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Technophobia  作者: 本名
7/9

「いらっしゃーい、久しぶりだね」


そうやって、優しく、別に何かを諭すわけでもなくただ優しく笑いかける店主に適当に挨拶をして、カウンターに腰掛ける。


「こんにちは」


「こんにちはー!」


にひひ


「すっごい、なんていうか、風情あるお店ですね!」


左右に首を振って店内を眺めなながら、彼女はそういった。今日は他に客が居ない。


「汚い店だけどね、そう言ってくれると嬉しい」


 ここに来るのは三度目になる。久しぶりに合う同郷の友人と「飲もう」といったはいいが、若い男女が二人でカジュアルに通えるような流行りの店に予約をし損ねた挙げ句、満員御礼長蛇の列だったためにそいつのおぼろげな記憶を頼りにふらりと入ったのが一度目で、とくになにがあったわけでもないがエンゲル係数0の身の上、金が余った月に魔が差して、独りで入ったのが二度目。パチンコ帰りで自分の子供を”三匹引き連れて”育てたと豪語するばあさんに絡まれたあの日は、店主の「あの子の心に触れるものがないといいけど」という孫を見るような目が痛くて「ハランバンジョウじゃないですか!」と柄にもなく叫んだのを覚えている。実際、店主と、それにあのばあさんの孫と僕は同じ歳なんだそうで


「とりあえず、適当によそっとくわね」


一度目のとき、「うちはね、だしを絶っ対一日で変えるの。牛すじなんて入れちゃうと全部だめになっちゃうから別にしてるのよ。」と語っていたそこのおでんがはたして一般的に格段美味しいものなのか、正直未だにわからない。単に、わからない。


「なにか飲む?」


「僕は生ビールで」


「同じので!」


先に出してくれたおでんをつまんでいると、店主は小松菜に挟んだおにぎりを皿に盛ってくれる。三回目になるが必ず。ありがとうございます!いいのよ、ホント田舎料理みたいなものしかなくてごめんね、いやいやいやいや!パクッおいしいです!グッ、ニコッ。その後店主は2人分のジョッキを持ってきて、僕らは静かに乾杯する。


響く調理器具の音、


たまにかわされる他愛もない会話、


提供される追加の料理と多様な酒、


「お酒は、飲めるの」


「まあね、私強いみたい」


「そう」


「母方も父方も弱いのにね、それに赤ん坊の頃、肝臓に異常値が出たんだって」


「」


「だから、たまにしか飲まない。そんなに気持ちよくもないんだよね、酔わないから。体は火照るし心拍数は上がるけど、ただそれだけ、気分が悪くなることもない」


「なんでだろうね」


「体が火照るか心拍数が上がらないとできないことなんて無いんだと思う、私には。」


「」


「たぶんそれに、理性が厚いのかもしれない、単純に。周りを見ていてふと思うんだよね、酔ってグデングデンになる人はただ、理性が剥がれてっただけでそうなるまでの時間はその人の理性の厚みに対応している」


”理性の厚み”


彼女はたまに、というかおそらく常に、少し厳かな言葉を通して世界を見ている。その事実と、いつものあの快活であほみたいに脳天気な彼女との差異は魚のエラにかかる釣り針のように僕の頭の中に小骨を刺す。


カウンターに肘をつき、左手にジョッキの取っ手、右手を添えて肩をすぼめながら大事そうにビールを飲んだ彼女の目はどことなく大人びていて澄んだ遠くの空を眺めるように黄昏ていた。彼女の剥がれた理性はどこかどこか遠くの潮に流されてしまったようで


「僕はさ」


「うん」


こちらを向いて目を合わせたときの彼女に、いつものような笑みはない。


「万年筆を買ったんだよ」


「それがどうしたの」


吹き出しながら、少し笑った。


「ただ、それを使って毎日書く」


「何を」


「読んだ本の内容、研究の計画、まちまち、手が動くままに」


「けんきゅう」


彼女はその口の形のままジョッキを傾ける。


「5000円ポッチの安いのだけどね」


「文房具にしては高いね」


「だからいいと思ってる。折りに触れたら3万円くらいのものを新しく買おうかななんて」


「」


「つまり、僕は毎日、万年筆から出るディープシーのインクに自分を調律するための、なんていうか、”香り”を見出してる、」


そこまで言うと、彼女はジョッキを両手で掴む力を少し強めたように見えた。


「誰から言われたわけでもなく、誰かをなぞるわけでもなく、ただの105円のペンじゃなくて5000円の万年筆を使うことで」


「別に上手くないよ、その例え」


「」


「いや、まあ、でも、なに。その、言わんとすることはわかるよ。貴方って不器用なんだね、ギターは弾けるのに。」


酔っているのかもしれない。僕は彼女と違って、別に酒に強いわけでは無い。ただ、とにかく、彼女が彼女の剥がされるべき理性を備えたままのあの文章で伝えたかった事がなんなのかずっと考えている。あれを読んでからずっと。”剥がされるべき理性”、なるほど。あのときの小骨。


「私はどう見えてる」


昔、標準状態の男は嫉妬と性欲と競争心でできているという僕に、じゃあ女は極度の利己心だねと答えた人が居たが、彼女は随分と突飛な質問を飛ばしてきた。


「僕には、とても歪に見える。僕は大小白黒の犬に人間の目指すべき指針を見いだせない、むしろあれは無意味なふざけた発言に聞こえる。でも、インスタでノスタルジーを生成し続ける人間たちへの洞察も、青天井の空に向かって走っていくことが余剰人生の答えだと思っている人間への疑問も、あのコミュニケーションの方法も、酒に対する認識も、とても同年代の、しかも君みたいなとてもなんというか可愛らしい女性の持つ考えだとは思えない。」


「…ノスタルジーを生成し続ける人間たち…?」


「僕がいいたいのは」


「私はさ、自殺するような人間は馬鹿だと思ってるの」


彼女は笑いながら一度カウンターに顔を向けた後、その笑顔をこちらに向け、そういった。


「」


「あ、ちょっとまって、でも、レイプされたら私も自殺したくなるかもしれないな。だから、もっと限定的に、身体性を伴っていない認識の重圧によって自らを死に追いやる人間たちは、絶対に間違っている、馬鹿だと思う」


「君は普段どんな本を読んでるの」


「最近は、『読書について』。ショーペンハウアー。あ、これあげる。」


そう言うと、彼女は一冊の本を手渡した。『生の短さについて』。セネカ。


「私達はさ、言葉によって物を考えて、それを人に伝えて、文化を形成して、愛を育んで、知性を高めて、生活を送る。それはウィトゲンシュタインがいうところだけど、それはわかるでしょ」


「言葉によって始まる…?」


「まあ、そんなとこ」


「でも私達の内部、心と言ってもいいけど、そこには、言葉より手前になにかがある、ラベリングされる前の商品、形になる前の混沌がそこには渦巻いてる、私にはそう感じられる」


「それはすごくわかる」


「私達はその混沌、ふわっとしたなにか、スープに見合う言葉を掬って自分を表現する。そして、私は私を感じられる。貴方が貴方になる。あ、これが私なんだなって」


「」


「そのスープはたぶんだけど、過去の些細な出来事、記憶によって作られていくんだと思う。でも、私達って生きていながらにして死を体感することなんてできないでしょ、死の記憶なんてあるわけないのよ。なのになんで、自分を死に追いやることが必然だとおもえるわけ?右手に傘を指してヒトラーの遺影を持って死ぬことがどんなイデオロギーをはらんでいるのかしらないけど、遺作を残して薬で死ぬのほどの悲しみがどれだけのものか知らないけど、それでも、言葉でラベリングされる前のそのもやっとしたものが、死であることなんてありえない」


「えっと」


「馬鹿なんじゃないかと思う、その死を着飾って格好をつけた自分とその悲しみやらイデオロギーやら、社会の自分に対する認識に対する怒りやらに酔って、酔って、陶酔して、初めてDSを買ってもらったときのあのワクワクした感じとか、IPadを買ってもらったときにLINEが使えるあの喜びとか、初恋のキスで舌下面が何故かやけに甘くて不思議に思ったあの淡い思い出とか全部忘れて、自分という人生を微分しきって、”ああ、今の自分はなんてかわいそうなんだろう”なんて、ばっかじゃないの?何様のつもり?」


彼女の頬に涙が傳う。DS,ワクワク、Ipad,喜び、初恋、淡い思い出。単調な単語の羅列に”彼女らしさ”を感じる。


「だから私は決めたの、何があっても、能天気でお気楽でバカな私でいようって、むしろその自分の内部の言葉の前にある混沌に存在するはずのない”死”を選択できる人間なら、どんだけどんぞこにあっても、バカでお気楽な言葉を、イデオロギーを行動を選択できると思わない?私は、そう思ってる。思いたい。そういう信仰のたもとにいる。そうやって生きていきたいの。」


あれ?どうしたんだろう。と言って彼女は、綺麗で真っ直ぐな人指の腹で頬を拭っている。


「あのね」


涙を拭う彼女にそう語りかけたのは店主だった。僕はただ、唖然としていた。


「私、夫の都合でこっちに引っ越してきて、暇だなって始めた店に、いろんな人がやってきて、ほらそこの国立病院のお医者様なんかも来るようになってね。22時に起こされたりするのよ、”まだやってるかい”なんて言って。それで決まって、7杯飲んでいかれるの、本人は多分数えてないんだけどきっちり7杯。そうやって、常連さんができて、お店もほとんど毎日開けるようになって、旅行なんかもゆっくりできなくなっちゃってね。私としては別にそれでも良かったんだけど、ある時ねお医者様のうちの一人がこの本を渡してくれたのよ。」


**『悩むなら、旅に出よ』伊集院静。**


「別に、説教しようってんじゃないのよ。ただのエッセイ集なんだけど、この人の言葉はね、無駄がないというか、エッセイなんてそれ自体無駄みたいなもんなんだけどさ」


店主はあははと笑った


「とりあえずすっきりしてるのね、決して派手でも、面白い流れがあるわけでもないんだけど、疲れてても忙しくてもすっと頭の中に入ってくる感じが好きなの。内容云々ってより。それで私、私の店がそういう店になればいいな、ってふとね、思ったのよ。私は難しいことはわかんないんだけどさ、そういう店になればいいなってそんな感じがしたの」


少しの沈黙が流れた。彼女は笑顔を作って深く息を吸って何かを言いかけたが、店主がそれを止めるかのように続けた。


「その本、読んでみてくれない?それで、私に会う本、小説でもいいし、貴方の好きな本を教えてほしいのよ、最近読みたい本もなくて困ってたから」


彼女は、黙って泣きながら、溢れ出る涙を気に掛けることなく、こくりとうなづいた。ごめんなさい。彼女は誤った。少なくとも僕にはそう聞き取れた。


店内にはすすり泣く音だけが響いていた。


店主は自分の来ていた上着を彼女に着せ、明日の支度のための材料取ってくるわね、と奥に行ってしまった。


僕は釣り上げられたアジのように何度も口をパクパクとさせ、言葉が喉元を通り過ぎようとするたびにそれが自分の言いたいことだとは思えなくなりまた押し黙る、そんな事を続けていた。


”語り得ぬものについては、沈黙せねばならない”


その言葉が脳内をかすめたとき、


「世界は成立している事柄の総体である」


そうつぶやいていた。


痛。


「要は現に僕はどこにもいかずにここにいて、言葉をかけていて、」


イタタタタタ。


「後付でしょ、バカ、」

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