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73.儀式の日を迎えるまでに

(……はっ)


 急激に意識が覚醒し、跳ねるように起き上がる。あれほど重かった体が、嘘みたいに軽くなっていた。


「シーナ!?」

「シーナ・ルー様っ」


 慌てふためく声が聞こえ、私はきょとんと顔を上げる。

 殺気立った目をしたヴィクターとキースさんが、食い入るように私を覗き込んでいた。


 慌てて立ち上がろうとしたら、足場が悪くて不安定に体が揺れる。転びかけた私を、すっかり馴染んだ大きな手が支えてくれた。

 どうやら私は、今の今までヴィクターの手の中で寝ていたみたい。


 喜色満面のキースさんが、手を打って小躍りする。


「おおシーナ・ルー様、先程までとは比べ物にならぬほど毛艶がよろしくなって! ふんわりやわらか、驚きのこの白さっ!」


 洗濯用洗剤の煽り文句か。


 全身で喜びを爆発させるキースさんとは対照的に、ヴィクターは黙然と立ち尽くしていた。怒っているのかと不安になって、上目遣いに彼を窺う。


「ぱぇぱぁ?」


「…………」


 不意に、ヴィクターが苦しげに眉根を寄せた。

 私ははっとして息を呑む。


(違う。怒ってるんじゃなくて、心配してくれてたんだ……!)


 胸がぎゅっと苦しくなって、ヴィクターに向かって一生懸命に背伸びした。すぐに察して手を持ち上げてくれたので、私は彼の頬に毛並みを寄せる。


「ぱぇぱぁ、ぱぅえ〜」


(ヴィクター、もう大丈夫だから)


 ぎゅうとしがみつけば、ヴィクターがかすかに呼気を震わせた。

 しばし黙り込み、ややあって無理やり私を顔から引き剥がす。皮肉げに口角を上げ、ふんと鼻を鳴らした。


「離れろ。毛がくすぐったい」


「ぽぇあぁっ!?」


 うわ、何その言い草!

 さっきまで自分の方が死にそうな顔してたくせに! 素直じゃないんだからもうー!


 フーッと毛並みを逆立てる私を、ヴィクターは小馬鹿にしたみたいに見下ろした。ふわふわの額を指で弾き、私を肩に載せて立ち上がる。


「って、ごるぁヴィクター殿下ァッ! 何をさっさと帰ろうとしているのですっ。こうしてシーナ・ルー様がお元気になられたお礼を、きちんと月の女神ルーナ様にお伝えしなさい!」


 回れ右しかけたヴィクターを、キースさんが「さあさあ今すぐにっ!」と祭壇の前に引っ立てる。

 ヴィクターがさも嫌そうに眉をひそめた。


「祈りなら散々捧げたろう」


「そうですね、失礼ながらわたしも驚きました。まさか信仰心に乏しいヴィクター殿下の、目を閉じ一心に祈るお姿を見られる日が来ようとは……! 殿下の敬虔なお心は、きっとルーナ様にも伝わったはずですよ」


「……まあな」


 一瞬黙ったヴィクターが、大真面目に首肯する。

 ってコラコラ、不良みたいに脅しつけてただけでしょうが。騙されちゃ駄目だよキースさん!


「ぱうぅ〜」


 ジト目でヴィクターを睨みつけるが、ヴィクターはどこ吹く風と私を無視する。

 祭壇にひざまずき、申し訳程度に頭を下げた。しばし目を閉じ、せいせいしたように立ち上がる。


「……重々お礼を申し上げましたか?」


「ああ。謝意は伝えたし、二度目はないぞとしっかり釘も刺しておいた」


「何してんですかアンタはあぁっ!?」


 キースさんが床に激しく崩れ落ちた。……まあね、でも大丈夫だと思うよ? ルーナさんのことだから、きっとまた大爆笑してるだけだよ。


 祭壇の間を出て悠々と歩くヴィクターを、キースさんがぎゃんぎゃん叱りつけながら追いかける。

 大騒ぎしながら廊下を進めば、神官たちが咎めるような視線を向けてきた。それでキースさんもさすがに口をつぐみ、私たちはそそくさと出口へと急ぐ。


「珍しく神官長がいなかったな。シーナを強奪に来るかと警戒していたが」


「まさか。それはあり得ませんよ。新たな神託で、シーナ・ルー様を邪魔立てすることは許さないと、ルーナ様がはっきりおっしゃったのですから」


 聖堂の重い扉を押せば、明るい陽の光が差し込んできた。キースさんが名残惜しそうに足を止め、ヴィクターの肩にいる私に微笑みかける。


「ともかく、シーナ・ルー様がお元気を取り戻されて本当に良かった。聖堂を離れられぬ日が続いておりましたが、今日はひと目だけでもお会いできて何よりでした」


「ぱうぅ……?」


(キースさん、そんなに忙しいの?)


 耳を垂らす私を見て、キースさんは素早く周囲の様子を見て取った。人気(ひとけ)がないのを確かめてから、すっと私に顔を寄せる。


「……実は、ここ最近は結界の強化にかかりきりなのです。王都のすぐ側で、恐ろしい魔獣を目撃したとの情報が続々と寄せられブーッ」


「近い。離れろ」


 ヴィクターがキースさんの鼻を邪険に押し返した。ああっ、せっかくの綺麗な顔が大惨事にっ!


 赤くなった鼻をこすり、キースさんが恨めしげにヴィクターを睨む。


「ヴィクター殿下こそお忙しいくせに〜。遠慮せずシーナ・ルー様をわたしにお預けしてもよろしいのですよ?」


「誰が渡すものか。お前はともかく、神官共は一切信用できん」


 冷たく吐き捨てると、ヴィクターはさっさと踵を返した。じっと見つめる私に、ヴィクターは「案ずるな」と声を落とす。


「王都の中までは魔獣は入れない。第三で見回りを増やし、見つけ次第速やかに討伐するだけだ」


(……だけど……)


 しょんぼりと耳を垂らし、しっぽをきつく抱き締める。


 もうあまり、猶予はないのかもしれない。

 私のせいで時間がかかってしまったけれど、きっと本来ならもっと早くに儀式を行い、魔素を浄化すべきだったのだ。


(急がないと……!)


 次の満月に儀式を行うとルーナさんは言っていた。

 舞の振りは覚えたし、シーナちゃんとの同化・同調も完璧だとお墨付きをもらえた。だとしたら後は、儀式の日までに私にできることは――……



 ――シーナ、どうかあなたに知ってほしい


 ――魔王と呼ばれ人々から恐れ忌避された、心優しき少年の真実を



(……うん。了解だよルーナさん、それからシーナちゃん軍団もね!)


 天上世界にいる彼らに力強く呼びかけて、決意とともにキッと顔を上げる。


 ヴィクターとキースさんは黙って私を見守ってくれていた。ヴィクターの肩の上でぴょんと跳ね、「ぽえっ!」と元気よくこぶしを振ってみせる。


 ヴィクターがふっと表情をゆるめた。


「よし。見回りに行くか」


「ぱえ〜!」


 しっぽを振り振り、聖堂を後にする私たちであった。

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