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69.夢の中で

 ――ぴちょん



 水滴の落ちる、かすかな音が聞こえた気がして目を開ける。

 途端にひやっとした冷気を吸い込んだ。


『……ぷしゅんっ』


 鼻の奥がツンと痛んで、小さなくしゃみが飛び出した。

 顔をこすりつつ周囲を見回せば、なぜか私は石造りの暗い廊下にひとりきり。


(……え? どこ、ここ?)


 湿った匂いに、冷えきった石の感触。

 ぽかんとして立ち尽くしている間にも、足元から寒さがじわじわと這い登ってくる。


 ……おかしいな。

 確か今の今まで、シーナちゃんとの共鳴実験をしていたはずなんだけど。

 いつの間にか眠っちゃってたのかな。実験は、ちゃんと成功したんだっけ……?


(なんでかな。うまく、思い出せない……)


 ともかく少しでも暖を取ろうと、シーナちゃんのふさふさしっぽを体に巻きつける。それでも全然震えが止まらなくて、私は心細さに泣き出しそうになってしまう。


(ヴィクター?)


 お屋敷の中にこんな場所はない。

 もちろんヴィクターの姿なんてどこにもなくて、私は救いを求めるようによろよろと歩き出した。


 シーナちゃんの小さな足では、懸命に歩いてもいくらも進まない。進めば進むほど、周囲はどんどん暗くなっていく。


(ヴィクター……。どこ……?)


 不安が膨らんで、うまく呼吸できなくなる。

 休みたいけれど、こんな冷たい床に座るのはごめんだった。仕方なく、私は疲れた足に鞭打って歩き続ける。


 ぴちょん。

 ぴちょん。


 ぽてぽて。

 ぽてぽて。


 聞こえるのは水滴の落ちる音と、シーナちゃんの小さな足音だけ。


 すっかりくたびれ果てたころ、暗闇の奥に頼りない光が灯っているのに気がついた。私ははっと立ち止まり、最後の力を振りしぼって一直線に駆けていく。


 たどり着いた部屋、机に置かれたカンテラの中で、細い炎が揺れている。


『ぱ、ぅ……』


 息をついた瞬間、周囲の異様さに気がついた。

 扉のない部屋、入口には粗末な机と椅子が一脚だけ。そして奥の空間は、錆の浮いた太い鉄格子で遮られている――……


(ここ、もしかして牢屋……?)


 無意識に足が動き出し、カビ臭い牢屋に向かって歩を進める。

 鉄格子の隙間から内部を覗き込めば、不意に闇の一部がもぞりと動いた。


『ぱうぅっ?』


 思わず悲鳴を上げた私に向かって、鉄格子の中から細い手が伸びてくる。逃げなければと思うのに、足が縫い止められたみたいに動けない!


 怯えて縮こまる私の上から、ふんと鼻を鳴らす音が聞こえてきた。


『――何だ、このみすぼらしい毛玉は。死神の迎え……ではないな、確実に。間抜け面が過ぎる』


『…………』


 あああああんッ!!?



 ◇



「ぱえっぽぉぉぉ〜〜〜っ!!」


(間抜け面で悪かったなーーーっ!!)


「……っ。シーナッ!」


 怒りの雄叫びを上げ、がばっと勢いよく起き上がる。

 と、目の前には眉根を寄せたヴィクターがいた。覆いかぶさるように私を覗き込んでいて、今にも触れてしまいそうなほど距離が近い。


「……ぱ、ぱぇぱぁっ?」


 恥ずかしくなって逃げ出そうとするのに、ヴィクターはそれを許さなかった。さっと私を引き寄せ、きつく胸に抱き締める。


「……っ」


「……酷くうなされていたぞ。明かりをつけても、何度も揺すっても目覚めなかった」


 何か悪い夢でも見ていたのか、と低い声で問われ、私ははたと瞬きする。


(ああ、そうか……)



 ――今のって、夢、だったんだ。



 霞がかっていた頭が急速にクリアになっていく。

 そうだ、ここはヴィクターの部屋の中。寒々しい牢屋なんかじゃなく、清潔で暖かなベッドの上。

 昨夜は巣箱で寝ようとしたらヴィクターに拗ねられて、結局いつも通り彼のベッドに入れてもらったんだっけ。そして頭の中でシーナちゃんを数えていたら、いつの間にやらすっかり寝入ってしまったのだ。


「ぱあぁ……」


「落ち着いたか」


 ヴィクターが腕の力をゆるめ、私は照れながらも頷いた。ヴィクターが安堵したように目を細める。


「まだ、夜中だ。どうする。何か温かい物でも飲むか」


 少しだけ考え、私はゆるゆるとかぶりを振った。ヴィクターの服を握り締め、ぎゅっと彼にしがみつく。


 まだ夢の余韻が残っている。

 見知らぬ暗い場所に、ひとりきりでいる恐怖。迷子のような心細さ。

 触れ合った体からヴィクターの規則的な心音を感じて、高ぶっていた気持ちが落ち着いてくる。


 ヴィクターは黙ったまま、大きな手で私の背中を撫でてくれた。こわばった体から力が抜けていき、すぐに睡魔が戻ってくる。


 小さくあくびをして、目を閉じた。

 再び眠りに落ちる寸前に、ふと思考が飛んでいく。


(……あそこ、一体どこだったんだろ……?)


 夢にしては、やけにリアルだった気がする……。

 じめじめした匂いも石床の冷たさも、まるで現実に自分がそこにいるかのようだった。


 それに、最後に聞こえたあの声。高くもなく、低くもない平坦な声。

 鉄格子の隙間から伸びていた、頼りないぐらいに細い腕。


 ぼんやりしたシルエットだけで、顔かたちは見えなかったけれど。


 あれは、そう。きっと――……


(子ども……)



 ――まだ年端もいかない、子どもだった。

次話はあさって(火曜日)朝に投稿します。

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