転生伯爵令嬢の推し活ライフ ~推しに好かれて蛙化現象~
推しのアイドルグループがドームに行った。
今日は今まで生きてきたどんな日よりも素晴らしい日だ。
私は一人缶チューハイ片手に月と乾杯をする。
古参ぶるつもりは毛頭ないが、私はこのグループ『Weather』が地下アイドルとして活動し始めた時から彼らを支え続けてきた。
溶かした金額はつゆ知らず、給料の全てを彼らに注いできた。
もちろんグループメンバー全員が好きだが、中でも私の一番の推しは青色担当のクールビューティー、傘木 雨。
182cmという高身長に癖がなくスッキリとした形の目鼻立ち、薄く色づいた桜色の唇、その美しく整った顔立ちによく似合う漆黒の髪、鋭く光る三白眼の黒い瞳。
そのご尊顔どの部分をとっても美しく、それはもうため息が出るほどに。
そんな『Weather』が今日初めてのドームライブを行ったのだ。
大切に育ててきた我が子が親元を離れるような寂しさと、こんなたくさんの人に応援される超人気グループに育ってくれたことへの嬉しさで、ライブ中はずっと涙で視界がぐちゃぐちゃであった。
今まで生きてきて本当によかった。
今日はペンライトを灯りにして寝よう。
残っていた缶チューハイを一気にあおり、ライブの余韻に浸りながら帰路についた時、向こうから何やら怒鳴りのようなものが聞こえた。
どうやら小柄な男が身長の高い男に対して何か言っているようであった。
巻き込まれる前に通り過ぎようと歩みを進めたところで慌てて振り返る。
かなり暗いし遠目ではあったが、十数年追っかけをしていた私にはわかる。
あの高身長、すらっとした手足、その美しいフォルムは傘木 雨、彼であると。
私は下心90%と心配10%で様子を窺うためその場に近づく。
何やら小柄な男が雨に対して、彼女がお前のファンになったから振られたなどと喚き散らかしている。
逆恨みもいいところだ。
こんな人間国宝級のイケメンがいれば全人類ファンになってしまうことは必然のことなのに。
そんなことを考えていた次の瞬間、言い争っていた小柄な男が懐からナイフを取り出し、雨に向かって振り上げた。
「危ない!」
そう言った時には既に体が飛び出していた。
気づけば私は男の前に立ちふさがり、雨を守るようにしてそのナイフを腹部で受け止めていた。
刺された場所に激痛が走り、立っていられず崩れ落ちた私を彼が抱き留める。
「おいお前! 大丈夫か!? しっかりしてくれ!」
ぼやけた視界いっぱいに広がる推しの顔、耳元で心地よく響く推しの声。
「今救急車呼んだから! 意識を保ってくれ!」
握手会以外で初めて触れる推し。
大勢に向けてではなく、私だけに向かって必死に声をかける推し。
……え、まって無理死ぬ。
「まつげなっが……ゴフッ」
日向 瑠奈、28歳。
儚くもそれが私の人生最期の言葉となったのであった。
◇◇◇◇◇
「いやああああああ!!!!」
「お嬢様!? どうかなさいましたか!?」
自分の絶叫に驚きベッドから飛び起きた私。
目の前には初老のおじいさんが私の顔を心配そうな面持ちでのぞき込んでいる。
は!?
私の推しが一気に老けたのだが!?
「意識が戻ってよかった……」
そう言っておじいさんはしわしわの目元をハンカチで押さえる。
違う、どう考えてもこの人は推しではない。
それに私も……日向 瑠奈ではない。
混濁していた意識が徐々にはっきりとしてくる。
28歳とは思えない小さな体、周りを見渡せば自分が住んでいたワンルーム以上の大きな部屋。
そうだ、あれは私の前世の記憶。
ここは前世と違う別の世界。
あの時私は死んで伯爵令嬢ルナ・サンスターシアとして転生したのだ。
最悪だ……推しを目の前にして最期の言葉がアレだなんて。
いつも応援していましたとかライブ最高でしたとか言えばよかった……
「高熱で2日も意識を取り戻されなかったので、ジイはもう心配で心配で……」
おんおんと泣く初老のおじいさんもといサンスターシア伯爵家の執事セバス。
確かに意識を失う数日前から体調が悪かった気がする。
幸か不幸か、私はその高熱により前世の記憶を取り戻してしまったようだ。
「御両親を呼んでまいりますね」
一通り泣き散らかしたセバスはそう言って部屋を出ていく。
私はゆっくりとベッドから起き上がり鏡の前に立つ。
美しい銀色の髪、薄いクリアブルーの瞳、雪のように透き通った肌、お人形のようにくりくりとした目。
推しを守ることができた私へのご褒美だろうか。
天使としかいいようのないこの美少女が私、ルナ・サンスターシア齢12歳の伯爵令嬢であった。
あの後、雨は大丈夫だっただろうか。
もし推しの体に傷でも入っていれば死んでも死にきれないところだった。
今回の事件もまた週刊誌にスキャンダルとしてすっぱ抜かれるんだろうか。
……そんなスキャンダルすら見ることのできない、推しのいない世界線、辛すぎないか。
――コンコン
未来永劫推しに会えないことをメソメソ嘆いていると小さく扉がノックされる。
「お嬢様、病み上がりのところに申し訳ございません。 以前お話しておりましたお嬢様の婚約者様がちょうどいらっしゃっておりまして、ご挨拶をしたいとのことですが……」
扉越しに申し訳なさそうなセバスの声が聞こえる。
そういえばお父様が公爵家の子息と縁談を結んだとか言っていたな。
「入ってもらって構わないわよ」
この年で婚約か。
前世は推しに全てを捧げて生きていたから結婚はおろか彼氏すらいたことなかった。
しかしこちらの世界では私は伯爵令嬢。
それなりの年頃になれば結婚をして世継ぎを設けなければならないのだ。
「無理を言ってごめんなさい。 せっかくの機会だから一度挨拶をしておきたくて……」
扉が開いて今の私と同じ年頃の少年が入ってくる。
「え……」
その姿に私は言葉を失わざるを得なかった。
癖がなくスッキリとした形の目鼻立ち、薄く色づいた桜色の唇、その美しく整った顔立ちによく似合う漆黒の髪、鋭く光る三白眼の黒い瞳。
「初めまして婚約者さん。 レイン・アンブレアランです」
そう言ってぎこちない笑みを浮かべたその顔はまさに、私が愛してやまない推し傘木 雨の幼少期そのものであった。
◇◇◇◇◇
―――――その出会いから5年後―――――
「はあ、今日も推しが美しい……」
私は物音を立てないよう、木陰のそばからひっそりと体を覗かせて今世の推しを見守る。
今世の推しことレイン・アンブレアランは私と同じ17歳の少年に成長していた。
雨は俺様気質、自信家、女好きでスキャンダルの絶えないアイドルだった。
私も何度週刊誌に泣かされてきたことかわからない。
それに比べこっちの世界のレインは公爵子息という立場にも関わらず気弱で消極的な大人しい少年であった。
どうやらこの世界において黒髪黒い瞳というのは不吉の象徴らしく、その容姿のせいで冷遇されてきたのだという。
顔こそ雨と同じであったが、言葉遣いや態度はまるで正反対だったのだ。
その時、私はこっちの世界での使命に気づいた。
――この子を推しに育てよう。
かくして私の推し育成プロジェクトが始まった。
まずは自信をつけてもらうため、私は会う度に彼の容姿を褒めた。
暇があればお茶会を開き、交流した貴族の令嬢達にレインがいかにイケメンでかっこいいかを語り続けた。
さすがに歌って踊れるアイドルになってもらうのは難しかったが、ダンスは私が得意なので基礎からしっかりと教え込んだ。
そして宰相である父に、黒髪黒い瞳は実は選ばれしものにしか現れない特別な物であるという噂をじわじわと広めていってもらった。
こうして地道な努力を続けた結果、彼は推しと同じ、歌えはしないが踊れる、俺様気質、自信家でクールビューティーな少年に育ってくれたのだった。
私はレインと同じ貴族学院に通っているが、クラスも違うため最近では学院で会話をすることはほとんどない。
だからこうして昼休みなどに時間を見つけては、こっそりと推しの様子を覗き見しているのであった。
まあ最近は雰囲気も推しに似すぎていて、話すのも緊張するからちょうどいいのだけれども。
「あれ浮気じゃないの? 大丈夫?」
私がうっとりと推しを覗き見していると背後から声がする。
「……またあなたですか」
そこにはいつもの彼がいた。
透き通るようなホワイトブロンドカラーの髪に青空のような紺碧の瞳。
一度見たら忘れることができない、これまたとってもお顔の整ったイケメンさん。
名前は知らない。
いつからだったか、私がここで覗き見をしていると構ってくるようになった変な人。
「彼、今女の子と腕組んでいたけどいいの?」
「そんなちっぽけなスキャンダルごときでは動じませんのでおかまいなく」
ちょっと腕を組むくらいかわいいもんだ。
こちとら何回週刊誌のスキャンダルを目にしてきたと思っているんだ。
最初のうちはショックこそ受けはしたが、そのうち『それでこそ私の推しだ』と思うようになっていた。
それにこの人間国宝級のイケメンが、私の器で納まりきるはずがないことはわかりきっていることなのだ。
「ルナってほんと変わってる」
この不思議な彼は私の反応をいつも面白がる。
変わってるのは毎日飽きもせず私に構ってくるあなたのほうでしょうといいかけたが、また面白がられるだけなので無視して推しに視線を戻す。
というか私名乗った覚えないんだけどな。
ため口だから家格が上の人だとは思うんだけど。
「話しかけないの?」
「推しは見ているだけで眼福なので大丈夫です」
「推し……?」
「人に薦めたいほど好きな人ってことです」
私は背後から話しかけてくる彼に視線を移すことなく会話を続ける。
レインは小柄な女の子と腕を組みながら何か談笑しているようであった。
時折口角を少しだけあげて作るほほ笑みが、推しのライブトークの時の姿にそっくりになってきたなあなんて思いながらボーっと見つめ続けていると視界に彼が割り込んでくる。
「そのうちとられちゃうかもよ」
「同担OKといいたいところだけど、婚約者だとそうもいかないんですかね……」
「同担……?」
「同じレイン推しってことですよ。 そして邪魔です」
グイっと彼を押しのけてまたレインが見える位置に戻る。
そうだよな、私は今推しの婚約者だもんな……
推しと結婚か……
前世だと推しと結婚なんてありえないことだってわかっていたし、結婚したいとも思っていなかった。
ただ推しが歌って踊っている姿が好きだったし、もし推しが誰かと結婚したとしても幸せになれるならそれでいいと思っていた。
もちろん人生をかけるレベルに大好きだし、結婚したくないという訳ではない。
ただ長年憧れ続けている彼と、自分がどうこうなるというのが全く想像もできないものであったのだ。
いっそこうしてずっと遠くで見守っているほうが性に合っていると思いつつも、自分より家格が上の公爵家との婚約破棄など私の一存でできるはずもない。
それにアンブレアラン公爵家は宰相である父の影響力を求めて伯爵令嬢である私に婚約を申し込んできたのに、それをみすみす手放すことなんてしないであろう。
ポスターじゃない推しの顔が毎日隣にある生活なんて、また私死ぬんだろうか。
私は楽しそうに会話を続けている推しの横顔を眺めながら、一人思考を巡らせるのであった。
◇◇◇◇◇
「あんたさえいなければ!!」
バチンという大きな音と共に頬に鈍い痛みが走る。
平手打ちと共に大きな声を出したのは黒髪黒い瞳を持つ日本人風の小柄な少女。
私はこの少女に話があるからと学院の中庭に呼び出されていた。
名前はなんだったかな……
確かよくレインと談笑していた子だ。
「彼の痛みをわかってあげられるのは私だけよ!」
そう言って彼女は私に向かって声を張り上げる。
なぜ私は突然ぶたれて怒鳴られているのだろう。
あまりに脈絡のない出来事に、私は何を言っていいかもわからず茫然と立ち尽くす。
「あなたがいつまでも縛り付けているから彼は自由になれないの!」
「……彼って?」
「すっとぼけないで! レインに決まっているでしょう!」
とりあえず状況を理解しようと選んだ言葉はさらに彼女の怒りのボルテージを上げてしまったようだ。
そして瞬時に理解する。
彼女もレイン推しなのだと。
「それに私のほうが彼を愛しているもの!」
「まってそれは違う」
黙って聞いていただけの私が食い気味に反論したことに彼女は少し驚いた表情をする。
「こちとらレインを推し続けて早十数年。 年月マウントを取るつもりはないけど重みが違う。 そしてその同担拒否の気持ちもよくわかる。 私も以前はそうだったから……。 だけどね、私たちがいがみあっても何も生まない。 推しはみんなで愛でてのばしていくもだから。 こんなことを言いあっている暇があるなら推しの生き様を少しでも多く目に焼き付けて、その幸せを享受するべきなの」
「……は?」
「それにリアコするのは自由だけど、実際にこういう行動を起こせば迷惑を被るのは推しなの。 マナー悪いファンが多いとそれだけでその推しが世間から悪くみられるし、推しにとっては何のメリットもない。 だから私も今あなたに手をあげられたことは忘れるから、あなたももう私に干渉せず推しを大切にすることだけを考えて」
そう言って私はにっこりと笑って仲直りの握手を求める。
突然早口でベラベラと話し始めた私に呆気に取られていた彼女だったが、暫く茫然としたのち今度はわなわなと震え始めた。
「な、なによ! 婚約者の余裕のつもり!? こ、この! あんたなんてっ!」
顔を真っ赤にした彼女は私に向かって再び右手を大きく振り上げた。
えぇ!?
なんでえ!?
今の和解する流れでしょ!?
――バチンッ!
咄嗟に目をつぶった私だったが予想していた痛みはやってこなかった。
恐る恐る目を開けると、そこにはいつも私に構ってくる彼が彼女の腕を掴み、平手打ちを阻止していたのだった。
「あ、こ、これはその……」
「ブレンダ男爵令嬢。 これ以上の暴力は見過ごせないが……」
「し、失礼いたしますっ!」
顔を真っ青にした彼女はその場から尻尾を巻いて逃げ出す。
そうそう思い出した、メグ・ブレンダ男爵令嬢だ。
元々男爵家の私生児として生まれ、その黒髪黒い瞳の容姿のせいで平民として隠して育てられてき彼女。
だがその容姿が(レインの冷遇を止めるために私が意図的に流した)選ばれしものにしか現れない特別な物であるという噂により、男爵家に正式に迎え入れられたとかなんとか、噂好きの令嬢が言っていたっけ。
「ルナ、冷やさないと。 せっかくの綺麗な顔に痕でも残ったら大変だ」
「あ、はい……」
やはりそう簡単には同担拒否と和解することは難しいようだ。
彼は釈然としない私の手をとり、そのまま医務室へと足を運ぶ。
「彼女を断罪したいなら目撃者として協力するけど」
「え、絶対いりません推しに迷惑かかるだけなんで」
「そう言うと思った」
彼はそのぱっちりとした目を細め、ふふっと屈託のない笑みを見せる。
その表情にいつも邪険に扱っていることをちょっとだけ反省する。
「あの、ありがとうございました」
「君の頬がパンパンにならずに済んでよかったよ」
医務室にはちゃんと医者がいたのだが、彼は医者を制止し自ら私の頬に氷水を当てる。
じんじんする頬に当たるその冷たさがなんとも気持ちいい。
「こういうこと、よくあるの?」
「嫌味くらいはありますけど、さすがに叩かれたのは初めてです」
でもこれもレインが学院のアイドル的存在に成長した証。
今のレインを見れば昔冷遇されていたなんて誰も思いやしないだろう。
私の推し育成計画は見事に完遂されたのだ。
彼は私の返答にそれなら良かったと安堵する。
「……あの、何で私に構うんですか?」
そんな彼に私は率直な疑問をぶつけてみる。
「うーん、なんか目が離せないんだよね」
「は、はあ……」
私のことを子どもか何かだと思っているのだろうか。
前世でも今世でもあまり男の人との関わりがなかったせいか、この人の行動の真意が理解できない。
いや、そもそも前世なんて会社以外の人付き合いほぼ0だったような気がしてきた。
文字通り、推しに人生を捧げて生きていたのだ。
「ほんと、婚約者がいるのがもったいない」
「え!? あなたもレイン推しなんですか!? だから私に構っていたんですね!? 確かに私は婚約者ですがレインを独り占めしようとは思っていません。 むしろレインの尊さをみんなに布教し続けていくつもりですのでそこはご心配なく!」
「……なんでそうなる」
「あ、あれですか、推しを独り占めしたい派ですか? そうは言われましても伯爵令嬢ごとき私の一存では婚約破棄できません。 レインも私のことをどう思っているかはさておき、サンスターシア家の力を必要としてくれているので、そこは推しの幸せだと思って婚約していることは許していただきたいです」
そこまで一息にしゃべり終えてから、彼のなんとも言えない表情を見てハッと我に返る。
やば、また早口出ちゃってた。
「よ、要約すると同担……同じレイン推し歓迎なので仲良くしようってことです」
私は焦る心を抑え引きつった笑みを浮かべながら、今度こそはと握手を求める。
彼はそんな私に何かを言いかけたが、諦めたかのようにフッと鼻で笑った。
「君と仲良くするのは歓迎だよ」
そう言って彼は私の手をギュッと握り返す。
「やった! えっと…… お名前は?」
「え、私のことご存知ない……?」
「……ごめんなさい」
私の発言に彼は心底驚いたような表情をする。
自分のクラスですらまともに覚えていない私が、ほかのクラスの生徒の名前を覚えているはずもなく……
彼は私のことを知ってくれているので余計にとても申し訳ない気持ちになる。
「……エドでいいよ。」
「エドね、ちゃんと覚えました! 同士よ改めてよろしくです!」
私は初めて推し仲間ができた喜びに打ち震えながら、握手していた手を上下にブンブンと振り回すのだった。
◇◇◇◇◇
事件というものはいつ何時起こるかわからない。
「メグに対する数々の嫌がらせ、心底軽蔑した! よって俺は今日ここに婚約破棄を宣言する!」
今日は学院の創立記念パーティー。
皆が教養として学んできた楽器を演奏したり、ダンスを踊ったりしながら生徒同士の交流を深める大切な日である。
その会場のど真ん中で堂々とそんな宣言をするものだから、周りにいた人達にも聞こえてしまい会場が騒然となってしまった。
レインはその美しい顔に嫌悪の表情を浮かべ、私のことを指さす。
そのそばにはレインの腕を掴み、身を隠しながら小さく震えるメグ・ブレンダ男爵令嬢。
状況が理解できない私はさぞ間抜けな顔をしていることであろう。
「嫌がらせ? それってどういう……」
「とぼけても無駄だ。 証人もいる。 俺への嫉妬にしても見苦しいにもほどがあるぞ」
そう言ったレインのそばには数人の男たちがいた。
全員何か見覚えがあるなと思ったら、いつもブレンダ令嬢のそばに取り巻きのようにいる男たちだ。
もちろん嫌がらせなんてした覚えは全くない。
そんなことをしている暇があるなら推しを眺める時間に費やすに決まっている。
「それにメグのことを殴ったこともあるそうだな。 手をあげるとはなんて暴力的な女なんだ」
「え! それはメグさんが……」
「酷いですルナさん! 罪を認めて謝ってください! そうすれば私、あなたのこと許します」
「メグ……君はなんて心が広いんだ」
瞳を潤ませながら震える演技派女優ブレンダを守るかのように、レインは私の前に立ちふさがる。
目の前で繰り広げられる茶番劇に思考が追い付かない。
なんてことだろう、私はレインのダンスが見られるこの日を今か今かと待ち遠しくしていただけなのに。
同担への恨みがここまで深いとは思ってもみなかった。
「さあ、メグに謝罪をするんだ」
そう言ってレインはその大好きな顔で、声で、私に詰め寄る。
レインの推し化計画は完全に私の趣味だ。
それで彼の冷遇されていた環境が良くなろうと、彼の周りに人が溢れるようになったとしても、感謝されたいなどとおこがましいことは一度も思ったことはない。
最近まともに話してくれなかったとしても、ほかの女の子と仲良くしていたとしても、それが推しの幸せになるならと本気で思っていた。
婚約破棄だってもしレインに本当に好きな人ができてそれを望むのならば、もちろん受け入れるつもりだった。
それなのに、事実無根の罪で目の敵とも言わんばかりにこんな大勢の前で辱めを受けさせるなんて……
「まさに完璧な推し!!」
「は?」
「あ、いえ。 謝罪でしたわね。 嫌がらせした覚えはないですが、何か不快な気持ちにさせていたなら謝ります。 ごめんなさい」
そう言って深々と頭を下げる私を見て、レイン達は目をパチクリさせる。
暫く会話しないうちにレインが完璧な推しに近づいていたことに、私は涙が溢れそうになるのを必死にこらえる。
懐かしい、彼が私をなんとも思っていないというこの悔しさ……
前世で雨を推していたとき、私は自分がトップオタだった自信はある。
雨はその俺様気質で自信家な性格もあってか、『Weather』の中では人気のあるほうではなかった。
特に地下アイドルのころなんて、こんなに美しいご尊顔をしているのにファンがほぼいなかった。
その中で私は毎回握手会も参加、ライブは必ず最前列、グッズはお給料の許す限りで雨の物を買っていた。
ここまでしていればさすがの雨でも私のことを覚えてくれただろう、そう思っていたとき、握手会で彼に言われた。
「初めまして」って。
ここまでしているのに全然認知していてもらえなかった悔しさでいっぱいになったが、それ以上にその媚びない姿勢に雨らしさを感じて余計ファンになってしまった。
いつか彼に認知してもらえるようにと更に貢ぎ続けるようになったのは別の話として、とにかくレインが前世の雨に重なって懐かしくも愛おしく感じてしまったのであった。
「ひ、人がたくさんいる前だと急にしおらしくなるんですねルナさん!」
レインや取り巻きの男たちが何も言えず立ち尽くしているのにしびれを切らしたのか、ブレンダ令嬢がそう声を張り上げる。
「そうですか? 私あなたと話すの2回目ですけど」
「ち、違います! い、いつも私はあなたに陰口を……」
私の対応が意外だったのか、上手く私を陥れることができずブレンダ令嬢は言葉が尻すぼみになってしまう。
困った、このままじゃ話が平行線だ。
「さすがに非常識過ぎるんじゃないかな、アンブレアラン公爵子息、ブレンダ男爵令嬢」
どうしようかと困って項垂れていると背後から聞きなれた声がする。
「……エド?」
「エドワード王太子殿下!?」
「は!? 王太子殿下?」
驚きで素っ頓狂な声が出る。
見間違いかもしれないと二度見するが、そこにいるのはいつもわたしに構ってくる変な人もといエドで間違いなかった。
「……その反応、やっぱり知らなかった?」
「た、大変申し訳ございません……」
エドは顔面蒼白になる私を見てまた面白そうに笑う。
もちろん、同じ学年にエドワード王太子殿下がいるのは知っていた。
でもそれがエドのことだとは知る由もなかった。
だ、だって推し以外に割く時間もったいないじゃないですか!?
やば、結構邪険に扱ってしまっていたけど私大丈夫かな……
「アンブレアラン公爵子息、君はもう少し場を弁えたほうがいい。 今日はみんなが楽しみにしているパーティーの場だ。 そこでこんなか弱いレディを寄って集っていじめるなど言語道断」
「し、しかし彼女はメグに酷い仕打ちを……」
「確かに私はブレンダ男爵令嬢がサンスターシア伯爵令嬢に手をあげるのなら見たことがあるが」
「……え?」
「医師の診断書もある。 必要なら持って来ようか?」
エドは私と話しているときの楽しそうな口調ではなく、有無を言わせぬ威厳のある口調でそう告げる。
あれ、もしかして私のことかばってくれている……?
「れ、レイン! それは違うの!」
「ブレンダ男爵令嬢、私が嘘をついていると?」
「あ、いえ、決してそういう訳ではなく……」
ブレンダ令嬢のその反応にレインも彼女の取り巻きの男達も一体どういうことだと彼女に詰め寄る。
あれだけ盛り上がっていたパーティー会場は、ものの数分で地獄絵図と化してしまっていた。
「ではここで君がサンスターシア伯爵令嬢に受けたという嫌がらせについて、事細かに事情を聞くとしようか。 もちろん君が彼女にした仕打ちについても聞かせてもらうけど」
「あ! ああ~! なんか嫌がらせされていたの、なんだか気のせいだった気がしてきましたぁ~! お騒がせしてすみませんでした~!」
先ほどまで強気だったブレンダ令嬢は慌ててその場から脱兎のごとく逃げ出す。
レインも取り巻きの男たちも訳がわからないといった表情でその場に立ち尽くす。
一体彼女は何がしたかったんだ……
「さあ、今日は一年に一度きりの楽しい日だ。 皆もこの夜を楽しんでくれ」
いつの間にかいつもの爽やかな笑顔に戻ったエドが、シンと静まり返った会場でそう声を出す。
それを合図にこちらを見ていた人達はそれぞれ散り散りなっていく。
「あ、ルナ、その……」
「アンブレアラン公爵子息、彼女は君の発言に大変傷ついているようだ。 また日を改めたほうがいい。 行こうかサンスターシア伯爵令嬢」
「え、別になんとも……い、いえそうですね傷ついていますとても!」
なんとも思っていませんと言おうとしたが、こちらを見てきたエドの顔の圧が凄すぎて慌てて話を合わせる。
私はエドに手を引かれそのままパーティー会場を後にする。
「さっき泣きそうだったけどほんとに傷ついてないの?」
2人きりになった途端いつも一緒にいるときの感じに戻ったエドが、心配そうに私の顔を覗き込む。
「あ~あれは推しが理想の推しになりすぎて感動したというかなんというか……」
「え、趣味悪! 心配して損した」
「なにを! エドもそういうレインのことを推してるんじゃないんですか!?」
「私は彼のこと推してるとは言ったことないけど」
「え!? 違うの!?」
「君と仲良くするのは歓迎だよって言っただけだよ」
言われてみれば確かにそうだったかもしれない。
勝手に自己完結してしまっていた。
「というか、エド……じゃなくてエドワード王太子殿下が王太子殿下だったなんてミリも聞いていませんが!」
「エドでいいよ。 普通貴族なら自国の王子の顔くらい知っているものかと思っていたけど」
「……確かにそうか、私が100悪いですね」
そういうと何がツボったのか、エドはそうだねといいながら肩を揺らして笑う。
仕方ない、推し育成計画に全てを捧げ過ぎた自身の落ち度だ。
「婚約破棄、やっぱり悲しい?」
「そりゃ推しと結婚できなくなるのは悲しいですけど、私には陰から応援しているのが合っているような気もするのであんま考えないことにします」
元々政略婚だしレインの心は初めから私に向いたことなど一度もなかった。
どうせ今後も私に向くことなどないのであれば、いっそ遠くからそのご尊顔を見守っているほうがいいのかもしれない。
「じゃあ私と婚約してみない?」
「……え? 誰が誰と何ですって?」
「私と、ルナが、婚約。 どうかな?」
意味がわからず聞き返したがもう一度同じ答えが返ってくる。
この人は正気か?
一国の王子様が何さらっと婚約しようとしているんだ?
「もちろん君の行動を制限することはないと約束しよう。 それにいくら宰相の娘だとしても、公爵家に婚約破棄された令嬢に婚約を申し込むのは中々難しいものだろう? その点私なら何も問題ない。 君の父上も喜んでくれると思うんだけどなあ」
急な早口でまくし立て、にっこりと不敵な笑みを浮かべるエド。
確かに一度婚約破棄された令嬢は何か問題があったと思われ世間体が悪く敬遠されがちである。
家格が高い公爵家に婚約破棄されたとなれば尚更世間の目は厳しいだろう。
そのまま行き遅れてしまえば修道院送りが一般的だ。
そうなると推し活は絶望的になる。
つまりこれはとんでもなくありがたい提案なのだが、エドのメリットがわからず逆に恐ろしくすら感じてしまう。
「も、目的は……」
「目的?」
「そこまでして私と婚約するメリットがわからないです。 宰相の父の影響力ですか?」
私はエドを疑いの目で見ながらそう話す。
私のその反応に今度は声を出して笑うエド。
「ふふ、そうだね。 ルナの言葉を借りて言うなら……君が推しだからかな」
「……はい!?」
わ、私が推しですか!?
「確かに興味のきっかけは宰相の娘だったからだけど、アンブレアラン公爵子息を追いかける君の姿がなんだかとても面白くて、そんな君のことを気に入ってしまったんだ」
子どものように無邪気な笑顔で笑うエド。
今まで意識したことなかったけど、ご尊顔レベルで行くとレインにも負けず劣らずの顔でその笑顔をされると、さすがに心拍数が跳ね上がる。
「もう一度言わせて。 そのままの君で構わない。 私の婚約者になってくれないか?」
跪きその手の甲にキスをする姿はまるで物語の王子様のようで……
これが推し以外の人間にときめいてしまった、初めての瞬間となったのであった。
◇◇◇◇◇
「失礼しますお嬢様、レイン様がお嬢様に会いたいといらっしゃっているのですが、いかがいたしましょうか?」
私の部屋にノックの音と共にセバスの困ったような声が響く。
私は恐る恐る隣にいたエドに視線をやると、彼は少し不満気な表情になりながらもいいよと肯定する。
「入ってもらって構わないわよ」
そうセバスに返答すると数秒のちに扉が開かれ、久しぶりに見る推しの姿がそこにあった。
「なぜここにエドワード王太子殿下が……」
扉が開くや否やぎょっとした表情でエドを見つめるレイン。
なぜなんて私が聞きたい。
話があるからと訪問してきたはいいものの、話し出すことは他愛のないことばかり。
どうしたものかと困っていたので、レインの訪問に二重の意味でガッツポーズをする。
「何か問題でも?」
「ルナと2人きりで話をしたいのですが……」
「私の婚約者と2人きりは困る。 ここで話せばいい」
「……! やはりあの噂は本当なのですね!?」
本日2度目のぎょっとした表情をするレイン。
噂というのは私とエドが婚約するということだろう。
ただでさえ三度の飯より噂話が好きな貴族界隈だ。
創立記念パーティーで起きた出来事は瞬く間に貴族の間で話題となった。
そのうえエドが私を連れて会場を退席し、その後婚約式の準備を進めているというのだから、学院でもずっとその話題で持ち切り。
周りに問い詰められることばかりでこの数日まともに推し活などできやしなかった。
「ルナ、今日は君に謝りに来たんだ」
全く出ていくつもりのないエドのことは諦めたのか、私を見てレインはそう話し出す。
レインの訪問がそもそも久しぶりだし、こんな近距離で話すのも創立記念パーティーでの出来事を除けば数ヶ月ぶりだったような気がするので少し緊張する。
「ルナ、本当にすまなかった。 あの後よく調べてみたら君がメグにしたという嫌がらせは全部嘘だったとわかった。 俺が証人として用意していた男たちも、メグに好かれたくて嘘をつくつもりだったらしい」
レインは悲しそうな表情になりながらもポツリポツリと言葉を続ける。
正直、ブレンダ令嬢の推しに対する熱量には感服する。
それが他人を陥れるものでなければ、良き友人になれたのではないかとさえ思う。
「改めて思い返してみれば俺、ルナにしてもらったことばかりだった。 いつも一歩下がったところで俺のことを支えてくれていたことにようやく気付いたんだ」
推しに人生を捧げるのは当たり前ですからと言おうと思ったが、レインが今まで見たことのないあまりにも真剣な目つきで私のことを見るので逆に何も言えなくなってしまう。
その目つきに私がおろおろしていると、突然レインの両手が私の両手を包み込んだ。
「ルナ、お前のことが好きだ」
……ん?
「だから俺の婚約者に戻ってきてほしい」
……んんん?
んんんんん!?
今なんとおっしゃいました!?
「あ、アンブレアラン公爵子息! ルナは私と既に婚約を……」
「まだ俺とルナは正式に婚約破棄されていません! 今はまだ俺の婚約者です!」
慌てて制止するエドに声を荒げるレイン。
レインの言っている意味が理解できない私は手を掴まれたまま茫然と立ち尽くす。
「いなくなって初めて気づいたんだ。 もう一度言わせてくれ……お前が好きだ」
それは今までに聞いたことのない、脳を溶かすような甘い甘い囁き。
レインのキラキラと輝く黒い瞳はまっすぐに私だけを捉えている。
ずっとずっと大好きで、彼のために一度は人生までも投げ捨てた。
そんな大好きな推しが、私のことを好き……?
「……り」
「え?」
「私のことが好きな推しとか無理いいい!!!」
私の突然の大絶叫に驚き手を放すレイン。
いや好きよ、好きだったはずなんだけどさ!
なんか無理、無理無理無理!!!
追っかけているからいいのであって、私のことが好きとか求めてねえ!!!
いやどうしよめっちゃ気持ち悪い!!!
これが俗に言う蛙化現象ってやつか!?
「ブフッ!」
「いや待ってエド、笑いごとじゃないんですって! 推しが無理になっちゃったどうしよう生きがい死んだ」
「ルナほんと最高だわアッハッハッハ」
全力でレインを嫌がる私を見て、笑いを堪え切れなかったエドが噴き出しお腹を抱える。
そんな予想だにしない展開にぽかんと口を開けて固まるレイン。
「る、ルナ、やっぱり怒っているのか? ど、どうすれば……」
「いやそういうのじゃなくてなんか急にフッと冷めちゃったというかなんというか……私が悪いのでどうにもならないです」
さっきまで好きだったはずの推しが私のことが好きだと思うと気持ち悪くて仕方ない。
手の届かない推しだからこそ、全力で愛すことができたのかもしれない。
「だそうですよアンブレアラン公爵子息。 自業自得。 お帰りください」
エドはまだツボから抜けきっていないのか、微妙に肩を揺らしながらレインを部屋の外へと押し返す。
「あ、そうそう。 アンブレアラン公爵家は私の弟……第二王子派閥だったよね。 君の父上は君を宰相の娘と結婚させて弟を王位に近づけようとしていたのに残念だったね。 あとブレンダ男爵家だけどいろいろ良くないお金の流れが確認できたから、近々なくなるかもしれない。 君があの子を支えてあげるといいよ」
レインを外に追い出す時、エドが笑いながらしれっととんでもないことを言っていたような気がするが、生きがいを失った私にとってはどうでもいいことであった。
「はあ。 私の生きがいが終わった……」
「どう、今度は私を推してみない?」
絶望で机に項垂れる私を見てエドがそうにっこりと笑う。
レイン以外が眼中になかったせいでエドを推すとか考えたこともなかったが、確かにイケメンだしかなり好みではある。
それにすらっとした長い手足に華やかさのあるテノールボイス。
……これで歌って踊れば最強なのでは?
「悪くないかもしれない……」
「でしょ」
私の返答に満足気な笑みを浮かべたエド。
その笑顔にふと雨に初めて出会った時のことを思い出す。
彼も地下アイドルで頑張っていたころはこんな笑顔をよくしていたな。
「……決めました、私推し変します! エドを王国一のアイドルにするわ!」
「え、何どういうこと」
「エド、一生推し続けるので覚悟してくださいね」
戸惑うエドの手を掴み、私は決意を新たにする。
にっこりと笑った私を見て、彼もまた面白そうに笑うのであった。
かくして新たな生きがいを見つけてしまった私の推し活により、エドが歌って踊れる王様になる日もそう遠くはないのかもしれない。
ご覧いただきありがとうございました!
良ければ皆様からの推し活(評価&ブックマーク)お待ちしておりますッッッ!
続編作成するかも。