縮まる距離
ここまでお付き合い頂きありがとうございます。
5000字越えです。二話に分けようかと思ったのですが、区切れる場所がなく。
真夏に王宮の庭でのお茶会。
なぜ庭。
何かの修行だろうか。
主催者は、クリスティ様。女男爵になり、いろんな方からすでに何枚も招待状が送られてきたけれど、仕事が忙しくて社交まで手が回っていなかったので、これが初めてのお茶会。
侍女としてお手伝いしたことはあるし作法も知っている。でも、皆様クリスティ様のお友達だけあって錚々たる顔ぶれ。公爵家、侯爵家、そして留学中の隣国の王女様。それに加え、今回は婚約者同伴のお茶なので凄さ倍増。
そんな中に女男爵が一人。
ま、ここではレオンハルト様の婚約者として扱われているけれど。
でも、やっぱり浮いている。
「リディ、エルムドア卿から聞きましたが本格的にワグナー商会を始めたそうね」
小さな身体をさらに縮めてお茶を飲む私とは正反対に、優雅に扇子を扇ぎながらクリスティ様が聞いてくる。
「はい。それで私の商品の初お披露目にこの場をお借りしたいのですが、宜しいでしょうか」
「もちろんよ。むしろ、私が初めての客でなければおかしくてよ」
それは薄々感じております。
他の人に先に売ったら、執務室に駆け込んできそうだもの。
なんでこんなに懐かれたのかはいまだに分かんないけれど。
私とクリスティ様のやり取りを見たご令嬢たちは、こっそりを視線を交わす。
私の立ち位置をどう扱うべきかと、値踏みされるような目で見られていたけれど今の一言で決まったよう。
「それは是非私も見てみたいわ」
公爵令嬢様が少し身を乗り出す。この方、クリスティ様の従姉妹で新しい物好きと聞いている。年齢もクリスティ様と同じで仲も良いとか。
「はい、絹のストールなど幾つかお待ちしておりますので是非」
他のご令嬢も一様に目を輝かせ始めた。新しいものと聞いて興味をそそられないご令嬢はいない。それに対し、ご令息方は顔に笑みを貼り付けながらも興味なさそう。
「ハンナ、エイダ、ストールを持って来て」
後ろで控えていた二人に声を掛ける。王家のお茶会に侍女なしではこられない。アリスに頼もうと思っていたら、時折、翻訳を手伝ってくれているハンナが話を聞きつけ手を挙げた。今日がたまたま休みだったエイダも「面白そう」とついてきた。
エイダが箱を持って来て、ハンナがその中からストールを取り出し私に渡してくる。
「クリスティ様、こちら夏らしい梔子の白い花を描いております。どうぞお手に取ってください」
ふわりとその手に渡すと、クリスティ様はじっと見られる。絹の品質は問題ないし、絵柄も見事な仕上がり。自分の目は信じているけれど、握りこぶしに汗が滲む。
「描いたとは聞いていましたが、こうして見ると刺繍とは全く違うのね。白い花弁の繊細で微妙な色合いは刺繍糸ではだせないわ」
「梔子の白が映えるよう、ストールは紺色を選びました。緑色の葉はクリスティ様の瞳の色に似せるよう、色を調合しております」
「あら、では私のために作ってくれたの」
「はい、品よく見えるよう花のバランスも考えました。夜は冷えますのでお風邪を召されないように、とご用意いたしました。また、梔子の花言葉は『幸せを運ぶ』『優雅』、クリスティ様にぴったりかと」
クリスティ様は立ち上がるとストールをふわりと肩にかけた。今日の淡い水色のドレスによく似合っている。
「クリスティ様、素敵です」
「こんな繊細に描かれた花のストール、初めて見ました」
「まるで絵画を纏っているようですわ」
私より先にご令嬢達が褒めたたえる。
「フフ、私も気に入ってよ。リディ、これを頂くわ」
「ありがとうございます」
その一言に、スカートの陰で拳をにぎる。
ハンナが今だ、とばかりに他のご令嬢達にもストールを渡していく。
持って来たストールを次々と手に取るご令嬢達の横で、取り残されたご令息は飲み物を冷えたシャンパンに変え始めた。皆の瞳が「これは時間がかかるぞ」と言っている。
私はその間に、次の商品を用意する。
「レオンハルト様、こちらにお皿を置いてもよろしいでしょうか?」
グラスを退けて作ってくれた場所に絵皿を五枚重ねておく。暇を持て余しているご令息の視線が私の手元に集まった。レオンハルト様は一番上に置いていた皿を手に取り、セドリック様に手渡す。
「セドリック様、この皿の絵、何かお分かりですか?」
レオンハルト様から渡された一枚を見て、セドリック様は首を捻る。
「ではもう一枚」
なぜ、二枚、と訝しそうに手にしたセドリック様の顔が、皿の絵を見た途端パッと明るくなる。
「これは『白い日傘の貴婦人』の一部か!」
セドリック様の言葉に皆の視線が絵皿に集まる。私は置いてある皿から一枚を手に取り、皆に見えるように胸の辺りで持つ。
「はい。こちらは『白い日傘の貴婦人』の一部を五枚の皿に描いております。セドリック様がお持ちなのは、日傘の部分と、背景の向日葵です。私が持っているのは貴婦人の横顔です」
「なるほど、絵合わせになっているのか」
「はい、五枚それぞれに絵の特徴的な部分を描いております。二枚でお分かりになるとは、絵に造詣が深くいらっしゃるのですね」
私の言葉にセドリック様は唇の端を上げられる。自尊心をくすぐる言葉に男性は存外弱い、とハンナが言っていた。
「他にも幾つかご用意がございます。ご令嬢方はもう少し時間がかかりそうなので、暫く絵合わせを楽しんでください」
「まだあるのか。ではエルムドア卿、勝負をしよう!」
「分かりました、お受け致しましょう。最近、王都で蔓延していた贋作問題に関わったばかりで、それなりに学びました」
「セドリック様、私も参加させてください。父が絵画好きで小さい頃から絵に親しんでおります」
「では、不肖ながら私も」
他のご令息も、乗り気になってきた。良い暇つぶしを見つけたと喜んでいる。
私はせっせと皿をテーブルに運ぶ。その内ご令嬢達も興味を示すはず。さりげなく教養をアピールできる品はお茶会で話題になる。恥を掻きたくなければ絵を知らなきゃいけない。動機はどうあれ絵に興味を持つ人間が増えれば、絵描きの道も広がっていく。
「お気に召したものがございましたら、お持ち帰りくたさい」
金額は五枚で金貨一枚。
彼らにとっては端金だ。
ストールは金貨一枚から二枚。
こちらも、ご令嬢に取っては問題ない金額。
出すのは婚約者かも知れないけれど。
三時から始まった茶会は五時になっても終わりそうにない。ストール十枚は完売した。彼女達の口から噂が広まるのはすぐのことだろう。アンドレッダに追加発注をしなきゃ。
今は、ご令息が自分の婚約者相手に絵皿の絵合わせの問題を出している。先程身につけた付け焼き刃の知識が自慢げにあちこちで囁かれる。
多少間違えていても聞き流す。
ここは彼らの顔を立てておこう。
財布に機嫌を損なわれては商売にならない。
私はそっとその場を離れ、庭を歩くことにした。
王宮の中庭。王族と招かれた人しか入れないこの場所に足を踏み入れるのは初めて。
少し奥まった場所に大輪の向日葵が咲いていた。五時とはいえまだ明るい。それでも向日葵は既に少し下を向いている。
小さなベンチを見つけ、そこに腰掛け見上げれば真上に向日葵が咲いている。
オスマン画伯の向日葵の絵を思い出す。私は幼女ではないけれど。
さてと、
こっそり持ってきた布の包みを膝におく。
絵皿を包んだ布を巻きつけ持ってきたのは、レオンハルト様達が飲んでいたシャンパン。
棚ぼたの染料の販売権は持っているけれど、私の中ではこれがワグナー商会のスタートだ。
出足はかなり良い。招待客は権力のある方々。その方々があそこまで気に入ってくれたなら、これから様々な茶会や夜会で噂は広まるだろう。あと一人か二人、画家を探そうかな。エステル嬢の香水も思ったより早く商品になりそうだし、その販売も考えなきゃ。
「お父様、お母様、お姉様、私頑張るよ」
胸の中に熱いものがこみ上げてくる。同時に締め付けられるような苦しさも。
嬉しいはずなのに、
…………シャンパンの上に雫が落ちた。
あれ、なんでだろう。どうして私、泣いているんだろう。
……褒めて欲しいな。
そんな言葉が浮かんできた。
良くやったって。さすが私達の娘だって。
一緒に喜びたかった。笑い合いたかった。乾杯したかった。
いや、しんみりするのはやめておこう。今日はお祝い。喜ばしい日なんだ。
私は勢いよくシャンパンの栓を抜いた。ついでに涙もグイっと拭う。
「ワグナー商会の一歩に乾杯!」
「繁栄と栄光の一歩を祝って」
私の声に、心地よい低音が重なる。
見上げると、夕日を背景に美しいご尊顔があった。
「レオンハルト様……」
「一人で乾杯か。リディにとって俺はいったい何なんだ。こうなったら婚姻の書類に無理やりサインさせるぞ、侯爵夫人」
はぁ、とわざと大きなため息をついて、不機嫌な顔のままレオンハルト様は私の隣に強引に腰をおろす。
私は聴こえてないふりでシャンパンをもう一口。
それ以上何も言ってこないのは、私の気持ちを思ってのこと。
「まぁ、今は良い。ところでまたくすねたのか」
「一本ぐらいばれませんよ」
また、という言葉が引っかかるけれど、あえて無視してシャンパンの瓶に口を付ける。
良い香りが鼻を抜け、シュワシュワとした液体が緊張して乾いた喉を潤す。
「仕事のあとの一杯は格別です」
「一杯、という可愛い表現が相応しいか甚だ疑問だが」
ほっといてください。グラスまで持ち出す余裕がなかったんです。
それにしても、やけにタイミングよく現れましたよね。
「……いったい、いつからいたんですか?」
「つい先ほど来たばかりだ」
嘘つき。
でも、そういう気遣い、嫌いじゃない。
口に出しては言わないけれど。
大きな手が伸びてきて、私からシャンパンを奪う。
「あっ」
私が口を付けて飲んだシャンパンを、躊躇うことなくレオンハルト様が口にする。
ゴクゴクとその喉が上下するたびに、私の頬が赤くなる。
「なるほど。この飲み方は悪くない」
手の甲でグイっと口をぬぐう姿は、普段の洗練された雰囲気と異なりやけに子供じみて見えた。
「ほら」っと再びシャンパンを手渡される。
どうしよう。
ちらりと横を見ると、レオンハルト様は平然と向日葵を眺めている。
迷ったけれど、まだちょっとしか飲んでいない。
せっかく持って来たんだ。
思い切って、もう一度それに口を付ける。
さっきより甘く感じる液体が口の中に広がっていく。
「顔が赤いぞ。無理をするな、これは意外と酒精が高い」
私の手からシャンパンを取り上げ、再び飲み始める。
二人で回し飲むようにして飲んでいると、左手に大きな手が重なった。そして指を絡ませるように繋がれる。
「今度の休みには海辺の家に行くか」
「いいですね。波打ち際までいっていいですか?」
「リディのことだ。はしゃいでずぶ濡れになりそうだから着替えも必要だな」
「子供じゃないんですから、そんなことしません」
ちゃんと波打ち際でパシャパシャします。そう言ったら、十分子供だと笑われた。
「そういえば香水が少なくなってきたな。またあの店に行くか」
もう少なくなったんですか。
使いすぎてません?
最近やけにシュッシュッとかけてくる気がするのですが。
「次はエステル嬢が作った香水にしませんか? いくつか試作品が出来上がっています」
「なるほど、それはいいな」
そう言ってレオンハルト様はじっと私を見る。
「どうしたのですか?」
「嫌がってはいないんだな」
「お揃いの香水をですか? なんだかもう慣れちゃいました。いつもレオンハルト様が傍にいるみたいで安心します」
実際傍にいるしね。
この前なんて、ワグナー商会の仕事にまで付いてきたし。
暇なの?
って、あれ? レオンハルト様の様子がなんだか変。片手で口元を覆ってるし。
「レオンハルト様、顔が赤いですよ。 飲みすぎました?」
「……お前の無自覚が憎い」
えっ!? 私なんかしましたか?
でも、そんな見慣れない姿を見ていると、
こんな姿を見られるのはもしかして私だけ、って思えてきて
……どうしてだろう。自然と言葉が口から零れ落ちた。
「レオ」
私の言葉にライトブルーの瞳が見開かれる。
瞬き一つして私を見たその表情が、次第に笑顔に変わっていく。
その笑顔が、余りに子供っぽくて、無邪気で、私の記憶の中のレオと重なる。
「…………シャンパンをください」
なんだかいたたまれなくて、口をフニフニさせながら思いついた言葉を口にする。でも、いつまで経ってもシャンパンは渡してもらえない。
「レオ、シャンパンください」
もう一度言えば、唇に瓶が触れた。レオンハルト様はそれを傾け、私の喉にシャンパンを流し込む。ゆっくり、ゆっくりと。でも、途中から息苦しくなって、息継ぎができなくて、唇の端から一筋流れ落ちていく。
やっと瓶が離れ、私は大きく息を吸い込んだ。
「げ、限度があります。溺れ死ぬかと思いました」
恨みがましく睨むと、不意に顔が近づいてくる。
零れたシャンパンを掬い取るかのように、唇の端に口づけが落ちてきた。
柔らかく、熱い唇に顔どころか全身が赤くなる。
動揺して動けない私はその腕に絡めとられ腕の中に。
「死にそうなのは俺の方だ。やっとレオと呼んでくれた」
「……そんなことで死なないでください。もう、呼びませんよ?」
「それは困る。これからは必ずレオと呼べ」
まるで業務命令のような言い方。
それなのに、私の耳に聞こえるのは激しく波打つレオンハルト様の鼓動。
きっと私の鼓動はそれより速い。
……いつの間にか風が冷たくなってきた。
向日葵の花が風にさわさわと小さな音を立て始める。
夜のとばりがおりてきて、肌寒くなる頃なのに私達の身体の熱は増すばかり。
私と同じ匂いのする腕の中が落ち着く場所へと変わってきていることは、今はまだ秘密にしておこう。
これで第二章は完結とします。お付き合い頂きありがとうございます。
ネタがまとまったら続きを書きますので、興味を持って下さった方、是非ブックマークお願いします!
☆、いいねが増える度に励まされています。ありがとうございます。誤字報告も助かります。
短編「婚約破棄は予想外ですが、私の未来は明るいようです」を投稿しております。題名通り、婚約破棄ものです。この話は短編で完結しつつも、新作のプロローグともなりますので、宜しければこちらもご覧ください。
短編「婚約破棄は予想外ですが、私の未来は明るいようです」
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新作「敗戦国から賠償品として来ましたが、王太子殿下は優しく甘えん坊の精霊もいるので、幸せに暮らしています。」
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