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42.落ち込まないで

「お帰りなさいませ、シーナ・ルー様! 今宵もまた美しい月が出ておりますよ! 首を長くしてお帰りをお待ちしておりましたっ」


 日がとっぷりと暮れてから。


 屋敷に戻った私とヴィクター、馬車に同乗してきたカイルさんを出迎えたのは、テンション高めなキースさん。夜も遅いってのに元気だなぁ……。

 今日は聖堂に寄って遅刻をした分、仕事が押してこの時間になってしまった。


 騎士服の襟元をゆるめながら、ヴィクターは不快げに眉根を寄せる。


「……人の家に日参するのも大概にしろ」


 書類の山に埋もれて苦しんで、まだ不機嫌を引きずっているらしい。が、キースさんは気にしたふうもなく、にこにこと私たちを玄関に招き入れた。


「シーナ・ルー様からの聞き取りが、まだまだ全くもって進んでおりませんからね。月が見える限り、そしてシーナ・ルー様の体調が許す限り、わたしは毎日だって人間シーナ・ルー様と腹を割って話し合い、親交を深めさせていただくつもりですよ! そうヴィクター殿下、あなたに代わって!」


「…………」


 ヴィクターから一切の表情が抜け落ちる。

 ゲッとうなったカイルさんが、慌てた様子で二人の間に割り込んだ。


「ちょっ、キース! 最後の一言がめちゃくちゃ余計だよ。ヴィクターから禍々しい負のオーラが――……ってあああ、シーナちゃんっ!?」


 私はふらりと傾いて、危うくヴィクターの肩から落ちそうになっていた。

 カイルさんが手を伸ばすより早く、ヴィクターがさっと私を支えてくれる。……お、おおう。今一瞬、魂が抜けかけてたわ。


「ぱぇぱぁ、ぱうぅ~っ」


(ヴィクター、怖いよっ)


 半泣きでヴィクターをぽふぽふ殴る。

 こうして即座に文句を言える程度には、恐怖耐性の低いシーナちゃんだって彼に慣れてきたのだ。そうそう死にかけてばかりいられないもんね。


 ヴィクターはそうっと私を抱き上げると、小さくため息をついた。


「……悪かった。気をつける」


「ぱえっ」


 うん、お願いします!


 ほっとヴィクターの手に座り込み、しっぽで軽やかに彼をひと撫でする。ヴィクターなりに努力してくれてるのは、私にだってちゃんと伝わってるから。


 ヴィクターの瞳がやわらいだ。

 一部始終を見ていたカイルさんとキースさんが、引きつった顔を見合わせる。


「い、今の聞いた? キース」


「え、ええ。もちろんですとも、カイル」


 ――あのヴィクターが、「悪かった」って謝ったよ今っ!!


 声を殺しながらも、大興奮でささやき合う。途端にヴィクターの額にビキリと青筋が立った。


「カイル、キースっ! 貴様ら俺を何だと思っている!?」


「ぱ、ぱうぅっ?」


 こらぁヴィクター!

 たった今! 気をつけるって言ったばっかでしょうがっ!? 有言実行しなさいよっ!


 ……なんて、文句を言う間もなく。


「シーナちゃん!?」

「シーナ・ルー様っ」

「……っ。シーナ!」


 男たちの慌てふためく声を子守唄に、今度こそ私はへろへろと気絶するのであった。む、無念……。夜ごはん、食べたかったぁ……。



 ◇



(……ん……?)


 ふわり、と甘い香りを嗅いだ気がして、鼻が勝手にぴすぴす鳴り出した。

 ゆっくりと目を開ければ、ほんの鼻先にねじれた形の焼き菓子があった。こんがり狐色の表面には、粗めの砂糖がたっぷり振りかけられている。


「ぱぅっ!」


 勢いよく体を起こした瞬間、周囲から温かな笑い声が上がった。

 カイルさんがおかしそうに私を覗き込んでいて、口元にお菓子をあてがってくれる。条件反射で一口かじった。


「ぽあぁ……」


(やわらかーい)


 しっぽを振り振り、頬を押さえて身悶える。まだほんわり温い、優しい甘さのドーナツだ。


(美味しいぃ。夜の甘いものって格別だよね)


「どうぞ、シーナ・ルー様。ホットミルクもお召し上がりくださいませ」


「ぱえ~」


 今度はキースさんからマグカップの縁を当てられる。ホットミルクはほどよく人肌程度に冷めていて、私は喉を鳴らして一気に飲み干した。


 死にかけて疲れてしまった体に染みわたる。さしずめ回復薬ってところかな。


 すっかり元気を取り戻し、ねじれドーナツを受け取って周囲を見回した。そこは見慣れたヴィクターの部屋で、にも関わらず家主の姿が見当たらない。


「ぱぇぱぁ?」


「あ、シーナちゃん。ヴィクターならそこだよ、そこ」


 カイルさんが苦笑して振り返る。

 彼の視線をたどれば、ソファに無言で腰掛けるヴィクターの姿があった。いやいたのっ!?


(な、なんか暗すぎません……?)


 ずぅぅぅん、という擬音が背後に付きそうなほど、彼の近辺だけやけによどんでいる。虚空を睨みつける顔はいつも通り怖いんだけども、落ち込んでいるのは明らかだった。


 すがるようにカイルさんを見上げると、カイルさんは笑いながら私を抱き上げた。

 ソファに歩み寄り、ヴィクターの膝にそっと私を載せて後ろに下がる。


 ヴィクターが暗い眼差しをこちらに向けた。

 私はごくんと唾を飲み、上目遣いに彼を見上げる。


「ぱぇぱぁ? ぽぇ、ぽぇあ~?」


(ヴィクター? さっきのこと、気にしてるの?)


 もぐもぐ、もぐもぐ。


「ぱぅ、ぽえぇ~」


(大丈夫だよ、なにせ私は死にかけのプロなんだから)


 もぐもぐ、もぐもぐ。


「ぱぇあ、ぽえぽえ~!」


(ほら、元気出していこ!)


 もぐもぐ、もぐ


「いや食べながら片手間で慰めるな!!」


 頭上から一喝された。

 途端にカイルさんとキースさんが爆笑する。


 私はヴィクターの膝に座り込み、小さくなったねじれドーナツをゆうゆうと平らげた。怒った振りをしてるけど、本当は照れ隠しに怒鳴ってるだけ。ちゃんとわかってますからね?


「ぽえっ!」


(ご馳走さま!)


 てっ、と両手を上げると、ヴィクターは無言で私の手を拭いてくれる。口元まで荒っぽくぬぐってから、探るように私を見た。


「……どうする、シーナ。今夜は人間に戻るのはやめておくか」


「ぱぅえ~」


 ううん、と私はきっぱりと首を横に振る。

 戻るよ、戻りますとも。多少の無理なんかいとわない。

 最大限に努力して、一日も早くこの呪いを解いてみせるって決めたんだから。


(そして……)


 ちらっとヴィクターを見上げ、大急ぎでうつむいた。


 ヴィクターと、ちゃんと話したい。

 手を繋ぎたい、とかは……。ちょっと、よく、自分でもわかんないんですけどね?


 もじもじとしっぽをいじくる私を、ヴィクターはいたわるように撫でてくれた。

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