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薔薇の思い.2


 視界がくるりと回転し、落としそうになった鉢植えを両手でなんとか支える。

 まるで荷物を担ぐように、レオンハルト様の肩に担がれた私は、頭上で鉢植えを抱えるような体勢のまま、凄い勢いで運ばれて温室の外に転がり出た。


 それと同時に目の前で温室が崩れ落ちる。

 まさしくギリギリ。

 無鉄砲な自分の行動に今更ながら冷や汗が滲む。


「大丈夫か!?」


 どさりと、芝生の上に降ろされ咳き込む私の頭上には、切羽詰まったレオンハルト様の顔がある。

 私がエステル嬢にしたように、ざっと私の姿に目を走らせ酷い外傷がないことを確認すると、近くにいた衛兵に指示をし始めた。


「井戸水を使って火の巡りを止めろ! それから馬を走らせ応援を呼んでこい!! 近隣の住人も呼べ!!」


 衛兵達が蜘蛛の子を散らしたように走り去り、どこから持ってきたのか、井戸水をバケツに汲み消火を始めていく。


「……レオンハルト様、どうしてここに」


 ゴホゴホ、と咳き込みながら何とか声を絞り出す。


「ハンナが教えてくれた。それより火傷は? 怪我はしていないか!?」

「概ね、大丈夫です」

「……概ね、とはざっくりきたな。それにしてもどうしてあんな無茶なことを! 焼け死ぬところだったんだぞ!!」


 レオンハルト様は私の両肩を強くつかみ、鼻先がぶつかる程の距離で怒鳴る。

 切羽詰まったような真剣な眼差しと眉間に刻まれた深い皺から、どれだけ心配させてしまったのかと後悔の念がこみ上げてくる。


「申し訳ありません。もっと簡単に取って来れると思ったのですが、考えが甘かったです」


 植木鉢をずずっと引き寄せ薔薇の花や枝を確かめると、折れたり焼けたりしてはいないよう。よかったこっちも無事だ。


「何をほっとしているんだ。こっちは火の中にいるリディを見て、心臓が縮み上がったんだぞ」

「すみません」


 本当にすみませんと、頭を下げると顎を掴まれ上を向かされる。


「本当に大丈夫なんだな?」

「……手の甲がちょっとヒリヒリして足首をガラスで切りました」

「なっ!! どうしてそれを先に言わないんだ」

「だから、概ね大丈夫ですって」


 こんな火傷ぐらい大したことない。料理中にうっかりオーブンで火傷したのと同じぐらい。

 足首は……とスカートを捲ると。あ~、こっちはちょっと酷いかも。深く切った傷があるみたいで、血がだらだら出ている。


 なんだろう、見ていたら痛くなってきた。

 ……うん、けっこう、痛いかも。


「リディ様、レオお兄様、大丈夫ですか?」


 エステル嬢が青い顔で、井戸水で濡らしたハンカチを差し出してくれる。


「お使いください。それからレオお兄様、悪いのは全て私なんです。私が火を付けて……リディ様はお母様の形見の薔薇を取りに行ってくれたんです。申し訳ありません」


 深々と頭を下げるエステル嬢。レオンハルト様はその姿を暫く見た後、温室に目をやる。近隣の家からも人が来てくれたようで温室の火事は収まりつつあった。家と温室が離れていたことも幸いしたみたいで飛び火もしていない。


「詳しい話はあとで聞く。エステル、お前も俺と一緒に一度屋敷に戻れ」


 レオンハルト様はポケットから絹のハンカチを取り出し、私の足の傷口にきつく巻き付ける。


「あ、あの。私のハンカチがあります。血で汚してしまいますから……」

「構わないからじっとしてろ」


 絹なんて勿体ないと思うけれど、頼んだところでやめてくれるはずもなく、微塵の躊躇いも感じない手つきでハンカチは固く結ばれた。

 

 そして、この後の展開がなんだか読めてしまう。だから先手を打ってみる。


「自分で歩けます」

「断る」


 その返答、おかしくないですか? 

 抵抗する間もなく、私は当然の様に抱きかかえられ馬車に乗せられた。



-----------


 レオンハルト様が薄汚れた私を連れてお屋敷に帰る。


 なんだろう。もう、日常の一部になっていない?

 エマだって、リチャードだって、「はいはい、またですね」って感じだし。


 「お湯は三階のお部屋に用意させます」


 手慣れた様子でエマが言う。

 エステル嬢がいるから三階なんだと思いたい。本来の私の部屋は二階なのだから。


 抱きかかえられ三階まで上がると、ついこの前まで過ごしていた部屋のソファーに降ろされた。レオンハルト様は私の前に跪き、血の出る足に触れながらすまなそうに眉を寄せる。


「傍についていてやりたいのだが、媚薬と贋作の件で王宮に戻らねばならない」

「エマ達がいるので私は大丈夫です。それより……」


 私は手を伸ばしレオンハルト様のライトブラウンの髪に触れる。


「少し焦げてしまいました。私のせいで申し訳ありません」

「別にこれぐらい大したことはないし、男の髪など気にする価値もない。そんなことよりリディの方が酷い」


 今度はレオンハルト様が手を伸ばし私の髪に触れる。腰まである髪はその先五センチほどが焦げているように見える。染めているから分かりにくいけど、実際はもっと焦げているかも。


 部屋には湯を持ったメイドがひっきりなしに出入りしているし、エマも壁際に立って指示をしている。


「エマ、染料を落としたいからこの家で一番安いアルコールを持って来て。それから鋏も」

「承知致しました。鋏はここに置いて置きます」


 ポケットから出した鋏をローテーブルに置きエマは出て行く。さすができる侍女、鋏を常備しているとは。


 レオンハルト様の焦げた髪を切り終わったところでお湯の準備も整い、名残惜しげに居座ろうとする広い背中を部屋から押し出すと、湯船に向かう。


 すすけた服は一応私の一張羅。落ち着いた紺色のワンピースは女男爵っぽくて気に入ってたんだけど、洗ったらまた着られるかな? エマに頼んでみよう。


 浴槽に入るととりあえず湯をかぶり、すすをざっと落とす。それから隅に用意されていたワインを手にする。

 用意されたワインのラベルから察するに、侍女のお給金の半分くらい。


「安いのでいいって言ったのに」


 と、呟いてから思う。

 もしかしてこれが本当に一番安いワインかも。

 恐るべし、侯爵家。


 瓶に口を付けてゴクリと一口。程よい酸味が実に私好み。張りつめていた気持ちが緩んで、無意識にもう二口、三口。


 あっ、やばい。洗う分が無くなってしまう。


 勿体ないなぁ、と思いつつ頭の上にワインの瓶を掲げ、勢いよく逆さまにする。浴室内に芳醇な香りが充満し、思わず口を開けたくなるのを我慢する。


 赤黒い液体がどんどん黒さを増しながら私の身体の上を滑り落ち、排水溝へと吸い込まれていく。手櫛で髪をざっと梳かし、十分にワインとなじませてから再び湯をかぶった。


「……けっこう、焦げたわね」


 黒い染料が落ちた髪は、酷いところで六、七センチほど焦げていた。


 腰ほどまである蜂蜜を溶かしたようなブロンドの髪は、別に好んで伸ばしていたわけではない。切るタイミングがなかっただけ。切った後の髪の処分も気を遣うし。だから、未練なんて全くない。ただ、自分で切るのは難しそうだから、エマに頼むのが無難かな。


 湯船につかりながら、う―ん、と伸びをする。ブロンドの髪が湯船にゆらゆらと浮かぶ。

 ずっと私の椅子の後ろで存在感を放っていたあの贋作とも、これでおさらばだ。


 あとは……とこれからすべきことを思い浮かべながら、私は頭まで湯に潜った。


 湯船から出ると、エマが薬箱を用意して待っていてくれた。

 足の傷は深いけれど縫うほどではない。医者を呼ぼうかと聞かれたけれど、それは断った。

 次にエマは鋏を持ち私の背後に立つと、丁寧に髪を切り始めた。


「エマ、エステル嬢の様子はどう?」

「少し落ち着いてきていますが、ショックが大きいのか何もお話になられません」

「私が会いに行っても大丈夫かしら」

「ええ、是非お願いします。あの子は心根の優しい子です。優しすぎて流されやすく脆いところが昔から少し心配でした」


 心配そうにため息をつきながら髪を切り終えると、香油を髪になじませる。匂いは私の好きなカモミール。切り揃えられ、丁寧にブラッシングされた髪はいつもより輝きを増しているように思える。


「染められますか?」


 その問いに少し迷いながらも首を振る。


「いいえ、このままでいいわ」

 

 私は「本当の姿のまま」エステル嬢を訪ねることにした。

お読み頂きありがとうございます。興味を持って下さった方、是非ブックマークお願いします!

☆、いいねが増える度に励まされています。ありがとうございます。

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