似ているとか、〇・二違っているとかで下されるわけです。……このような推論形式をファジイ(曖昧)推論といいます。一九六五年にカリフォルニア大学のザデーが計算機に人間の判断をさせるひとつの方法として提唱し、デンマークでの応用商品化を経て、一九八〇年代後半、日本で花開いた制御工学理論の要といえるでしょう。日本人が往来持っていた本音と建前などの言語の曖昧構造が、その発展に役立ったというのは面白い指摘です」
ワイスコップがいった。
「ところでジョン、私が励起現実の大まかな構造を尋ねたところからきみのこの高説が始まったわけだが、そろそろ、その結論を聞かせてもらえないかな」
すると、ロイ・メルがすぐ船長に同意した。
「そうそう、科学班長の話は前置きが長くっていけないや。早いとこ結論を頼みますぜ」
「わかったよ。ロイ」とカウフマンが答えた。「一言でいえば、この世界はマクロなレベルで現れた量子の世界だと考えられるということかな?」
カウフマンは、その場の第四の人物をチラッと見てからいった。
「詳しい機構は、もちろん、私にもわかりません。ですが、励起現実と推定されるこの世界が、本質的な統計的曖昧論理から構成されているだろうということは、レンマの惑星上で我々が体験した奇妙な事実から例証されます。それは一見、二項対立の反常識的な混乱のように見えました。が、その裏には、いま私が話したいくつかの推論形式と一部は一致し、一部は一致しない、多値の論理が隠されていたわけです」
「多値の論理?」とワイスコップ。「つまり、きみが最後にいったファジイ推論みたいなものか?」
「はい。おおよそは、そう考えて差し支えないでしょう」カウフマンは答えた。「ただし、そこに現れるあいまい性は、ハイゼンベルグの不確定性関係を基礎に置く、あくまで本質的なものなのです」
「ええと、科学班長?」
ロイがいった。 「不確定性関係ってのは、例の〈位置と運動量〉とか〈時間とエネルギー〉とかいう物理量のどちらか一方の値を確定すると、もう一方の値のわからなさ(不確定性)が無限大になるっていう、あの関係のことですよね?」
「うん、ロイ、きみのいう通りだ」
カウフマンが答えた。
「なにか、こう、わかりやすい例を示してくださいませんかね? もちろん、いまの場合についてですが」ロイが頼む。
「うーん」とカウフマンが腕組みした。「では、よく知られたアインシュタイン‐ポドルスキー‐ローゼン推論の話をしようか」
「簡単にですよ、科学班長」とロイが念を押した。
「わかってるって」
そういって楽しげにニヤリと笑うと、カウフマンは話しはじめた。
「電子や光子などの粒子の〈位置〉と〈運動量〉は同時には測定できません。これは量子力学の検証が始まって以来何度も確認された厳然たる実験事実です。測定という観測行為それ自身が、系がそれまで持っていた性質を撹乱してしまうので、そうなります。それでは、とアインシュタイン、ポドルスキー、ローゼンの三人は考えました。同時刻に粒子の〈位置〉と〈運動量〉を直接同時に測定できないのなら、二つの粒子を使って間接的にそれらを測定すればいいだろうと。つまり、二つの量子力学的粒子を近づけ、相互作用させ、充分な距離放した後、一方の粒子で位置を、もう一方の粒子で運動量を測定すれば、そのどちらからでも、もう一方の粒子の運動量、あるは位置がわかる――不確定性関係の裏をかける――だろうと考えたわけです」
カウフマンはそこで一端言葉を切り、聞き手の反応が充分衝撃的になるように間を見計らった。彼は続けた。
「けれどもその場合でも、やはり粒子の〈位置〉と〈運動量〉を同時に測定することはできませんでした。……我々の常識に反して、二つの粒子の間の情報交換が光の速度を超えるのか、または不確定性関係を何ものにも換えられない量子原理であると認めるかのどちらかを選ばざるを得ない状況が、実験によって導かれたわけです」
「二つの量子力学的粒子の実在性が相互に関連し合っている、ということかな?」
ワイスコップが考え深げに呟いた。
「常識的に考えられる以上の相関が量子力学的粒子には存在し、それを保証しているのが不確定性関係であると」
「はい、船長の仰る通りです」とカウフマンが答えた。「すべての粒子の実在性は、他のすべての粒子の実在性と深く関連しあっています。そして、そういった厳密な曖昧さを持つ粒子の集合を司る論理が、ライヘンバッハたちが一九四四年に提唱した、基本的に分配法則が成り立たない三値論理に端を発する多値の論理――名付ければ、量子統計メタファジイ推論――なのです」
「うーん」と大きく唸ってからロイがいった。「理論が人間の側に戻ってきた。つまり、科学班長はそういいたかったわけですね」
「いいところを突いているよ、ロイ」
親しみを込めてカウフマンが答えた。そして、わずかに淋しそうな表情で、こうつけ加えた。
「もっともそれが必然だったのか、我々が所詮人間的な思考法式から逃れられないからなのかは、私には判断がつかないがね」
「マクロに現れた量子構造と人間の心の原理か……」
誰にともなくワイスコップが呟いた。
「そうやって導かれた多値推論が扱っていた量子現象と、東洋の島国の一学者が一生を掛けて構築し、同じ国の哲学者が改良を加えた心の論理が、構造的にはほとんど同じものだったというのは驚きだな」
「同感です」とカウフマン。「我々としても、今回のような事態に巻き込まれなかったならば、その類似を真面目に取り上げられたかどうか疑問ですね。ちょうど、エリオ・デルフの惑星検疫の仮定が、リレイヤー第五惑星事件に助けられて、異端とはいえ学会に受け入れられたのと似たような経緯でしょう」
「そして今度は、その散逸構造理論がレンマの論理と一体化して、おれたちを救い出してくれるわけだな。ミクロなゆらぎの作り出すマクロなレベルでの秩序構造が、おれたちをこの高次レベルの励起現実から救いだしてくれ……いや、待てよ」
そこまでいってワイスコップは、いままで気がつかなかった励起現実存在の大きな矛盾点に思い当たった。思い違いか? いや、そんなことはあるまい。ワイスコップは戸惑った。素早く思考をまとめると、カウフマンに問いかけた。それは数時間前、マリー・アントワネット号の船内で美人女医の温麗華が思い至ったのと同じ種類の疑問だった。
「例えば、原子や分子の電子が遷移して励起状態に移るためには、それ相応のエネルギーを系の外から貰わなければならないだろう。とすれば、ここ励起現実はいったい何処からそのエネルギーの供給を受けているんだ? そしておれたちがここにいる、つまり励起現実が存在するからには、おれたちが元いた現実――基底現実――は存在していないということになりはしないだろうか?」




