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2巻発売記念SS ハンナとダグラス

2章、リディがエステルの家で荷物の搬入をしていたころのお話です。

ハンナ視点は初めて、のはず。

「ハンナさん、そっちができたらこちらもお願いします」

「ええ、分かりましたわ」


 にこりと微笑みながら、私はダグラス様から書類を受けとると、どうしてこんなことになってしまったのか……と痛む頭にこっそり手を当てた。


 マリアナから「またエルムドア侯爵から侍女の仕事依頼がきたから頼みたい」と言われ迷うことなく頷いたのに、任されたのはリディ付きの侍女ではなくお城での翻訳だった。


 だから私を指名してきたのね、と目の前にあるローンバット語で書かれた書類を忌々しく睨みつけた。

 できるけど。リディほどではないけれど、近隣諸国の言語なら読み書きに問題はない。

 それにローンバット国の言葉は……とそこまで考えて視線を上げると、向かい側に座るダグラス様の鳶色の瞳とパチリと合う。

 そしてにこりと微笑まれた。

 

 ――ダグラス様の家庭教師をしたのは、まだ私が派遣侍女となってすぐの頃。

 父親が先物取引で失敗し、没落寸前となった私のもとへは沢山の縁談がきた。


 もちろん、まともなものなんてひとつもない。


 後妻はまだましで、愛人や、曰くつきの男性から囲ってやろう、なんてものまであった。

 いつも偉そうに横柄な態度を取っている父親。そんな父親が溺愛していた弟。父のいいなりになるだけの母親。

 彼らに私の人生を任せたら、どんなものになるかは容易に想像ができた。


「頭の良い女なんて、男からしたら可愛げないどころか煩わしいだけだ」

「跡取りの弟より成績がいいなんて、もう少し慎み深くなりなさい。あなたは女性なのよ」


 聞き飽きるほど聞いたそのセリフを私がどんな思いで受け止めていたかなんて、彼らは知らない。

 反論することさえくだらなく思え、何も言わなくなった私を、やっと分別を弁えたと笑った。


 でも私は、ある夜、鞄ひとつだけ持って家を出た。


 辻馬車を乗り継ぎ、国境を越え、この国へ辿り着いたのは実家を出てから一ヶ月後。

 ハザッド国を選んだのは、この国に留学をしたことがあったから。


 でも、当時は勉強ばかりしていたせいで、土地勘はゼロに近い。

 そのせいで、治安の悪い場所に踏み込み、質の悪い男達に絡まれてしまった私を助けてくれたのがコーディンだった。


 あのときのコーディンは格好が良かった。

 普段はどちらかと言うとマリアナに敷かれているけれど、機敏な動きで男二人をあっというまに打ちのめした。


 そのあとマリアナ派遣所に連れていってくれ、私は家庭教師として働くことになった。


 そこで出会ったのが、今、目の前にいるダグラス様だ。

 銀色の髪の可愛らしい男の子は、いまやすっかり大人の男性となり、うっかりすれば見惚れるほど格好よく成長した。


 生徒や雇用主に素性を話すことはないのに、一人でやっていけるのかと不安だった私を慰めてくれたダグラス様にだけは話してしまった。ついうっかり。

 これも若気の至りと言うのかしら。


「もうすぐお昼ですが、よければ近くの食堂に行きませんか?」

「あら。いつもは執務室で食べていると聞いていますわ?」

「ええ。ですがせっかくハンナさんと食事をするのに、執務室は味気ないでしょう」


 有無を言わさない笑みに外堀を埋められているような気持ちになる。

 なるほど。私が思っているよりも大人になったようね。

 だけど、私はリディと違うのよ。


「でも、私、昼食のサンドイッチを持ってきています。どうぞ私のことは気にせずお食事に行ってください」

「では、庭でランチとしましょう。そう言うかなと思って、料理長にランチボックスを作って欲しいと頼んでいたんです。食事に出かけたときは夜食にするつもりでした」


 ……さては買収したかしら。

 リディがお城の給仕係と執務室の侍女を同時にしていたから、料理長と話す機会が多かったのは想像できる。

 さあ、どう断ろうかと悩んでいると、ダグラス様は書類を置いて私のもとへやってきた。


「では行きましょう」

「……分かりました」


 椅子に手をかけ立つように促されては、さすがに断りきれないと諦めた。


 案内されたのは、執務室の窓が見える木の下。裏庭のようだけれど、木陰が多く涼しい。

 でもまさか、元教え子と二人で食事なんて。


 私はこの国の人間ではないし、侍女は性に合っているから結婚するつもりはない。

 だって結婚するとなると、複雑な手続きが必要なうえ、私の所在が家族にバレてしまう。

 実家は没落しているだろうし、今さら連れ戻そうなんてしないと思うけれど、バレないにこしたことはない。


 だから、生徒の頃から私に憧れの視線を送ってくるダグラス様とは、できるだけ距離を取りたいところなのに、なぜこうなった。


「あれから十年近くたつのに、ハンナさんはちっとも変わりませんね」

「ダグラス様は随分と変わられましたね」


 よくある世間話になるように返答したのに、


「それは誉め言葉と取っていいですよね。というか、取ります」


 強引に会話の矛先を変えられた。

 大人しい子供だったはずなのに。

 さりげなく座っている距離を詰めてくるところなんて抜かりがなく、耳を引っ張ってやりたくなる。


「あら、あそこを歩くご令嬢、熱心にダグラス様を見つめていらっしゃいますよ。手を振って差し上げてはどうですか」

「僕の目には、ハンナさんしか見えません」

「……それは距離が近いからではないかしら。少し離れてみてはどうかしら」


 すぐ隣に座るダグラス様をじとっと睨みつける。

 どこで覚えたの、こんな口説き文句。ぐいっと肩を押せば、苦笑いで距離を取ってくれた。

 細く見えるけれど、しっかり大人の男性の骨格をしている。当たり前だけれどね。


「ところで、僕はきちんと大人になったでしょうか」


 急に真剣な声音で聞かれ、どうしたのかと思いつつも「ええ」と答えれば、意を得たりとばかりの笑みが返ってきた。

 その笑みの意味が分からず首を傾げる私に、元教え子は言質をとったとばかりに言った。


「子供の時、先生に告白した俺に言いましたよね。口説くのは大人になってからにしてと」


 ――よく覚えているわね。


 思わず胡乱な目で見た私に、ダグラス様はクツクツと笑う。


「そんな目をしてもだめですよ。レオンハルト様のもとで粘り強さと戦略の大切さを教わりましたから」


 あぁ。どうしてくれよう。

 私は平穏にこの国で暮らしたいのに。

 熱っぽい視線をねめつけながら、コーディンお手製のサンドイッチを思いっきり口に詰め込んだ。

 それもこれも、全部リディのせいなんだから!

 


担当編集者さんがこの二人の組み合わせが好きだったのを思い出しながら書きました。


3人の中でマリアナ派遣所で一番最初に働き出したのがハンナ。

エイダはハンナが派遣された先の令嬢。いろいろあって、マリアナ派遣所で働かないかと声をかけました。

1章でハンナの手首に傷跡があると書いたけれど、あれは自分でつけたもの。追い詰められていたエイダを助けたのがハンナです。

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