お片付けな午後【前編】
「――おい! ミツキ!」
「へ? わ、わわっ!?」
背後から鋭く名を呼ばれた瞬間、頭上からドサドサドサッと大量の本が雪崩落ちる。ぎゃっ!?
反射的に頭を抱え込もうとした私を、大きな体が覆いかぶさるようにして抱き締める。痛みを覚悟して息を詰めながら、私は力強い腕にすがりついた。
きつく目をつぶって待つものの、しばらく経っても何の衝撃も襲ってこない。
「びっ……くり、した」
恐る恐る顔を上げれば、少しだけ痛そうに顔をしかめたヴィクターと目が合った。私は瞬きして彼を見つめ、途端にはっと我に返る。
「ごっ、ごめんヴィクター! 大丈夫!?」
ヴィクターは無言で首肯すると、そっと私を腕から開放した。叱りつけるみたいに、ぺしっと私の額を指で弾く。
「上の方は俺に任せろと言ったろう。お前は自分の服と小物類の整理でもしていろ」
「や、でも私のために部屋を空けてくれてるんだから。ヴィクターだけに働かせるわけにいかないよ」
口を尖らせれば、ヴィクターはふっと頬をゆるめた。
床に散乱した本を集めだしたので、私もすぐに彼を手伝う。硬い装丁の分厚い本に、これが直撃したらたんこぶ確実だったな、と今更ながらぶるっと震えた。
本を置いて立ち上がり、屈んだヴィクターの頭を慎重に確かめる。硬い髪に指を突っ込み、両手で豪快にわしゃわしゃ、わしゃわしゃ。
「……なんだ」
ヴィクターがじろっと私を見上げる。
(あれ? なんだか……)
この体勢ってば、新鮮かも? たまには目つきの悪い大男を見下ろすのもいいものだ。
なんだか楽しくなってきて、私は調子よくヴィクターの頭をかき混ぜる。
「怪我の確認中! どうですか、痛いところはありませんかー?」
「……よく、わからんな。もっときちんと確認しろ」
「ではここはどうでしょう。痛い、それともかゆい?」
「しいて言うならば、くすぐったい」
しばし無言で見つめ合い、ややあって二人同時に噴き出した。
乱れてしまった髪を手ぐしで整え、最後にぽんと優しく叩く。
「はい、終わり! たんこぶはなかったみたい、さすが騎士団長様は頑丈だね」
重ねた本を持ち上げようとしたら、腰が抜けそうになった。重っ!
ヴィクターがくくっと笑う。
「だから、これは俺がやる。ちょうどいい機会だから、古い物は処分する事にしよう」
「了解、なら代わりに掃除は任せて!」
お言葉に甘えて、私はハタキを手にして立ち上がった。
今日は騎士団の休日を利用して、物置だったこの部屋を二人で片付けている。
物置とはいっても、狭苦しくもなく窓も大きな立派な部屋だ。なんなら実家の私の部屋よりずっと広い。
ヴィクターの部屋と直接繋がっているため、これまでは不要になった物を放り込んでおくクローゼット代わりに使っていたらしい。お金持ちって贅沢だよね。
空になった本棚にハタキをかけつつ、これから私の個室になる予定の部屋を見回した。
「本当は私用の部屋はいらないつもりだったんだけど。やっぱり人間として生活していく以上、だんだん物は増えていくもんねぇ……」
その最たるものは服である。シーナちゃん時代は全裸でよかったのに。
普段着に仕事着、ちょっと小じゃれたお出掛け着、それから部屋着にパジャマも必要。
いや、夜はどうせシーナちゃんになるんだけど、お風呂上がりにはやっぱりパジャマを着てくつろぎたい。時にはお酒を飲みつつくだらない話をして、ヴィクターとまったり過ごす時間は何にも代えがたいのだ。
ちなみに呪いが解けた今では、シーナちゃんから人間に戻った時に着ている服は、最後に着ていたのと同じ物になる。
つまりはパジャマ姿でシーナちゃんに変身したら、人間に戻った時ももちろんパジャマ姿のままということ。町中でうっかりやらかそうものなら、恥ずかしくて外を歩けなくなってしまう。
てなわけで、朝の身支度はとっても大事!
「鏡台はこの辺りに置いてもらおうかなぁ。ロッテンマイヤーさんがお下がりをくれるって言ってたの」
「……新しいのを買えばいいだろう。別に、俺がそのぐらい」
「だめだめ。服も靴も古着で構わないって言ったのに、ヴィクターもロッテンマイヤーさんもどんどん新調しちゃうんだもん。節約できるところはしなくっちゃ」
不満そうなヴィクターにしかめっ面を向け、私はうきうきと計画を立てる。
カーテンは明るめの色がいいな。あ、それからお茶を飲むのにちょうどいい、小さなテーブルと椅子があれば嬉しいかも。お屋敷の中に使っていない物がないか、後でロッテンマイヤーさんに聞いてみよう。
(それから、それから)
「ね、ヴィクター。ベッドは窓際に置けばいいよね?」
「…………」
ヴィクターがなぜか黙り込む。
どうしたのかな、と首を傾げる私に、ヴィクターはすうっと目を鋭くした。
「ベッドはいらんだろう」
放り投げるようにして告げ、そっぽを向いてしまう。
なぜか急に機嫌が悪くなってしまった男に、え、と私は目を丸くした。
「で、でも、ロッテンマイヤーさんがアドバイスしてくれたんだよ。風邪を引いたりして具合が悪い時もあるだろうから、ベッドも念のため用意しておくと安心だって」
「必要ない。その場合は俺が看病するのだから、俺達は同じ部屋で眠るべきだ」
「…………」
ヴィクターに看病なんて高等スキル、あるのかなぁ?
大いに悩みつつ、私はヴィクターの前に回り込む。背伸びして彼の不機嫌な顔を覗き込んだ。
「ね、でも万が一ヴィクターに風邪を移しちゃったら大変だし」
「移らない。俺は生まれてこの方、風邪など引いたことは一度も無い」
「そうなの?」
なるほど、きっと前世でのルーナさんの祝福のお陰なのだろう。頑健な体に恵まれますように、って祈ってくれてたから。
嬉しくなって笑顔になる私を、ヴィクターがちらりと見下ろした。
「滅多に使わんベッドを買うなど、それこそ不経済だ。節約しろと言ったのはお前だろう」
「……使ってないベッドがありますよ、ってロッテンマイヤーさんが」
「それはロッテンマイヤーの勘違いだな」
いけしゃあしゃあと告げられて、とうとう私は噴き出した。
ヴィクターってば、どんだけ私と一緒に寝たいのよ! 寂しがり屋さんか!
後編は本日午後に更新。
明日はまた別の番外編を投稿します!