ワグナー商会、再開に向けて.2
作者、絵については全く詳しくありません。そこはふわふわと、細かく追及せずに読んで頂ければ助かります。
「ふぅーー」
控室の椅子に座り、私は大きく息を吐く。
緊張した、やばいってぐらい緊張した。
でも、久々に感じるこの高揚感。
自分が良いと思った物が売れていくのは嬉しい。
放心状態で椅子に座っていると、良く分からないおじさん達が私に名刺を渡し、これからの取引の話を持ち掛けてきた。疲れた身体で立ち上がり営業スマイルで彼らと話をしていると、肩をポンと叩かれる。
レオンハルト様が控室まで来たのかな、と振り返るとそこには記憶よりやや老けた懐かしい顔。
「アンドレッダ! あなたもここに来ていたの?」
「ええ、会場にいましたよ。偶然とはいえお嬢の晴れ舞台に立ち会えて感無量です。いや、やはりダニエル様の血を引いていらっしゃる」
アンドレッダは父のもとで働いていた従業員。とりわけ絵の鑑定に優れ、絵画の販売はほぼ彼に任されていた。私に鑑定を教えてくれたのも当時二十代半ばだったアンドレッダだ。
「ダニエル様にはお世話になったのに、何も恩返しができず申し訳ないと思っていたのです。お嬢、私は平民ながら、ダウニー商会を立ち上げ異国との取引ができるまで大きくしました。ダニエル様に返せなかった恩をお嬢に返したいので、困ったことがあればいつでも訪ねてきてください」
ダウニーとは父の愛称だ。父の名を残そうとしていたのは私だけじゃなかった。
「ダウニー商会の名前は知っているわ。父の愛称だからよく記憶に残っているもの。でもただの偶然だと思っていたから、まさかアンドレッダが作ったなんて知らなかった」
「私の名前はダニエル様ほどではないですがそこそこ知れ渡っていたので、代表を妻の父親の名前にして商会を立ち上げたんですよ。ダニエル様の愛称を知っているのは極僅かな身内だけなので使わせて頂きました」
少し言いにくそうに教えてくれた。そうよね、あの時ワグナー商会は批判の的だったから。ワグナー商会でも父の右腕として活躍していたアンドレッダの名前で商会を起こすことは無理だったのは理解できる。
「苦労したのね」
「お嬢ほどではありません。っと申し訳ありません。女男爵にお嬢は失礼ですね」
「いいえ、懐かしいから是非そのままで。そうだ、このあと食事を一緒にどう? 積もる話がいっぱいあるわ」
「是非……」
喜んで、と口が動き掛けたように見えたのだけれど、アンドレッダは続きをいうことなく私の頭上に目線をやる。
どうしたの? と思った瞬間背後から両肩を掴まれた。
「リディ、こちらの方は?」
首だけ回して見上げると、鋭いライトブルーの瞳がそこに。
あっ、これ不機嫌な時の瞳だ。瞳の色で心情を読み取れるようになったのもどうかと思うけれど。
「……もしかして、レオンハルト坊ちゃんかい?」
うん? 聞きなれない呼び名にレオンハルト様も私も目をパチクリとする。
「あー覚えていらっしゃらないですか。アンドレッダです。お嬢に絵の鑑定を教えていた男ですよ。坊ちゃんはそれを部屋の隅でじとっと見ていましたよね。いやいや、懐かしい」
「……アンドレッダ、あぁ、思い出した。ワグナー商会の従業員だったな」
レオンハルト様は私の肩から手を離し隣に立つ。アンドレッダは懐かしむように目を細め並ぶ私達を眺めると、口元を綻ばせた。
「お二人とも立派になられて。そう言えば、叙爵と一緒に婚約もしたと聞きましたが、もしかして……いや、でも相手は確か侯爵様だと」
「俺は子供の時にエルムドア侯爵の養子となった。リディの婚約者は俺だ」
「そうでしたか! 坊ちゃ……じゃなかったレオンハルト様がお嬢の婚約者ですか。それは何とも……いやいや、まったく初志貫徹といったところですね」
そう言ってアンドレッダはクツクツと笑う。
レオンハルト様が「お嬢?」と眉間に皺をよせ呟くので、説明すると「そうか」とさらに眉間の皺を深くする。
「レオンハルト様、再会を祝してアンドレッダと夕食を一緒にと思っているのですが宜しいでしょうか?」
「……これからか?」
「はい、ワグナー商会のことで相談したいこともありますから」
「分かった。それなら俺も同行しよう」
「……レオンハルト様もですか?」
多分、絵とか商売の話がほとんどで、一緒にいても退屈だと思うのですが。
「俺はワグナー商会の後ろ盾、出資者でもある。商売の話なら同行して当然だろう」
そう、……ですね。
言われてみればそうかも知れない。
……って、言いくるめられてないよね、私。
「ハハハ、図体はでかくなったのに相変わらずですね。昔からお嬢の行くところはどこでもついて行かれていましたからね。では、私が侯爵様と食事をご一緒することが問題ないのであれば是非ご一緒に。あっ、それから私には愛妻と可愛い子供が二人おりますので」
そうか。アンドレッダは結婚をして幸せに暮らしているのね。良かった、と私がニコニコしている横で、レオンハルト様は少し気まずそうに目線を逸らしていた。
私もアンドレッダも高位貴族が行くような店は苦手。
レオンハルト様にそれとなく伝えると、それまで背後で気配を消していたダグラス様が、馬車で十分程行った場所にある小さなレストランを紹介してくれた。
「いきつけの店ですので、私の名前を出して頂ければすぐに席を用意してくれるはずです。それでは、私は母にオークションの事を教えてやりたいのでここで失礼いたします」
ダグラス様は私の手を取り、ありがとうと丁寧にお礼を言って帰って行かれた。背後からチッという小さな舌打ちと、アンドレッダの押し殺した笑い声が聞こえた気がした。
紹介されたのは一軒家を改築して作ったレストラン。
白を貴重にしたインテリアで、猫足のテーブルやキラキラしたシャンデリアが綺麗でご令嬢が喜びそうな店だった。テンションが上がる私とは裏腹に、二人はちょっと気まずそうに顔を見合わせている。
二階の窓際に案内されると、ダグラス様お勧めの発泡酒が運ばれてきた。細長いカクテルグラスに注がれた液体は小さな気泡を浮かべながらキラキラと輝いている。
「では、リディの画商デビューを祝して」
「ワグナー商会の繁栄を願って」
「ありがとうございます」
私達は軽くグラスを合わせ、発泡酒を口に運ぶ。
「これ飲みやすいですね。軽い口当たりとシュワっとしたのど越しで幾らでも飲んでしまいそうです」
「いつもダグラスが頼んでいる酒だと聞いて頼んだが……飲みやすさの割に酒精は高いな。リディ、飲み過ぎるなよ」
「分かりました。でも今日は気分がいいのであと一杯ぐらいいいですよね」
食前酒の次に運ばれてきたのはトマトのマリネとチーズ、バジルの葉を重ねて並べたカプレーゼ、鶏肉と野菜と香草を煮込んだもの、白身魚のアクアパッツア。
見た目も鮮やかだしどれも美味しそう。どうやらこれもダグラス様のお勧めらしいのだけれど、レオンハルト様とアンドレッダはラムチョップも追加していた。肉が足りないらしい。
会話は、私が子供の頃いかにお転婆だったかに始まり、レオンハルト様が常に心配そうに私の後を付いて来ていたこと、お父様から語学を教わっていると強引に参加したことなど、私が忘れていたことをいろいろ教えてくれた。
「普段はそこら辺にいる餓鬼と変わらないのに、鑑定となると顔つきが変わり交渉となったら人が変わる。大人顔負けの幼児に舌を巻いたのを思い出しましたよ」
「それ、私のこと?」
「はい。今日だって実に堂々としたものでした」
そうだった? もう必死でしていたからよく覚えていない。終わったあと背中が汗でびっしょりだったから余裕はなかったと思うのだけれど。
「俺も正直、リディがあそこまでやれると思っていなかった。言うのが遅れたが、素晴らしかった」
「ありがとうございます」
もしかしてレオンハルト様に褒めて貰ったのって初めてじゃない?
普段はいくら仕事しても、禄にお礼すら言ってくれないもの。
これはかなり嬉しいかも。
「そういえばお嬢は今どこに住んでいるんですか?」
「レオンハルト様のお屋敷に居候させてもらっている。屋敷は郊外にあるので王宮に通えなくって」
「えーと、婚約者の場合、居候とは言わないと思うのですが。ま、そこはいいとして、王宮に通っているとは?」
「レオンハルト様に雇われて翻訳の仕事をしているの」
アンドレッダがうん? という感じに首を傾げる。やっぱり世間的には婚約者を雇うのはおかしな話なのでしょう。でも、説明するのはいろいろ面倒なので、私もレオンハルト様もそこにはそれ以上触れなかった。
「そうだ、アンドレッダ。今、執務室に贋作が沢山あるのだけれど、一度観て貰えないかしら?」
「執務室に贋作、ですか」
「多分四~五人ぐらいが何枚も作成しているみたいなの」
「組織的ということですか」
「うん、もちろんその組織に入っていない人が作った贋作もあると思うけれど。どれとどれが同一人物によって描かれたのか、はっきりさせたくて」
衛兵部から預かった絵は、ずっと私の席の後ろにある。まるで贋作事件そのものをこちらに押し付けるつもりであるかのように。
「レオンハルト様、いいですよね? アンドレッダは私の師匠で画商ランク特Aも持っています。ブランクのある私よりきちんと鑑定出来るでしょうし、そもそも贋作の作者を見極めるのは難しい作業で私一人では荷が重いのです」
「リディの言い分は分かった。アンドレッダ、どうだ、やってくれるだろうか」
「分かりました。私も絵に関わる仕事をしている一員です。是非、引き受けさせてください」
ずっと私の席の後ろに置かれたあの贋作。背後からの圧迫感がすごく、椅子も引きにくい。
早くあれをどうにかしなくては、不便極まりないしすっきりしないのだ。
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