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ワグナー商会、再開に向けて.1

ダグラス視点です


 丸一日の休みが貰えたのはいつぶりだろうか。


 半月前、半日だけ貰った休みは叔父の絵の件で消えてしまった。愚痴ではない。その件についてはリディに感謝しても仕切れない。それまで落ち込みぎみだった母親もすっかり元気になり、リディが持って来てくれた絵を自室に飾り毎朝見ている。


 そんな貴重な休みを過ごす俺の隣にいるのは、可憐な令嬢ではなく不愛想な男とその婚約者。毎日顔を見合わせているから、これじゃ仕事と変わらない。唯一の救いは、珍しく女男爵として着飾ったリディの姿を見れたことかな。


 これから向かうのは絵のオークション会場。ここに叔父の絵が出展されることなった。


 本来なら数か月前に受付が終わっていたのだけれど、クラウザー様の口利きとレオンハルト様のあと押しで急遽参加できたらしい。レオンハルト様は分かるけれど、いつの間にクラウザー様とそんなに親しくなったのだろう。


 「オークション会場には初めて来たが、もっと広い場所ですると思っていた」


 隣の男の声に頷く。会場は俺の想像より狭かった。とはいえ五十人ぐらいは入れそうだが。リディには想定内のようで、緊張した横顔で会場を見回す。


「このオークションに参加する人のうち八割は画商です。あとは絵画の収集で有名な高位貴族。人数は少ないですが、皆見る目があります。画商にいたっては、ここで手に入れた絵をあちこちの得意先に売っていくわけですから、発信力はかなり高い、いわばこの絵にとって打って付けのオークション、というわけです」


 そういうものか、と二人揃ってリディの説明に頷く。


 この会場で叔父の絵が認められれば、あっと言う間に国内の絵画愛好家にその名が広がるらしい。だからどうしても参加したくて、クラウザー様を頼ったらしい。レオンハルト様にいたっては、頼まれてもいないのにオークションの責任者に手紙を送ったようだ。相変わらず過保護が過ぎる。


「では私は出品者の控室に行ってきますので、お二人は会場内でお待ちください」

「うん、分かった。頑張ってね、リディ」


 リディは、硬い表情で頷き、レオンハルト様はその姿を心配そうに見る。


 紺色のワンピースに同生地のジャケットを羽織り、髪はいつもの三つ編みではなく夜会巻き。普段は履かない高いヒールに少しよろめきながら、不安そうにこちらを見上げてくる姿は儚く頼りなげだ。

 小柄で童顔だからか、それでなくても庇護欲をそそる顔で、困ったように眉を下げている姿は放って置けない。俺でさえそう思うんだから隣の男は言うまでなく、控室までついて行きたがっているのが丸わかりだ。


 いったんリディと別れ、会場内の後ろの席に座る。叔父の絵が紹介されるのは、最後から二番目というからトリに近い。今日の目玉品の一つらしい。

 会場前方が舞台のように高くなっていて、左端に仲介人が木槌を持って立っている。真ん中に競り落とされる絵、そして場合によっては右端に絵の持ち主や画商が立つことがあるらしい。絵だけの出展も可能だけれど、リディは舞台に立つことを選んだ。


 オークションが始まり、絵が紹介されるにつれ会場内の熱気で室温が上がっていく。

 獲物を狙うギラついた視線と、水面下での駆け引きで、独特な緊張感に包まれていく。


「レオンハルト様、リディ大丈夫ですかね」


 今頃、幕の後ろでプルプル震えているんじゃないだろか。

 リディの出番は次。レオンハルト様はもはや右端の幕、おそらくリディがスタンバイしているであろうその場所しか見ていない。……どんなに眼力を高めても幕は透けないと思うけど。


 木槌が鳴り絵が落札された。そして一度幕が降ろされた。


「十枚の絵を同時に紹介するから準備のため一度幕を下ろして欲しい、とリディが頼んだらしい」


 さすが、よく知っていますね。がたがたという小さな音が聞こえ、その音が止んだと思ったら幕が再び開いた。しかし、絵には白い幕がかかったままだ。


「次に紹介します絵は、異国で活動をしていたオスマン・ラコット氏の遺作。晩年に描かれた風景画が十点です。出展者はリディ・ワグナー女男爵」


 名前が呼ばれたとたん会場内がざわりと色めき立つ。


「おい、聞いたか。ワグナーっていったぞ」

「この前ダニエル殿の娘が叙爵したと聞いた」

「では、最年少で画商ランク特Aを取ったあの娘か」


 年配の人間が囁く声を聞いて、若者が顔を見合わせる。リディが画商の資格を取ったことは、当時その世界では随分話題になったらしい。緊張感あふれる会場に「どんな娘かみてやろう」という好奇心が混じり、先程より空気の密度が濃くなる。これ、俺でも緊張するよ。やばいんじゃない。リディ、うまく話せるかな。

 

 コツコツという小さな靴音と一緒にリディが現れ

 ――俺はその姿にはっと息を飲んだ。


 リディは堂々と顔を上げ、その顔には薄っすらと笑みさえ浮かべている。小さいはずのその身体が随分大きく見えた。隣でレオンハルト様が身を乗り出す。

 えっ、あれ、リディだよね?


「初めまして、ご紹介頂きましたリディ・ワグナーです。この度、画商として初めて参加させて頂きます」


 凛とした声が会場内によく響く。リディってこんな声だったっけ。


「さて、ご存じの方も多いと思いますが、私は先日男爵を叙爵いたしました。これからワグナー商会を復興させていくにあたり、まずは昔取った杵柄である画商として絵を皆様に紹介したいと思います。今回紹介します絵は、異国ですでに亡くなった画家オスマン・ラコット画伯が晩年に描いた絵です。まずはその絵をご覧にいれましょう」


 例えば役者とか、舞台に立った瞬間に人が変わる人種は見たことがある。リディはまさしくそれだった。いつもは地味に、目立たないようにと影に徹している彼女だけれど、本来の姿を解き放ったとさえいえるその様は圧倒的な存在感がある。会場内の視線と興味をグッと自分に集め、引き込んでいく。


 商人という仮面を被ったリディは俺の知っている彼女ではなかった。


「レオンハルト様、あれは本当にリディですか」

「間違いなく俺のリディだ」


 少々語彙に問題があるが、レオンハルト様は目を大きく開いてリディを見つめている。頬が紅潮して見えるのは気のせいではないだろう。

 

 十枚の絵には大きな一枚の布が掛けられていた。リディが勢いよくそれを取ると、会場内から感嘆の声や息を飲む音が聞こえた。


 目の前のオヤジが腰を浮かせたものだから、隣から舌打ちも聞こえる。どうやらリディが見えなくなったらしい。


「この独特の色調。繊細な筆のタッチで描かれているのに対し、激しく迫りくるような緊張感と刹那的な美しさ。最年少で画商ランク特Aの資格をとった私が断言いたします。間違いなくこれは名画です。この絵に出会った瞬間、画商としての一歩はここから始めようと固く心に誓いました」


 ざわめいていた会場内が静かになり、皆の意識が一点に集中する。リディは自分に集約する意識を巧みに絵へと誘導していく。


「こちらは向日葵を描いた作品。野原いっぱいに咲き誇る向日葵を見上げ、手を伸ばす子供の姿。のどかな景色ですが、無邪気な子供に対し、黄色い花びらを大きく広げ、子供を覆いつくすように見下ろす向日葵からは郷愁以外の物を感じます。子供時代が刹那的で、無力ではかないことを、圧倒的な黄色という色調で表現しています。では、まずこの絵からオークションを始めましょう。最低価格は金貨五枚から」


「金貨五枚? レオンハルト様、リディは金貨三枚からいくと言っていませんでしたか」


 それでも、売れるか? と思うほどの高額だ。


「会場の空気を読んで値段を変えたのだろう。もっと攻めても大丈夫と判断した」


 いくら何でも、俺の給料のほぼ一ヶ月分の価格は無理ではないか? そう思っていたんだけれど、値段はどんどん上がっていく。あっと言うまに大金貨一枚にまでなった。


「ちなみに、今回ご用意できたのは十枚ですが、まだ遺作は残っていると聞いております。手に入れるため交渉中ですので近々それらもご用意できるかと。断言致しましょう、この先この絵は確実に価値を上げます」

「よし! それなら大金貨一枚金貨三枚」

「大金貨一枚と金貨三枚の声がかかりました。皆さま宜しいですか? ……ではこちらの絵の落札はそちらの方にきまりました」


 木槌を持った男が絵の価格を宣言し、カンカンと木槌をならした。


 続いて残りの絵の紹介が始まる。


 俺とレオンハルト様は顔を見合わせた。

 

「リディが嘘をついた」


 唖然として呟くレオンハルト様。俺もまったく同感。

 嘘を付くと、こんなに分かりやすい人間はいない、というぐらい目線を彷徨わせ、額に汗をかき、時には声を上擦らせることもあるリディが、舞台上で堂々と嘘をついた。

 だって絵はすでに全てリディの手元にある。黄色い絵だけでも三十枚以上ある。全くもってペテンとしか言いようがない。


 その後もリディは会場の注目を集め、煽り、場を支配し、落札価格をどんどん上げていく。


 まるで舞台を見ているかの光景に目が惹きつけられ離すことができない。リディを中心に一つの物語ができているようだ。


 ……そんな中、気になるのはレオンハルト様の視線の先。


「絵、見てないですよね。何しに来たんですか?」

「リディがいるから来たんだ」


 はいはい、だからリディばっかり見てるんですね。 


「皆んなリディを見過ぎじゃないか。絵を見ろ」


 いやいや、どの口が言う。

 思わずジト目で見るも、レオンハルト様は苛立ち気に頬杖をつきながらも、リディから目を離さない。その唇は少しだけ得意気に上がっていて、俺の婚約者は凄いだろう、そんな言葉が出てきそうだ。


 絵はおそろしい値段で売れて行った。中には、一枚で大金貨二枚の価格がついた絵もあったほどだ。


 そして、本来の大トリのである最後の出展が霞んでしまうような盛り上がりの中でオークションは終わりを迎えた。

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