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贋作に隠されたもの.4


「アロイ、このサインはあなたのもの?」

「もちろんそうだよ。私の絵なんだから」


 当然といった感じでアロイは頷く。

 本来の名前ではなく、画家として別の名前で活動するのは珍しいことではない。

 体裁を気にする貴族ではよくあることで、売れてからやっと家柄を名乗ることを家族から許されたりする。

 

 あの贋作に唯一書かれていた名前。

 まるで自己の破滅を望んでいるかのように。


「アロイ、体調は大丈夫?」

「どうしたんだリディ、突然」


 綺麗な緑色の瞳で瞬きを一つする。

 私はその瞳をじっと覗き込んだ。

 それだけで彼の本心が分かるわけないのに。

 

「時々指先が痺れたりしたない? 何もないところで転んでしまったり、手に持っていたカップを落としてしまったり」


 アロイははっと息を飲むと、今度は瞬きもせずに私を見つめてくる。

 私の言いたいこと、伝わってるよね。


「見たんだね」


 私は頷き、ぎゅっと手を握る。

 言わなきゃ。そして知らなきゃ。


「この数ヶ月、王宮の私の机の後ろにはずっと贋作があった。この前、知人の画商と一緒にそれを鑑定したの。木枠から外して」

「……木枠から外したのか」


 力なく呟き、そして……アロイは微かに微笑んだ。


 きっと待ってたんだ。

 誰かに見つけてもらうのを。


「ええ、そしてこのサインと同じものを贋作に見つけたわ。筆のタッチもよく似ている。あなたがどういう事情で贋作を描き始めたのかは分からない。でも、きっとそうせざるをえない理由があったんでしょう?」

「単なる小遣い稼ぎかもしれないよ?」


 自嘲気味に笑うその瞳には、悲しさが溜まっている。


「それなら、どうして贋作のサインにあの絵の具を使ったの? 『ドラゴン・レッド』悪魔の赤い絵の具、知らないはずないよね?」


 赤い鉱石を粉砕してできた粉は有毒。それを水や油に混ぜれば独特な深みと輝きのある赤色となる。その美しさに多くの画家が魅了され、同じ数だけの画家が筆を絶った。


「アロイ、『ドラゴン・レッド』は、画家を再起不能へと追いやる魔の絵の具。あなたはどうして、あえて百五十年も前に禁止されたその絵の具でサインをしたの?」

「別に深い意味はないよ。あの色が好きだっただけさ」


「嘘。あなたは贋作を描く自分自身を許すことが出来ず、自分への罰としてあの絵の具を使ったのよ。犯罪に手を染めた分だけ、自らの手で画家としての自分を痛めつけた。誰にも罰せられない、ばれてはいけない悪事。その罪の意識からあなたはあの絵の具を選んだ」


「すごいね。リディはそんなことまで分かるんだ」


 軽い口調はどこか嘲りの色を含んでいる。お前に何が分かる、歪んだ口元がそう訴えかけてくる。


「どうして贋作なんて作ったの?」


「決まっているだろう。金が必要だからだ。俺の家は名ばかりの男爵家。父が嘘の投資話に飛びつき家計は火の車だ。

 そんな時、十五歳の妹に、多額の支度金付きの婚約話が浮かび上がった。相手は妙な趣味があると噂の初老の男。そいつが今まで娶った五人の妻は全員この世にいない。それなのに、両親は喜んでその話に乗った。そしてその夜、妹は手首を切った。幸い一命をとりとめたが、両親は妹の気持ちを無視して縁談を再び進めようとした」

 

「……それが贋作を描き始めた理由」


 妹のために、画家としての魂を売った。アロイはどんな思いで絵を描き続けたのだろう。

 後悔と憤り、誰よりも自身を許せず自分を傷つけ続けた。


「俺が初めて画家の魂を売って描いたのは贋作ではない。一つのきちんとしたオリジナルの作品だった。但し、俺が描いたあと、別の人間によって修正されその男の名前で世にでたけどね」

「おい!! アロイいい加減にしろ。リディ様、こいつはちょっと疲れているんだ。今話したことは全て出鱈目で……」


 背の高い男が、アロイのもとに走り寄り胸元を掴み上げながら捲し立てる。


「いい加減にしろよ! アロ…… ううっ」


 気配を消して横から近づいたエイダが、アロイの胸元を掴んでいた手を捻り上げる。


「大人しく席に座っていなさい。もうすぐ衛兵がくるわ」

「なっ!! お、俺は関係ない!! 何も知らない! 帰る、こんなバカげた茶番に構っていられるか!」


 男はテーブルまで戻ると自分の絵を掴み上げる。右奥に座っていた小太りの男も同じように絵を布で包むと席を立った。


「それはさせないわ。別にやましいことがなければ、衛兵もすぐに帰る。そんなに慌てる必要はないわ」

「煩い!! お前には関係ないだろう」


 二人の男はまるで突進するかのように扉へと向かうが、それより早くエイダが回りこむ。

 鞘に収めたままの剣を素早く振りかざし、背の高い男の首筋にぴたりとあてる。


「私も乱暴なことはしたくないの。鞘にはいったままでもその首ぐらいへし折れるわよ」


 エイダの迫力に二人の男はへなへなとその場に座り込んだ。その男達の前で剣を構えながら、ここは任せてとばかりに私に視線を送ってくる。


 ハンナは馬車を使ったはずだし、レオンハルト様とも面識がある。衛兵を呼ぶのに手こずることはない。きっと間もなく戻ってくるはず。


 それまでお願いと目で訴えて、私はアロイと向き合う。

 笑うと、猫のように目が細くなり人懐っこい笑顔を見せるその顔が今は悲しく、辛く、そしてどこかホットしたように見えた。


「……アロイ、さっきの話の続きを聞いてもいい? あなたが描いた絵が他の人の名前で世に出ていたの?」

「そうだよ」

「それは、カルバット画伯の名で?」


 アロイは静かに目を閉じた。それは肯定を示している。カルバット様はアロイの絵を盗作し、自身の名で世に発表していた。


「何枚かカルバット画伯の名前で書いたあと、贋作も描かないかと言ってきた。金が必要なんだろう、って。その時には従わざるをえないところまできていた」

「それで妹さんは……」

「俺のしていることは知らない。今は慎ましくも幸せに暮らしているよ」


 良かった。これで妹さんまで不幸だったら、救いがなさすぎる。でも、カルバット様が死んだ今もまだアロイが贋作を描いているのなら、他にも首謀者がいるはず。


 きっとカルバット様の役割は絵を用意することで、今はその役割は違う人物がしている。

 そして書かれた贋作は首謀者の手に渡り、いつでも切り捨てることが出来る異国の偽画商の手に渡る。


 

「俺は衛兵に掴まっても構わない。それだけのことをしてきたのだから。ただ、リディ頼む、エステル様を救ってくれないか?」

「エステル嬢を?」


 突然出てきた名前に私は目をパチリとする。  

 だってエステル嬢が贋作に関わっているとは思えない。


「彼女も俺の妹と一緒なんだ。望まぬ嫁ぎ先との縁談が控えている。俺はカルバット先生の代わりに絵を描いていたから頻繁にこの屋敷に来ていて、そこで偶然聞いてしまったんだ。カルバット先生とイネス様は『エステルが十五歳になったら、沢山の持参金を用意してくれる男に嫁がせよう。相手の条件はどれだけ悪くてもよい。その金があればふたりで贅沢な暮らしができるだろう』と、話していた」


 ヒュっと息を呑む音が聞こえた。見れば、エイダが手が白くなるほど強く剣を握っている。

 私も、握り締めていた手の平にも爪が食い込む。


「それから、イネス様はこうも言っていた。『それが嫌なら、もっとお金を出してくれる相手を自分で探すように言うわ。焚きつければ、案外でっかい物を拾ってくるかもしれない。だってあの子の血筋にはエルムドア侯爵がいるんだから』」

「レオンハルト様……」


 そうか。だからエステル嬢はレオンハルト様に付きまとっていたんだ。従兄妹としての嫉妬とか、恋愛感情とか、そんな甘い感情ではなく、自分の生きる場所を作るために。


「リディ、ところで今レオンハルト様にはどこにいるんだい?」

「どこって……王宮で仕事をしているはずよ」


 もしくはハンナと一緒のこっちに向かっているか。


「それはおかしいよ。だって馬車止めにエルムドア侯爵の印章をおした馬車が停まっていたよ」

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