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91.心から、望むのは

 ヴィクターは黙ったまま緋色の瞳をすがめた。

 ゆっくりと壇上に上がり、私と向かい合う。こんなに近くにいるのに、呼吸は少しも苦しくならなかった。


 シーナちゃんではなく、人間として彼と見つめ合う。体格差は充分に縮まったはずなのに、それでもヴィクターは見上げるほどに大きかった。


「――緋の王子、ヴィクター」


 声が震えないよう、お腹の底に力を入れる。


「月の聖獣たる私を保護し、今日まで護り慈しんでくれたこと。(あるじ)たる月の女神ルーナに代わり、心よりお礼申し上げます」


「…………」


「えー……つ、つきましては、ですね。ルーナ様は感謝のしるしとして、あなたにぜひとも祝福を与えたいと言っていま……じゃない。おっしゃっておられます、のです!」


 いかん。

 神様の代理っぽくしゃべりたかったのに、なんだか下手くそなビジネストークみたいになってきたぞ。


 鋭い眼差しを向けるヴィクターから、逃げるように目を逸らす。


(だ、だってヴィクターが怖い顔で睨むから〜〜〜っ!)


 どうしてこんなにも迫力があるの。

 儀式は成功したんだから、もう少しやわらかい表情をしてくれてもよくないか。ていうか、何か怒ってる?


 いじけそうになりつつも、負けるもんかとキッとヴィクターを見上げる。


「ルーナ様は、あなたに加護を与えるとおっしゃいましたっ。そう、生涯ずっと、あなたが命を終えるまで」


「いらん」


 ヴィクターが不機嫌にさえぎった。


 一瞬何を言われたのかわからなくて、私はぽかんと立ち尽くす。

 地上の人々がざわざわと騒ぎ出した。なんたる不遜な、身の程知らずめが、と吐き捨てる声もする。


(え? え?)


 混乱する私に、ヴィクターが荒々しく歩み寄った。険しい表情で私を睨み据える。


「そんなものは、一切いらん。女神の加護も祝福も、俺ではなく他の者たちに与えればいい。一個人にではなく、あまねくこの国に行き渡らせろ」


「え……、で、でも」


 圧倒されて、私は思わず後ずさる。


 どうして?

 ルーナさんの後ろ盾があれば、きっとヴィクターは国中から尊敬を集められるのに。意地悪神官たちだって、これまでの無礼を詫びてくるはずだ。


 私はごくりと唾を飲み、震える手を握り締める。


「わ、私は……ルーナ様はただ、あなたにお礼がしたくって」


「俺が望むのは、女神の祝福などではない」


 低い声で告げるなり、ヴィクターが一歩足を進めた。

 ヴィクターが近づくのを、私はただ茫然として見つめる。強い意志の宿った瞳にからめとられて、体が少しも動かない。


 硬直する私に、ヴィクターがたくましい腕を差し伸べた。


「俺が望むのは、ただひとつ。――お前だ、シーナ」


「……え」


 目を丸くして、馬鹿みたいに立ち尽くす。

 ヴィクターはただじっと待っていた。私は差し伸べられた手とヴィクターの顔を見比べて、かすれた声を上げる。


「……わたし?」


「そう。お前だ。役目を終えて、月の女神のところへ帰るつもりだったのかもしれんが、そうはさせない。カイルも薦めんぞ、あいつは狭苦しい寮暮らしだからな。聖堂に住むキースなどはもってのほかだろう」



 ――だからお前は、俺の元に来い。



 そうきっぱり告げて、ヴィクターはにやりと笑った。


「……っ」


 心臓がどくんと跳ねて、頬が一気に熱くなる。

 あわあわと動揺するのは私ばかりで、ヴィクターは余裕の表情を崩さない。けれど微かに、その手が震えているのに気がついた。


(……もしかして)


 ……怒ってるんじゃなくて、怖がってた?

 私がどこかへ消えてしまうんじゃないかって。自分から離れていくんじゃないかって。


(そんなわけ、ないのに)


 私のいたい場所は、他でもないヴィクターの隣なのに。

 たとえ元の世界に帰れたとしても、離れ離れになることなんて、ちっとも考えられないっていうのに。


 おかしくて嬉しくて、お腹の底からじわじわと笑いが込み上げてくる。

 必死でこらえて真面目くさった顔を作り、私はわざとらしく首をひねった。


「えぇと、でも私、人間になったらもう特別な奇跡(キセキ)は使えなくなっちゃうかもしれないよ?」


「別に構わん」


「本当に普通の、当たり前の人間になっちゃうんだよ? あっそれに私、こう見えてすんごい大食らいなんだから! 美味しいごはんも甘いお菓子もいくらでも食べちゃって、ヴィクターの重荷になっちゃうかも!」


「大歓迎だ」


 大真面目に返されて、とうとう私は噴き出した。

 ふるふる震えて笑いながら、目尻ににじんだ涙をぬぐう。泣き笑いの顔でヴィクターを見上げた。


「……私で、いいの?」


「お前が、いいんだ。――シーナ」


 ヴィクターがまた一歩距離を詰める。


 ああ、駄目だよ。もう降参。涙がぼろぼろこぼれ落ちて、私は体当たりでヴィクターの胸に飛び込んだ。

 ヴィクターはびくともせずに、しっかりと私の体を受け止めてくれる。


「……深月(みつき)、だよ」


 離れるものかときつく抱き着き、ささやいた。


「私の、名前。深月って、いうの」


「……ミツキ」


 ヴィクターが噛み締めるようにしてその名を呼んだ。

 ふわっと体が浮いて、ヴィクターが心から嬉しそうにやわらかく笑む。軽々と私を抱き上げて、地上の人々を見渡した。


「――月の女神の祝福は、国の民へと等しく譲り渡す! 代わりに俺は、俺だけの小さき聖獣を貰い受けよう!」


 ミツキ、と緋色の瞳に熱を込める。


「どうか生涯、離れることなく俺の側に」


 胸がいっぱいになって、私はただ何度も頷いた。

 大きく息を吸い、とびっきりの笑顔を彼に向ける。


「うんっ、もちろんだよ!」


 ただし返却は不可だからね!


 そうすかさず釘を刺せば、ヴィクターが声を上げて笑い出す。

 カイルさんが手を叩いてはやし立て、キースさんは鼻をすすって真っ赤に目を潤ませた。


 まるで祝福するように、ルーナさんの光がふわふわと私とヴィクターの周りを囲む。包み込んでくれるのはルーナさんで、元気よく跳ねる光はシーナちゃんみたいだ。


 夢見心地で目をつぶる。

 温かな涙が後から後から頬をつたい、私は力いっぱいヴィクターを抱き締めた。

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