エステルの決断
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コンコンと、扉を叩く音がする。
「エステル嬢、紅茶を持って来たわ。一緒に飲みませんか?」
リディ様の声に、膝の上の植木鉢を床に置き慌てて駆け寄る。
「リディ様、わざわざ来ていただいて申し訳あり……」
その先の言葉が見つからない。私の目の前にいるのは、キラキラ輝くブロンドの波打つ髪を無動作に下ろした小柄な女性。深い海のような青い瞳が私を見て優しく細められた。
「リディ様……ですよね」
「そうよ。中に入ってもいい?」
応える間もなくするっとその細い体を滑り込ませ部屋に入ると、慣れた所作でお茶の準備を始める。
「わ、私がします」
「いいのいいの、慣れてるから。座って」
落ち着かなく座っていると、ティーソーサーを二つ持ったリディ様が私の前に紅茶を置いて向かい側に座る。髪も変わったけれど、口調もなんだか優しく親し気になっている気が。
「エステル嬢、気分はどう? 大丈夫……ではないよね?」
「……はい。私はこれからどうなるのでしょうか?」
リディ様は、紅茶を一口飲むと、私を真正面から見据える。濃いブルーの瞳は吸い込まれそうなぐらい澄んでいて、喉から手がでるほどその瞳を欲しがっている貴族がいるというのも分かる気がする。
「盗作と贋作、それから媚薬にも関わっているなら、エバ―ソンとイネスは実刑を免れない。それから、リカイネン男爵家は爵位を返上することになるでしょう。エステル嬢については、何も知らなかったので、捕縛されることはないと思うわ」
「でも、たとえ知らなくても私が作った物が原因で……」
「香水の原料と思っていたのでしょう? だとすれば、悪いのはそれを媚薬として売ったイネスよ。エステル嬢が捕まることはないわ」
捕まらない、そう聞いてほっとした私は人としてずるいと思う。
だって知らなかったとはいえ媚薬を作っていたのは事実。
でも捕まらなかったとしても、平民になった私には生きていく術がない。
お母様から譲ってもらった家を売ったとしても、とてもではないけれど一生暮らせるお金にはならない。一人で暮らしたことも働いたこともない私に残されている道はひとつ。
「リディ様、私は修道院に入ります。母の家を売ったお金を寄付すれば、そう対応も悪くないでしょうし」
修道院はお金のない人間の駆け込み寺ではない。入るのためには事前に一定額の寄付が必要だと聞くけれど、それぐらいの額にはなると思う。
リディ様は暫く宙を睨み考えると、労わる様な目を私に向けた。
「だったら、レオンハルト様に頼んでこの屋敷で暮らす?」
……優しいな、この人は。私がいたせいで嫌な思いもしたでしょうに。
私は大きく首を振る。それだけは絶対にできない。
「父や義母とレオお兄様は血のつながりはありませんが、縁戚が犯罪を犯したことは事実。直接レオお兄様にご迷惑が掛かったり悪評がたつことはないと思いますが、私がここにいれば話は変わってきます。この屋敷にお世話になることはできません」
優しいレオお兄様なら、きっと屋敷に住むようにいってくれるでしょう。
でも、それは断ろうと決めていた。まさかリディ様から言ってもらえるとは思っていなかったけれど。
「それなら、エステル嬢。働いて一人で生きてみる気はない?」
「!!……そんな! 無理です!! そんなこと出来ません!! 私、何もできないです。買い物だって一人でしたことないんです。まして働くなんて絶対できません」
突然の言葉に驚いて息が止まりそうになる。そんなの絶対無理。
だって私はグズで気が利かない。
お義母様に何度もそう言われきたし、何もできない。
「それは、やりたくないってこと?」
「やりたくないというよりは……私はグズだし……働くなんて無理なんです。自分で生きていく自信がありません」
「ふふっ、何もしたことないのに自信がある方がおかしいわ。ねぇ、どうしてできないって決めつけるの? やってみれば案外簡単にできちゃうかもしれないわよ。それに、私が見る限りあなたはグズではないし、自分の置かれた状況を冷静に考えられる頭も持っている」
「……そんなこと、はじめて言われました」
「そう? きっとあなたのお母様は言ってらしたと思うけれど」
お母様。……確かにお母様は私を褒めてくれた。でもそんなの幼い子供に対してのことだし。
それに十五歳で一人で生きていくなんて絶対に無理。
「あなたに足りないのは一人で生きていく覚悟だと思う。……ねぇ、少し私の話を聞いてくれる?」
ーーそれはリディ様ご自身の話だった。ある日没落し、その後ご両親が亡くなったこと。ご両親の知人に育てられ学園に行けなかったこと。そしてブロンドの髪の秘密。
「私は、髪と目にしか興味がなく私を子供を産む道具としか思っていない人間に頼って生きるより、自分で生きる道を選んだ。エステル嬢が修道女になりたいというのならとめない。でも、それしか生き方がないと思っているのならその考えは間違っているわ。大事なのは今何ができるかではなく、どう生きたいかでしょう?」
どう生きたい。
そんなこと、今まで考えたことがない。
だって、貴族に産まれたからには家の為に嫁ぎ子を産むのが当たり前って、常識って教えられてきたから。
「私は私の生き方を考えていいのですか? 選んでいいの? そんなことが許されるの?」
「当たり前でしょう。あなたの人生なんだから」
ぼそりと呟く私の手に、リディ様の手が重なる。その右手にはお母様の形見ともいえる指輪。
私の足元にもお母様の形見の薔薇がある。それを見ているうちに、胸の中に熱く強いものがこみ上げて。
「……私、自分の力で生きてみたいです。自分を押し殺し、誰かを頼り縋るのではなく……自分の思うままに生きてみたい。できるかどうか分からないけれど、やってみたい」
「それなら、やってみよう。私は応援するわ」
力強く微笑み、重ねていた手で私の手をぎゅっと握ってくれる。その手が凄く暖かくて頼もしくって、知らないうちに涙が頬を伝ってリディ様の手の甲に落ちた。リディ様はもう片方の手で私の涙を掬う。
「エステル嬢さえよければ、マリアナ派遣所に来ない? 寮と美味しい食事がついているから寂しくないし、仕事も先輩に付きながら覚えればいい。ちょっとぐらい部屋代滞納したぐらいじゃ追い出されないし、派遣先も初めは親切な場所を選んでくれる」
「私を雇ってくれるでしょうか?」
「マリアナの性格なら絶対大丈夫」
自分の手でお金を稼ぐ。今まで考えてもみなかったことが現実になっていく。
「それから……あの家はどうする? お母様との思い出が詰まった場所なのよね」
「はい。できれば残しておきたいのですが、お金に換えた方が良いでしょうか?」
「それなら暫くの間、私に貸してくれないかしら。もちろん家賃は支払うわ。商品を制作する場を探していて別の場所を考えていたんだけれど、王都の方が都合が良いし。もちろんエステル嬢が大人になって一人で住みたくなったときはすぐに出て行くわ」
リディ様は嘘をつくのが下手。多分「別の場所」というのはリディ様ご自身が持つお屋敷のことだと思う。そこがあるのにわざわざお金を払ってまで私の家を借りると言ってくれたのは、きっと私のため。
思い出の家を売らなくて済むよう、それでいて私にお金が入ってくるよう考えてくださってのこと。
「それから、温室と調香室はそのままにしておくからいつでも使えばいいわ。私、エステル嬢には調香の素質があると思うの」
「そんな! あれは趣味でしていたことで」
「いいえ。私のこういう勘ははずれないの。その特技はきっとあなたの生きていく糧となる。だから大切にして」
また、あの庭や温室で花を育てることができる。
香水を作ることができる。
そしていつか再び住むことも。
そんな都合の良い話、あっていいのだろうか。
「ご迷惑ではありませんか?」
「迷惑なんてとんでもないわ。エステル嬢、私は商人なの。その私の勘が言うの、あなたの作る香水は必ず売れるわ。まだまだ未熟かもしれないけれど、いつか一緒に商売をしましょう」
眩しいほどのブロンドの髪を揺らし、目の覚めるような深い青色の瞳を輝かせる。
頬を紅潮させ、次々と未来を語る。
私の作った香水が貴族の間で有名になり王都に店を構える。そんな絵空事なのに、リディ様が語ると現実になるような気がしてきて。さっきまでどん底にいた気持ちが浮上して、リディ様の眩しい笑顔につられるようにいつの間にか私も笑っていた。
笑いながら涙で視界が霞む。
私もこんな風に生きれるかな。
強く、逞しく、前向きに生きてみたいな。
あぁ、レオンハルト様はだからこの人を手放さないんだ。
その理由が分かった気がした。
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