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78.ただ、祈る

『……め、ろ……っ』


 ざり、と石床を爪で引っ掻く音がする。

 ヴァレリー王が動きを止め、鉄格子の中の少年を振り返る。けれどすぐ、興味を失ったように私に向き直った。


 短剣の当たった私の首筋から、真っ白な毛がパラパラと落ちていく。ヴァレリー王は無表情に私を見据えると、指先にぐいと力を込めた。


『――やめろぉぉぉぉぉっ!!』



 ドォォォォォンッ!!



 突如、眩しいほどの光が辺りに満ちる。

 光と共に、耳をつんざくような轟音もとどろいた。


『なん……っ!?』


 土煙にヴァレリー王が咳き込んで、動揺して周囲を見回した。息がかかりそうなほどすぐ側に、痩せ細った少年が幽鬼のように立っている。


『ひっ……!』


『そいつを、放せ。ヴァレリー……』


 背後の鉄格子はめちゃめちゃに壊れていた。

 ヴァレリー王はあわあわと声にならない声を漏らし、尻もちをついたまま惨めに逃げようとする。が、少年はそれを許さなかった。


 無造作に少年が手を払った瞬間、目に見えない刃が放たれる。

 刃は(あやま)たず王の手にある短剣を打ち、短剣が遠くへ弾け飛んだ。王がまたも悲鳴を上げる。


『そいつを、返せ……。それとも、己の手を、失いたいか……?』


『わ、わかっ……わかっ、た……!』


 ガクガク震えながら、ヴァレリー王が両手で私を差し出した。

 少年はひったくるように受け取って、泣き出しそうな顔で私を覗き込む。


『怪我は……、ぐっ!』


 胸を押さえ、床に崩れ落ちる。

 げほげほと激しい咳が響き、ヴァレリー王が我に返ったように立ち上がった。苦しむ少年を化け物を見るような目で睨み、そろりそろりと後ずさりする。


『や、やはりお前も魔獣であったか。恐ろしい、すぐに討手を差し向けねばっ』


『そうは、させない……っ』


 逃げ出した王の背中に向かって、上半身を折ったまま少年が手をかざした。突風が巻き起こり、王の体が壁に叩きつけられる。


 悲鳴も上げず、ヴァレリー王がずるずると床に倒れ伏した。


『……大丈夫だ、死んではいない。ほんの少し、ほんの少しだけ時間が稼げれば構わないんだ……。お前さえ外に逃がせれば、俺は……っ』


 ヴァレリー王の呼吸を確認し、少年は彼のベルトから鍵束を抜き取った。苦しげに私を抱き締めるので、私はぱえぱえ鳴いて少年にすがりつく。


(だめ。だめだよ。私だけじゃなくて、あなたも一緒に逃げるんだよ……!)


 まるで心が通じたかのように、少年がふっと表情をゆるめた。私の顎をくすぐり、静かに首を横に振る。


『俺にはもう、帰る場所なんてない。初めて魔法が使えた……、だけど、もう遅すぎた。もう母は、一族は、みんな死んでしまったのだからっ』


 涙が後から後から頬をつたう。

 涙と一緒に、血を吐くような咳が彼を襲う。床を殴りつけ、少年は慟哭した。


 気絶しているヴァレリー王が、かすかにうめいた。少年ははっとして、涙を拭いてよろめきながら立ち上がる。


『急が、なくては……。地下牢から出よう、毛玉。お前は、生きてくれ』


『ぱ、う……っ』


(王は……!)


 ヴァレリー王は、どうするの。


 王を振り向く私に、少年は泣き笑いの顔を向けた。


『仇討ちをしたところで、母たちは戻ってこない。それに、こいつを殺せば、こいつが正しかったと認めることになる。俺は、血に飢えた魔獣なんかじゃない……』


 人間なんだ。


 そうぽつりとこぼし、少年は私を抱いて走り出す。ぐねぐねした階段を登り、光の漏れる出口に奪った鍵を差し込んだ。


『ヴァレリー陛――……ぎゃあぁっ!?』


 兵士らしき男たちを、さっきと同じ突風で攻撃する。

 ぜいぜいと息を乱しながらも、少年は懸命に走り続けた。まるで迷路のように複雑な廊下を、当てずっぽうに突き進んでいく。


(あ……っ?)


『ぱ、ぱえっ!』


『毛玉……? どう、した……?』


 不意に、私は大声を上げて廊下の一点を指差した。

 足を止めた少年が、不審げに私を覗き込む。彼の胸の中、私は必死で短い手を振って廊下を示した。


(あっち! あっちだよ! わかるの、だって光が呼んでるから!)


 廊下にぽつぽつと落ちる、まるで足跡のような黄金の輝き。あれはルーナさんの光だ。間違いない。


『ぱえっ!』


 少年を叩いて降ろしてもらい、光の軌跡を辿っていく。何度も振り向きながら手招きすれば、彼もよろめきつつ付いてきてくれた。


 やがてたどり着いたのは、廊下の突き当たりの部屋。細かな装飾の施された、重厚な扉に閉ざされている。

 体当するように扉を押して、私たちは中へとすべり込んだ。


(ここは……?)


 天井の高い広い空間には、長椅子が等間隔に並んでいる。奥に(しつら)えられているのは祭壇で、たくさんの蝋燭に火が灯されていた。


(そっか。ここって……)


 ――礼拝堂だ。


 月の聖堂と似たような造りで、ルーナさんをかたどったらしき女神像もある。荘厳な雰囲気に安堵の息を吐いた瞬間、少年が胸を押さえて崩れ落ちた。


『ぱ、ぱぇっ?』


『ああ、すまない……。だが、おれは、もう……』


(……嫌だ……!)


 ぞわりと総毛立ち、私は鳴きながら彼にすがりつく。嫌だ、嫌だ。お願いだから死なないで……!


(助けて、助けてよルーナさんっ! お願い、私にできることなら何だってするから!!)


 女神像に向かって強く祈りを捧げた、その瞬間。



 ――天井からこぼれ落ちるように、きらきらと温かな光が舞い降りた。



 ◇



 慌ただしく扉を叩く音。

 そして早口にささやき合う声。


 周囲の喧騒を感じ、私はぼんやりと目を開けた。……あれ? ここは、現実?


 そう認識した途端、跳ねるように起き上がった。


(――あの子は、どうなったの!?)


 胸が締めつけられたみたいに苦しくなる。

 けれどすぐにルーナさんの光を思い出し、次第に呼吸が落ち着いてきた。

 大丈夫、きっと大丈夫だ。あれは間違いなくルーナさんだった。私にはわかる。

 あの子も迷子のシーナちゃんも、絶対にルーナさんが助けてくれるに違いない――……


 必死で己に言い聞かせれば、ようやく周囲を見回す余裕が出てきた。

 ヴィクターのベッドの中、隣で寝ていたはずの彼の姿が見当たらない。


「ぱぇぱぁ?」


「……っ。シーナ!」


 ヴィクターが弾かれたように私を振り向いた。

 扉の側に立っていて、ロッテンマイヤーさんと言葉を交わしている。

 ヴィクターは急いでベッドへ取って返すと、ひざまずいて私に目線を合わせた。


「たった今、出動要請が入った。俺はすぐに魔獣の討伐に向かう。お前は屋敷で――……いや」


 ためらいがちに言葉を切って、ゆるゆるとかぶりを振る。


「……屋敷も安全とは言い切れん。お前も連れて行く。決して俺の側を離れるな、シーナ」


「ぱぇ……?」


 お屋敷が安全と言えない……?

 一体、どういうこと?


 目を丸くする私を見て、ヴィクターは苦渋の表情を浮かべた。そっと私を抱き上げ、低く声を落とす。


「落ち着いて聞け。王都が魔獣に襲われている」


「……っ!?」


「――神官共の結界を破り、魔獣が内部まで侵入したんだ」

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