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18 思い出

「せんちょーう、ローイ、ジョーン、フェルー!」

 最後の無線探査から突きとめた船長たち一行の消失点の手前でジープを止めると、目前の森に向かって、エヴリン・パーネルは叫んだ。船長、お願いですから無事でいて下さい。彼女は思った。が、その思いも虚しく、木々の緑が鮮やかな森の中から望む人の答はなかった。

 彼女が乗りつけたジープの横には、船長たち一行の埃にまみれたジープがあった。トランクが開いている。中はぐちゃぐちゃだ。ロイの仕業ね、きっと。マリー・アントワネット二世号の無線通信士は思った。よっぽど急いでいたのね。彼女はすばやくトランクの中身を改め、なくなっているのが軟質プラスチック袋の収納ケースであることを見て取った。が、それが船長たちの消失事件と関係があるのかどうかはわからない。

 次に彼女はジープのダッシュボードにまわり、無線装置のスイッチを入れた。

「こちらエブリン・パーネルです。先生、聞こえますか?」

 返事はなかった。通じていないのかしら? 彼女は無線機のパネルを確認した。異常なしだ。正常作動を示す緑のランプはちゃんとついている。とすると、交信中なのかもしれないわね。惑星周回軌道上のマリー・アントワネット号と……。彼女は思った。失敗したな。割込み連絡の仕方を教えてこなかったもの。それじゃあ、連絡に気がつかなくても仕方ないわね。

 彼女はジープから降りると、欝蒼と茂った森の中を覗き込んだ。腰のベルトの携帯用無線機を右手でポンと叩く。いいわ、連絡はいつだってできるものね。彼女は決心した。もうそれ以上、森に入っていく行為を躊躇したくはなかったのだ。どうしたのよ、エブ、と彼女は自身を鼓舞した。あんた、船長が心配だから取るものもとりあえず、ここまですっ飛んできたんじゃなかったの? 陽気で逞しそうな外見とは裏腹に、本当は自分が弱くて甘えん坊なタイプの女であることを知っている内心のパーネルが、もうひとりのパーネルを激励した。こらっ、しっかりしなきゃ駄目じゃないの!

 日の光は、いくらか蔭りを見せはじめていた。地球の夏時間でいえば午後四時くらいの陽光。暑くはない。適度な湿度と、ときおり頬を撫ぜつける風が気持ちよかった。風が吹く度にさやさやと鳴る木々の梢も、涼しげに鳴く鳥たちも、彼女に敵意を投げかけなかった。ほんのひとかけらの敵意もだ。いい惑星だわ。彼女は素直に感じ取った。そう思うと、ほんのりと温かな土の香りや、彼女を不思議そうに盗み見る猿様生物の存在までもが好意的なものに思えてきた。気の持ちようなのかしらね? さっきまであんなに怖かった気持ちが嘘みたい。彼女は思った。これで船長たちさえ見つかれば、いうことはないんだけどな。

 思えば、これまでわたしはずっと幸福に暮らしてきた、とエブリン・パーネルは感じた。そりゃあ、船長を初め、好きになった人との恋が叶ったことは一度もなかったけれど、何人かの人にはちゃんと愛してもらった。その男の子たちみんなに充分な返礼を返したとはいえないけれど、でもその思いは、いまわたしが生きていく上での大切な宝物となっている。状況を考えると少し不謹慎な気もしたが、彼女にはその回想を押し留めることができなかった。森の温かな雰囲気が彼女の神経系を静かに蝕ばみはじめていたのかもしれない。えーと、あの子はなんていう名前だったかな? あ、そうそう、リョースケ。確か、そんな名前だったわね。頭のいい、薄い褐色の肌をした日本人留学生だった。あの日。お酒の勢いもあったにせよ、普段無口なリョースケ・イシイが、拙いけれども精一杯の威厳を持って、わたしに愛の告白をした。その告白の時間までに、ハイスクールの卒業パーティーは数十組のカップルを作りだしていた。あぶれていたのは、わたしを含めて内気な女の子と男の子が何人か。憧れのティム・パーキンスは既に友人のマーサ・ハートルと表に消えていた。ちぇっ、マーサの奴、その日まで既成事実を隠していたんだわ。わたしがティムにのぼせ上がっていたことは知ってたくせに。早めにいってくれれば、それなりに手は打てたのにさ。ほっと溜息を吐くと、わたしは改めて目の前の薄い褐色の肌の青年を見つめた。リョースケは決して美形ではないし、運動神経も鈍い方だったので、一瞬、釣り合うかなとわたしは思った。でも、いいか。彼氏、わたしを選んでくれたんだもん。

「ありがとう。喜んで、わたし、あなたの申し出を受け入れるわ」

 わたしはいった。そのときの彼の嬉しそうにはにかんだ顔は、いまでも脳裏にくっきりと思い描くことができる。

「素敵なところに連れて行ってね」

 わたしがいうと、彼はいくらか頼りなげに小さく頷き、

「海を見ようね」と表のホンダにわたしを誘った。

 二〇九七年のカリフォルニア湾はその昔の公害の傷も癒えて、広々とした明るい美しさをわたしたち二人に満喫させた。沖合を航行する船は、まるでこの国の希望を世界中にわけ与える使命を持っているかのように、わたしたちには思われた。

「キス、してもいい?」

 ふいにわたしの耳許でリョースケがいった。彼の黒い瞳をまじまじと見つめ、

「ばかね、そんなこと聞くもんじゃないわ」とわたしは答えた。「それともそういうのが、あなたのお国の習慣なの?」

 わざと意地悪くわたしは尋ねた。

「おかしいわよ」

 やはりどこかの恋人たちのカーラジオから、風に吹かれてカントリーミュージックが流れてきた。その土っぽい音楽を耳にしながら、わたしたちはキスを交わした。六月の風にふさわしい紫陽花のようなキスだった。

 彼女の目の端を何か動くものが通り過ぎた。ぎょっとして彼女がそのものの方に目をやると、それはすばやく木の蔭に隠れた。

「出てらっしゃい」と反射的に彼女はいった。

 が、その全身は恐怖に震えていた。何、いまのは? 彼女は思った。そしてベルトの銃に手をやった。大きくはないはね。猿? それとも他の土着生物? 彼女は木の蔭を覗き込んだ。すると、チラッと顔を出したものがある。リスだった。いや、その惑星土着のリス様生物というべきか? 

「こっちへおいで」

 とエブがその生物に手を差し出した。木の蔭から顔を覗かせたリスは、きょときょとと辺りを見まわしている。

 なんだ、ちっとも危険そうじゃないじゃないの!


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