エステルの思い
すみません! よく似たタイトルでニ話作っていたら間違えました。何度も申し訳ありません!
修正しました。
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白く小さな家、庭一杯に植えられたいろんな種類の花。
あの家でお母様と過ごした日々が、私の一番幸せな時間だった。
自分の思い通りにならなかったら、物を投げつけ壊し、お母様を殴り、時には私をなんども細い棒で叩いたお父様。私はお父様が大っ嫌いだ。
でも当時は嫌いという感情より怖いっていう感情の方が強かった。私とお母様は、お父様の機嫌を損ねないように、広い屋敷の片隅で息を殺すように過ごしていた。
だから、お母様から二人だけで小さなお家で過ごそうと言われた時は嬉しかった。
これでもう、お母様が殴られなくてすむ、私も叩かれない。
「静かに歩かなくてもいいの?」
「いいわよ。でも走らないでね」
「お家の中でお歌を歌ってもいいの?」
「いいわよ」
「笑っても?」
私の言葉にお母様は言葉を詰まらせた。その代わりに目に涙がどんどん溜まってきて私を強く抱きしめたんだ。
「ごめんね」
「笑っちゃダメってこと?」
「ううん、いっぱいおしゃべりして、いっぱい笑って暮らそうね」
お母様はそういって、笑った。私が初めてみるすごくきれいな笑顔だった。
使用人はわずかしかいない。
だから服は自分で着るし、お片付けだって自分でする。
お母様はご飯を作ったり、部屋の掃除もしていた。
お洋服を新しく仕立てることはほとんどなく、宝石屋もこないけれど、そんなことより庭に咲いた沢山の花を眺めることの方が楽しかった。
お母様はお庭に温室を作った。正確にはレオお兄様がお金を用立ててくれたらしい。
「私達だけの薔薇を作ろうか?」
まるで悪戯を企んでいるかのような、子供のような顔でお母様はそう言った。
薔薇の品種改良は、雌しべに違う品種の花粉を付ければいい。指で違う花粉をそっと塗り、念のために次の日にも同じことをもう一度する。あとは観察日記を付けながら薔薇が咲くのを待つ。
温室があったから、いつでも品種改良をすることができた。初めはうまくいかなかったけれど、初めて成功したときは二人で抱き合って喜んだ。
成功したものに、また違う花粉をつけ、新しい薔薇を作った。
温室にはいろんな薔薇が咲き始めた。
でもそんな日も長くは続かなかった。
とても寒い冬、お母様は質の悪い風邪にかかって、びっくりするぐらいあっけなくいなくなってしまった。お母様が息をしなくなってすぐにお父様に手紙を書いたのに、お父様は来たのは三日後だった。
だから私は、三日間寂しさと不安で泣き続けていた。大好きなお母様がいなくなったことが信じられなくて、でも名前を呼んでも返事をしてくれなくって。こんなのきっと夢だと目を瞑って、でも目を開けてもお母様はやっぱりいない。お母様の布団も服も、お母様の匂いがするのに、もう私を抱きしめてくれる優しいお母様はいない。
お父様があらわれたのは使用人たちの手によってお葬式も埋葬も全て終わったころ。まるでぶらっと立ち寄った、と言う感じで家を訪れた。
それでも一人残された私は、お父様の顔を見てほっとした。十三歳の私は、独りで生きていくことができなかったから。
お父様に連れられて帰った屋敷には、すでに新しいお義母様がいた。イネスと名乗ったその女は、荷物を抱えた私を一瞥するだけですぐに立ち去った。
私の知っている使用人はいなかった。みんな私によそよそしくて、お父様とお義母様の顔色を見ながら私に接してきた。お父様はもう私に暴力を振るうことはなかった。それは絵を描くことがほとんどなかったからだ。
それなのに、定期的に画商が絵を引き取りに来るから不思議だった。お父様はいつあの絵を描いていたのだろう。
ある日、外出先から帰る途中、お父様は事故にあって帰らぬ人となった。
それからはお義母様との生活が始まった。でも、顔を合わせることは月に数度。一度も会わない時もあった。家庭教師と使用人に全てを任せ、私がまるでそこに存在しないかのように振舞っていた。
だから、お義母様が十五歳の誕生日に私の部屋を訪ねて来た時はびっくりした。
「プレゼントを持ってきてあげたわ」
そう言って彼女は数人の釣書を私に渡した。
「デビュタントをするのに婚約者がいないのは寂しでしょう。何人か選んできてあげたわ。結婚は卒業したらすぐにするのよ」
それだけ言って部屋を出て行った。もしかして「おめでとう」と言ってくれるのかと期待した自分が馬鹿みたいだった。
貴族の結婚は家の繋がり。選択肢を幾つかくれただけ親切というもの。
そんな思いは、釣書を見て砕け散った。
愛人が何人もいる男、お父様より年上の男性の後妻、悪趣味があると噂される初老の男性。
共通しているのは、私の結婚との代わりに大金を男爵家に援助してくれること。
私は目の前が真っ暗になった。絶望した。自分の人生にこんな生き方しか残されていないのなら、お母様の元に行こうかとも思った。
その時、はらりと一枚の紙が落ちた。釣書ではない。単なるメモ書きでそこにはレオお兄様の名前があった。
「レオお兄様」
季節の挨拶程度の手紙しか今は交わしていないけれど、小さい時一緒に遊んで貰った。優しくて、びっくりするぐらい綺麗な顔をした男性だった。このメモが釣書と一緒に紛れている、それが何を意味するのか分かるぐらいに私は大人になっていた。
デビュタントの夜、私はお義母様から教えられた。男性に媚びる方法、甘える方法、どんな仕草が好かれるか、可愛く見えるか。それを必死に思い出して、レオお兄様と一緒にダンスをしその後も片時も傍を離れなかった。
それから数日後、
「領地でトラブルがあったから行ってくる。その間、あなたはエルムドア侯爵様に預かってもらうわ」
お義母様からそう言われた。そして私に小さな小瓶を渡した。
それは、私がお母様と育てた薔薇から抽出したローズオイルだった。独特の甘ったるい匂いが香水には不向きなのに、なぜかお義母様はこれを気に入って私に作らせた。いろんな種類の薔薇が咲いていた温室も、今は全てこの花の栽培に使われている。
「釣書を見たでしょう。あの男達に嫁ぎたくなかったら自分で婚約者を手に入れなさい。これは私からの応援の気持ちよ。エルムドア侯爵様と二人だけになってこれを飲ませなさい」
「飲ませる、んですか?」
小瓶の中身は香水の原料のはず。
「そう、飲ませるの。飲ませたあとはエルムドア侯爵様に全て任せればいいわ」
私は机の上の小瓶を指でつつく。
明日にはエルムドア侯爵邸を出る。結局レオお兄様にこの液体を飲ませることはできなかった。
お義母様は分かっていない。
レオお兄様がどれだけ愛おしそうにリディ様を見ているか。
声だけでなく手が届く位置で一緒に食事をしたいからと、豪華なテーブルを端によせ小さなテーブルで楽しそうに食事を摂る二人を前に何が出来るの?
少しでもリディ様と二人の時間を作ろうとしているレオお兄様に、私との時間を作ってくれるよう頼んでも躱されるかはっきりと断られるかだ。
香水を付ける習慣のないリディ様はよく付け忘れる。忘れないよう、玄関先に香水の瓶を置き、レオお兄様自らが付けてあげる姿は見ているこっちが恥ずかしくなる。
リディ様が酷い人ならよかった。でも彼女は優しかった。お母様が残した薔薇の花を泥だらけになって守ってくれた。全身薔薇の棘で傷だらけで、おまけに膝から血を流して。
その姿を見たレオお兄様の取り乱しようは、今までに見たことがないものだった。真っ青な顔でリディ様を抱きしめ、不安で指先が震えていた。
無理だよ。私なんかが入る隙間はない。
でも、そうなると私はこれからどうすればいいの?
一人で生きていく術を持たない私には、あの釣書の男に嫁ぐしか道がない。
いっそのこと、平民に生まれたかった。
家のために嫁ぎ、子を産むためだけに私は生きていくの? その先にあるのは何? 私はいったい何のために産まれてきたの?
次は火曜日投稿予定です。
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