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「ええと、これでいいわね。オープンの無線通信とこの船からの探査ビームをリンクさせてと。……画像プロセッサを繋げば、情報ファイルから画も出るはずよ。まったく、よく出来ているわね」

 温麗華はそう呟くと、計算機制御卓の脇腹をポンと叩いた。

 マニュアルと格闘すること既に二時間、途中数回、惑星表面からの佐伯の励ましもあり、いまやっと船内コンピューターに一時記録したワイスコップたちの会話を再現できるところまできていた。

「でははじめるわよ。スイッチ、オン!」

 彼女のしなやかな指先が制御卓の再生スイッチにゆっくりと押しつけられた。

 時刻は彼らとの連絡が跡絶えた数分前に設定してある。ほどなくディスプレイと拡声器両方から記録情報が出力された。


     *     *     *


 ロイ「裏を見てください」

 ワイスコップ「カウフマン、きみならこれがわかるか?」

 カウフマン「何か書いてありますね」

 ワイスコップ「どうだ、何か気がついたか? きみにわからないとすると、お手上げだからな」

 ミリオリーニ「一体そいつは何なんです、船長? おい、ジョン。おれにもそいつを見せてくれよ!」

 ロイ「みんな、どうしちまったんです? そりゃ、あたりまえの葉っぱに字が書いてあるのは確かに異常ですけどね。でも、わくわくしたが、そんなに大変なことなんですかね? ただのわくわくした(E・x・c・i・t・e・d)が……」

 ワイスコップ「興奮した(Excited)だって? フェル、その葉を見せてみろ!(おそらくカウフマンに)きみが見たこいつには、なんて書いてあったんだ?」

 カウフマン「The Logic of Place(場所の論理)ですが……」

 ワイスコップ「じゃあ、いまきみにはこれが何と読める? どうだ!」

 カウフマン「船長!」

 ワイスコップ「フェル、きみはどうだ!」

 ミリオリーニ「船長、今度は励起した(Excited)と読めます!」

 ロイ「そうだろう! おれが見たのもその文字なんだ。(間)船長、一体こいつは?」

 ワイスコップ「おれにもわからん? 『網なくして淵にのぞむな』の喩えだな」

 ロイ「なんですか、それは?」

 ミリオリーニ「準備を怠れば何も得られないってことだよ」

 ワイスコップ「そういうことだ。おれたちはこの惑星について、まだあまりにも知らなさすぎるんだ」

 ミリオリーニ「あちちち……」

 金属性の音が初めは弱く、後、段々と強く聞こえてくる。それに続いて聞こえる空気の振動音。……そして静寂。


      *     *     *


 カウフマン「船長、あれを見て下さい!」

  何か物の落ちる音。

 ロイ「いったい、どういうことなんだ? このユリが、あの猿の正体だっていうのかい?」

 ワイスコップ「わからんな。さっぱりわからん」

 カウフマン「とにかくこいつを調査船に持ち帰って、分析してみましょう」

 ミリオリーニ「大丈夫かな? 死んで姿を変えた、化けものみたいな奴だぜ」

 ロイ「捨てて帰りましょうや、船長。気味が悪い」

 ワイスコップ「いや、持って帰ろう」

  以下、船長の決断宣言が続く。


     *     *     *


 パーネル「すみません、船長。出るのが遅れてしまって」

 ワイスコップ「何をしていたんだ?」

 パーネル「あの……、先生が変なことを口走るものですから」

 ワイスコップ「変なこと?」

 パーネル「ええ、彼の顕微鏡が自分を見返してきたっていうんです」

 ワイスコップ「顕微鏡が見返す? どういうことだろう?」

 パーネル「さあ、わたしにもそれは……」


     *     *     *


 鍵は三つだわ、と温麗華は思った。

 これでもう十回も、彼女は自分が訝しんだ無線記録を聞き直していた。

 鍵は三つ!

 彼女はもう一度自分に呟いた。

 まず最初は船長たちが拾った謎のメッセージ。そこにはキーワードが二つある。Excited と The Logic of Place だ。

 次は船長たちが見つけた土着生物の奇妙な変貌。猿とユリ。動物と植物。二項対立?

 そして最後は先生の見たと偲しい微生物の変貌。生物と無生物。これも二項対立かしら?

 そのとき艦橋の無線機がビーとなった。先生からの連絡ね、きっと。温麗華は思った。果たして数秒後、佐伯の頭髪の薄い顔がディスプレイに像を結んだ。

「どうですか、調子は?」佐伯はいった。「そろそろ何がしかの答が出たころじゃないかと思うのですが……」

 彼女は佐伯に発見した事実を話した。すると一瞬の沈黙の後、

「こりゃあ、驚いたな」佐伯が叫んだ。「ある意味では、ちゃんと筋が通っている」

 佐伯は本当に驚いたという口調で彼女にいった。が、すぐさま顔を顰めて、

「だが、ありえそうにない」

 船医がいった。「筋が通っているって、本当ですか、先生?」

「たぶん、ひとつの流れとしてはね」佐伯が答える。「だが、ドグ・温、これはあなた自身でもう一度調べられた方がいい」

 ディスプレイ内の引き締まった佐伯の顔を見つめると、船医は日本人学者に尋ねた。「その場合のキーワードは何ですか?」

「The Logic of Place(場所の論理)とTetra Lemma(テトラレンマそれから、たぶん Excited Rearity (励起現実)じゃないかな?)

「励起現実ですって?」船医が叫んだ。「それはどういう……」

「The Logic of Place(場所の論理)とは、日本の草分け的哲学者、西田幾多郎の基本的な哲学概念なんですよ」

 ドグ・温の猜疑を一旦無視して、佐伯はいった。

「誤解を恐れずに言い切れば、場所の論理とは、互いに相矛盾する二つの概念(事象)のより高い段階での統合(止揚)というヘーゲル弁証法の対概念といえる。つまりヘーゲルのそれが体験世界の基本的カテゴリー対、一‐〇、自‐他、生‐死、全体‐部分、統一‐差別、質‐量、生命‐物質などを論理的優位にある前者――すなわち、その概念から出発すれば後者の概念に行き着けるが、その対概念から出発しても前者には行き着けない――から統一しようとしたのとは反対に、それを後者の概念から統一しようと試みた哲学的探求なんだ。東洋思想、具体的にいえば、禅、または大乗仏教の創始者、竜樹 Nagarjunaの四句分別を先鋭論理化しようとした試みといえるね」

「何だか、御伽噺を聞いてるみたいだわ」

 そう呟くと、マリー・アントワネット二世号の船医は考え深げに目を瞑った。穏やかながらも真剣に見えるその表情が時々刻々と変化してゆく。

 うーん、面白いわね。

 船医は思った。

 もう十年以上も昔、大学で精神病理学を受講していたとき、ユングやフロイトに飽き足らず母国の伝統思想に回帰して新たな認識論に心をときめかせたときの興奮した思い出が彼女の胸の裡にわっと膨れ上がった。

 それは東洋的視座とでもいうべきものだった。

 あるいは空の論理。

 西洋的唯物思想的な視座に立てば、それはただ風を切れるだけの無意味な論理と映ることだろう。風を切れても戦争には負ける。この世は現し世だから、せめてあの世で幸せに暮らそう。現実逃避の宗教思想。負け犬の論理。でも、と温麗華は思った。現実に心を病んでいる人たちとっては、どうしてもそうした宗教的な考えが必要な救いとなるんだわ。少なくとも、ある程度自己を回復して、いわゆる真っ当な生活が営めるようになるまでは……。彼女はちょっと苦々しく唇を噛み締めた。だって、もう二度を思いだしたくはないけれど、わたし自身がかつてそうだったのだから……。

 深く考え込むマリー・アントワネット二世号船医の美しい顔が、惑星調査船の無線ディスプレイに大映しになった。

 佐伯はドグ・温の顔にうっすらと浮かんだ理解の表情を見て、ああ、彼女はやはり東洋人だったんだなと改めて感じ入った。これが、いっては悪いがパーネルやペトローヴナ、あるいは典型的アメリカ人であるロイ・メルだったら、おそらく素直に自分の話を聞いてはくれなかっただろう。元型的心的構造の差異。言葉と前言語的意味。もっとも、だからといって、どちらがより優れているなどという馬鹿げた議論を展開する気はさらさらないのだが……。

 佐伯は続けた。

「場所の論理、あるいは否定弁証法的意味合いをはっきりと示した呼び名でいえば〈無の論理〉が提出された一九二六年当時、彼の考えを本当に理解している人はほんの一握りだったんです。反対者は西田の論理は論理じゃない、少なくとも我々の知っている形式論理(対象論理)ではないと彼を非難し、後に山内得立が西洋と東洋の思想の違いを言葉と意味という概念で整理し、さらに下って中村雄二郎がそれを新しい観点から逆照射するまで、西田の論理が唯物論的事物を扱うものではなく、人間の心、意識、あるいは意味を対象とする論理であることに気付いていた人はほとんどいませんでした」

 佐伯は息を吐いた。

「しかし、まあいいでしょう。それ以上の詳しいことはマリー・アントワネット号の船内コンピューターに聞けばわかりますから。。だが……」

 彼は自問するように唇を引き締めた。

「もし、この惑星がいま私が考えたようなレンマの惑星だとすると、そのメッセージを送ってきた何物かとコンタクトするのは、通常の思考様式しか持たない私たちにとっては至難の技かもしれませんね」


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