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83.再会と、そして

「ぱぇあ……」


「――疲れたか、シーナ」


「ずっと黙々と練習してたもんねぇ。そろそろ休憩したら?」


「そうだな。夕食前には起こしてやるから、少し寝るといい」


 うつらうつらする私を、大きな手が包み込む。

 すぐにふわりと体が浮いて、膝の上に載せられた。なだめるように撫でる手が心地よくて、私は素直に目をつぶる。


 そのまますうっと眠りに落ちた――……



 ◇



 恐怖と寒さに凍えていた体が、急激にぽかぽかと温まり始める。

 一瞬自分がどこにいるかわからなくて、私はぼんやりと周囲を見回した。


(う……。ここ、は……?)


 傍らに倒れている痩せ細った子ども、燃えるような赤髪が目に飛び込んでくる。その瞬間、ぱっと意識が覚醒した。そうだ、彼は……!


 過去に戻れたのだ、とやっと気がつき、私は慌てて彼にすがりついた。

 暗い牢屋にいる時にはわからなかった、目が覚めるように鮮やかな赤い髪。牢屋生活のせいかぱさぱさに傷んだその髪を、必死になって撫で続ける。


(お願い、目を覚まして……!)


 あんなに寒かったはずなのに、光に満ちた礼拝堂はぐんぐん暖かくなっていく。

 遥か高い天井からこぼれ落ちる、きらきらした光の粒。私たちを護るように周囲を舞い飛んだ。


 やがて光は一点に収束し、ひときわ明るい輝きを放つ。



 ――ルー……おいで……



 鈴を鳴らすような美しい声が響き、光から溶け出すようにして長身の女性が現れる。


(……ルーナさんっ!)


 安堵と歓喜が胸にあふれ、私は彼女に向かって駆け出した。

 今と全く変わらない姿、輝くばかりの黄金の髪。真っ白でなめらかな絹のドレス。


 いつも通りの柔和な笑みを浮かべた彼女は、私を見て嬉しげに目を輝かせた。すぐさまほっそりした手を差し伸べられるが、私は首を振って背後の少年を指し示す。


『ぱぇ、ぱぇあっ。ぱうぅ〜!』


(お願い、どうか今すぐあの子を助けてください!)


 必死になって訴える私に、ルーナさんはきょとんと瞬きした。うつ伏せになった少年と私を不思議そうに見比べる。

 ややあって、彼女はおっとりと首を傾げた。


『……助ける? その死にかけている子どもを、このわたくしが? 駄目よ、それはできないわ。人間の一生など、取るに足らないほど短く、そして儚きものなのよ。神たるわたくしが干渉する価値などないわ』


 さあ、帰りましょう。


 あやすように告げられて、私は泣きそうになりながら何度もかぶりを振る。だめ、だめだよ。私はあの子を、絶対に死なせたくないの!


『ぱぅっ、ぽぇあぁ〜!』


(助けてもらったの! 私、あともう少しでヴァレリー王に殺されるところだった!)


 楽しげだったルーナさんの顔が凍りつく。

 黙って少年を見下ろし、みるみる表情を険しくした。


『……なんてこと。人間の分際で、わたくしの大事な眷属(けんぞく)に手を出した、ですって? 思い上がりも甚だしいわ』


 ぞっとするほど冷たい声で吐き捨てると、ルーナさんはふわりと宙を飛んだ。まるで見えない羽でも生えているかのように、音もなく少年の側に着地する。


 ルーナさんが無言で手をかざした瞬間、『う……』と少年が低くうめいた。固く閉じていた目が開く。


『け、けだ、ま……?』


『! ぱう! ぽえ、ぽぇあ〜!』


(ここ! 私はここだよっ)


 駆け寄る私を見て、少年は嬉しげに微笑んだ。はっとするほど濃い、緋色の瞳。ヴィクターと全く同じ色に、どきりと心臓が跳ねる。


 少年は私に向かって手を伸ばしかけ、ルーナさんに気がつき息を呑んだ。

 ルーナさんがすうっと目を細める。


『――人の子よ、我こそは月の女神ルーナ。我が眷属たる聖獣ルーを救ってくれたこと、まずは礼を言おう』


 平坦な声で、無表情に言い放つ。

 いつもの彼女とは全く違う、ピリピリした雰囲気に圧倒されて動けなくなってしまう。


 少年は食い入るようにルーナさんを見上げると、よろめきながら体を起こす。大きく息をつき、ひざまずいて礼を取った。


『……月の女神、ルーナ様。俺たち森の民……は、一切の信仰を捨てたが、神を敬う心を持たぬわけではない……。俺は、この毛玉に救われた。(あるじ)たる、あなたに……、心から、お礼を申し上げる』


 ぜいぜいと息を弾ませながらも、深く頭を垂れる。

 ルーナさんは目を丸くすると、『あらぁ?』とのんびり呟いた。


『おかしいわね。聖獣ルーは、あなたが命の恩人だと言っていたけれど?』


『それは、違う……。そもそも、毛玉がヴァレリーに殺されそうになったのは、全て俺のせいなのだから……っ』


 胸を押さえ、苦しげに訴える。


 ルーナさんは初めて興味を惹かれたように、まじまじと少年を見つめた。無言で私を手招きして呼び寄せると、もふっと額と額をくっつける。


『あら、まあ……。ふぅん……? なるほど、そういうことだったのね』


 やがて、納得したように深く頷いた。

 私を離して肩へと移動させ、ドレスを払って立ち上がる。


『謙遜することなんてないわ。この子の記憶を読んだけれど、あなたは確かに聖獣ルーを救ってくれた。……感謝のしるしとして、死にゆくあなたの願いをひとつだけ、神たるこのわたくしが叶えてあげましょう』


(え……っ?)


 愕然とルーナさんを見上げると、ルーナさんは静かに首を横に振った。


『駄目なの。助けることは叶わないわ。この子の命の灯火は、もう消えかけている。いかに神であろうと、定められた寿命を変えることなどできないのよ』

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