贋作に隠されたもの.3
少し早めの昼食を摂り、私達は馬車でリカイネン男爵邸へと向かった。
リカイネン男爵邸はエステル嬢が引き継いだ家から歩いて十五分ほどの貴族街にある。家の前を通らなかったから、温室がどうなっているか見ることができなかったけれど、レオンハルト様の手配ですでに修繕は終わっているらしい。あれだけの薔薇をエステル嬢一人で温室に戻したのなら、重労働だったろうな、と思う。
すっかり夏の日差しとなった中、馬車はリカイネン男爵邸の門を潜り玄関の前で停まった。男装したエイダが降りついでハンナが降りるとすぐに日傘を開く。私はエイダの手を借り、日傘の影の下をゆっくりと降りる。
「リディ様、お待ちしておりました」
玄関まで向かいに来てくれたイネス様の横には、少し元気のないエステル嬢がいる。私とハンナを見ると、小さく頭を下げた。
「主人が手塩にかけ育てていた若い芽を、私もどうにかしてあげたいと思っておりました。エバーソン様とも相談し、優れた技術を持つ人を八人ばかり選んでおります」
「エバーソン様が選出してくださったのですか」
「はい、私は絵に詳しくありませんし、エバーソン様は主人と交流が深く、今も絵画教室の運営に関わってくださっていますから」
イネス夫人は、さぁと言って私の前に立って歩き始めた。
案内されたのは、中央に大きなテーブルが置かれた豪奢な部屋。多分来客があった時に食事に使う部屋かな。テーブルには、何枚もの絵が置かれていて、そして絵の前には十代後半から三十代ほどの男性が立っていた。
「彼らには代表作を持ってきて貰っています」
「今回の主旨はご存じなのでしょうか?」
「もちろん説明しておりますが、是非リディ様からも伝えてください。それから、爵位のある者は右が……」
「いえ、爵位の説明は不用です。私自身、つい数ヶ月前まで平民でした。爵位の有無に興味はありません」
途中で言葉を遮られほんの一瞬眉を顰められたけれど、すぐに柔和な笑みを浮かべると私には専門的な話は分からないので、とイネス様は退席された。
「突然および立てして申し訳ありません。私、リディ・ワグナーと申します。我がワグナー商会では特殊な染料を扱っています。高位貴族のお召し物にも使われているのですが、今回、その染料を使ってショールに絵を描いて頂きたいと思っています。ショールは、異国から取り寄せた絹で対価といたしまして一枚につき大銀貨一枚~三枚お支払いしようと思っています」
「描く絵柄の指定はありますか?」
左手前に座っている背の高い三十代の男性が聞いてくる。年齢的に、この中では彼がまとめ役みたい。
「今回は夏をテーマに、花をモチーフにしたもの、風景画の二種類を考えています。ショール全面に描くか、部分的に描くかもお任せします。事業が軌道に乗れば、図柄のオーダーメイドも承るつもりです」
八人は金額を聞くと笑みを浮かべた。無名画家に姿絵を頼んだ場合の相場が、大銀貨二枚程度。普段、彼らが請け負っている仕事と同額程度を提示してみた。
今は自分の作品の制作の合間に、協力してくれたらいいな、って思ってる。
どれだけ受注があるか分からないしね。
「ショールに自由に描くなんて面白そうだな」
「金額も充分。小遣い稼ぎができる上に、俺の絵が貴族の方の目の留まる可能性もあるんだよな」
あちこちで囁かれるのは、おおむね好印象な評価。
姿絵だと依頼者のもとに行かなくちゃいけないし、あれこれ注文も多い。
それに比べ、自分の部屋やアトリエで自由にできるのだから彼らにとっても都合がよい。
「では、絵を拝見して依頼する方を決めても良いですか? まだショールも数がないので四名ほどにお願いするつもりです。これから需要がふえればお願いする方も増えてくると思います」
私は右側から順に絵を眺めていく。皆、基本的な技術も高い。その中で御婦人受けしそうな明るい色調と軽いタッチで描かれた絵を幾つか頭の中にピックアップする。
途中まで順調だったけれど、右奥の絵を手にした時私は思わず息を飲んだ。必死で動揺が顔にでないように表情筋に力を入れる。
「あの、俺の絵が何か?」
小太りの二十代後半ぐらいの男が不安そうに私を見る。
似ている。あの贋作に。
もちろん描かれているものは全く違うけれど、
陰影のつけ方が、贋作に残されていた微かな癖と一致する。
その絵を机に戻し、曖昧な笑みを浮かべ五月蠅いほど鳴り響く胸の鼓動を無視して他の絵を見ていくと、もう一枚贋作に似た絵があった。先程私に質問してきた背の高い画家が描いたものだ。
あの絵は、未熟な画家が描いた絵を、誰かが補正していた。
この場合、絵画教室の生徒が描いた贋作を、先生が修復したと考えるのが自然でしょう。
そうなると、エステル嬢のお父様がこの贋作に関わっていることになる。
どうしよう。今ここで彼らを問い詰める?
でも絵のタッチが似ているって言ったところで、偶然だと言い切られてしまうかも知れない?
……困ったときは、聞くに限る。
私は壁際でこっちをじっと見ている二人の所に向かった。
「あの……」
「あの小太りの男と背の高い男、何かあるの?」
私が説明する前にエイダが聞いてきた。手がすでに剣にかかっている。
「どうしてわかったの?」
「リディ、顔に出すぎ」
えっ、そんなこと。
私、必死で表情作っていたよ?
「それで私達、何をすればいい?」
ハンナが私の肩に手を置く。まるで大丈夫だからって言ってくれてるみたいに。
私はゴクンと唾を飲み込んでから、その緑の瞳を見あげた。
「あの二人は、贋作を描いた画家よ。王宮に行ってレオンハルト様に事情を説明して、衛兵を呼んできてもらって」
贋作の話は、昨晩飲みながらしたから二人とも知っている。
「分かった。じゃ、私がいってくるから、エイダあとをお願いね」
「任せて」
私の頭上で視線を交わす二人。頼もしすぎる。
「リディ、とりあえず、無理に笑おうとしなくていいから。じゃ、私、行ってくるね」
ハンナが扉を開けようとすると、そこには一人の男性が立っていた。ハンナは少し迷いながらもエイダに目配せしたあと部屋を出て行く。入れ違うようにして入ってきた少し神経質そうな顔の男性は、迷うことなく私のもとに歩いてくる。
「アロイ。どうしてここに?」
「リディが画家を探していると聞いてね。是非私の作品も見て欲しいと思って来たんだよ」
アロイもカルバット様の生徒。ワグナー商会からの仕事の依頼って聞いたら、もしかしてアロイも来てくれるんじゃないかって期待していた。アロイの繊細な色遣いは、ショールにピッタリだと思っていたから、部屋に居なかったのがちょっと残念だったんだ。
アロイの手には白い布に包まれた絵がある。私がそれを受取ろうとしたら、端に座っていた背の高い男が立ち上がってアロイの肩を掴んだ。
「おい、アロイ。ここに来るのはエバ―ソン様が選んだ人だけだ。お前は選ばれていなかっただろう?」
「確かに俺は選ばれなかった。でも、そもそも俺とリディは知り合いなのだから個人的に交渉しても問題ないだろう」
知り合い、と聞いて背の高い男が私を見てくる。
「ええ、アロイの言う通りよ。アロイ、是非あなたの絵を見たいわ」
「ありがとう。この前に会った時、描きかけだった絵が完成したんだよ」
アロイは布を取るとその絵を私に手渡した。
確かにあの時見た絵で、白波の立つ海を背景に、鮮やかな花弁を何枚も重ねたダリアの花が描かれていた。花びら一枚一枚が丁寧に描かれ、中心部から花弁の先にいたるグラデーションがとても綺麗。
これを描いたショール、綺麗だろうな。
絹の光沢に映える色彩。それでいて優しい色使い。
華やかでいて涼し気なショールができそう。
そう思うのに、胸に込み上げてくるのは重苦しいもの。
この筆使いの絵を私は見たことがある。海辺の街で見た時は気が付かなかったけれど、今ならはっきり分かってしまう。
そして何より、絵の左端に残されていたアーロザックというサイン。
それは、あの贋作にも書かれていた。
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