嵐と温室.1
第二章、折り返しすぎました。是非最後までお付き合いください。誤字脱字報告ありがとうございます。
ダグラス様の家を訪れてから数日後、仕事を終えた私は三階の部屋のバルコニーから空を見上げる。
夏が近づき、この時間でもまだ日は沈んでいない。だから、夕食までの少しの時間、ここで冷たい飲み物を飲みながらハンナとおしゃべりするのが日課になっている。
にしても、私の目の前にいるハンナはすっかりこの屋敷になじんで、リラックスしながらザクロの果実水を井戸水で薄めたものを飲んでいる。当然私の前にも同じものがあるけれど、明らかにハンナの方が様になっている。
「こんなに割のいい仕事ないわ。もうすぐ終わるのが残念」
「喜んで、イネス様のお帰りが一週間伸びたから」
「あら、じゃもう少しゆっくりできるわ」
ご機嫌で髪をふわりと掻き揚げる。
そうよね。楽よね。
自分で服を着て、髪を結う女の侍女。するのは食事の準備だけ。いちおう果実水もハンナが用意してくれたけれど、自分が飲みたいからっていうのもあると思う。
「あら、この果実水、リディも好きでしょう?」
まるで私の心を読み取ったかのように、果実水を目の高さにあげ緑色の瞳を細める。
「まあね。それにしてもやけに雲の流れが速くない? 東の空も妙に暗いし」
「確かに、湿気が多いわね。髪が広がっちゃう」
雨が降りそう。いや、風も強くなっているから嵐になるかも知れない。
「レオンハルト様、早く帰って来ればいいのに」
「さっきまで一緒にいたのに、もう会いたいの?」
「違う! 嵐がきそうだからよ」
否定する私を見てハンナはコロコロと笑った。
夕食を一で人摂っていると大粒の雨が降って来た。それはあっと言う間に窓を打ち付けるほど強くなり、遠くで雷鳴も聞こえ始めた。
「リディ様、こんな夜、レオンハルト様はいつも王宮にとどまられます。明日はお一人で出勤となるかと」
「分かりました。私も戸締りをして早く寝ることにするわ」
エマに言われ、食事を終えると手早く湯浴みを済ませ、空いた時間でワグナー商会をどうしようかと考える。
とりあえず今手元にある商品は、いわく付きの染料とダグラス様から買った絵だけ。染料の販路は王宮によって決められているので、勝手に販売先を増やすことはできない。
でも、私の管理下で染料を使って商品を作ったり加工したりする許可は貰っている。いろいろ使い道はあると思うけれど、そのためにはまず人を雇わなくてはいけない。人を雇うとなるとお金と作業場が必要となるわけで。
「やっぱり優先すべきは絵の販売ね」
とにかく現金が手元にないと始まらない。
絵はとりあえず三階の空き部屋に運び込まれているので、そこから黄色い絵だけを選びずらっと壁際に並べてみた。
「手始めに半分ぐらい売ろうかな」
ある程度の数の名画がないと画家としての腕を認めてもらいにくい。とはいえいきなり三十枚すべては勿体ない。半分ぐらい出して、名画だとまわりに認識させる。それから一年もたつと値段はかってに上がっていくだろうから、頃合いをみて残りを少しずつ小出しに売っていくのが一番儲かると思う。焦りは禁物だ。
目玉となりそうな絵を数枚選んで戦略を考えていると、扉がノックされた。
「暇だからお茶を持っていく振りをして遊びに来たわ」
「それ、絶対侍女のセリフじゃないよね」
絵を部屋の端に纏め埃が被らないように布をかけている間に、ローテーブルにカップが置かれハンナが先に飲んでいた。一応、私、主のはずなんだけれど。
「ありがとう。って、これハンナが好きなローズヒップティーよね」
「それもマリアナでは飲めない高級品」
やっぱり、自分のため?
堂々と暇だからって言ってたし。
「わたし、カモミールが好きなんだけど。安眠効果あるし」
「ローズヒップティーは美容効果が高いわよ。愛されていることに胡座かかないで努力しなさい」
「なっ、べ、別にそんなこと」
プイッと目線を逸らしながら、ローズヒップティーに口をつける。程よい酸味が口の中に広がった。
「美味しい」
「ね、毎晩一緒に飲もう」
「ハンナが飲みたいだけでしょう?」
ご機嫌でカップを傾けながらご満悦とばかりの笑みを浮かべる。そのうち高級ワインとか持ってきそう。
「雨、どんどん酷くなってるね」
「旦那が心配?」
「だから、ハンナには説明したでしょう? 婚約を解消しなかっただけで……」
「分かってる。求婚を受け入れたわけじゃない」
婚約解消をすると二度と同じ人物と婚約できない。だから、レオンハルト様は求婚の答えは保留でいいから、婚約解消をしないよう私に頼んできたのだ。
「でも、悠長なことを言ってていいの? エステル嬢はせっせと粉をかけているわよ」
「レオンハルト様は相手にされてないから、問題ないと思うけれど」
私の答えに、ハンナはニヤニヤと笑う。
「確かにちゃんと一線を置いているわ。あれを愛と呼ばずに何と呼ぶの? どんなに帰りが遅くなっても、眠るのが遅くなっても、必ずあなたと朝食を摂っているし」
それはそうなんだけれど、私としてはゆっくり身体を休めて欲しい。でも、レオンハルト様は必ず朝食の席にいる。いつも私より早く。
「あっ、本当は朝リディを起こしにいきたいそうよ。初日にしようとして、エマさんに怒られたらしい」
エマさん、グッジョブ!
起きて目の前にあのご尊顔があったら心臓に悪い。
というか、勝手に部屋に入るのはマナー違反。
ドンドンドン!
扉を強く叩く音に私とハンナは顔を見合わせた。ハンナが素早く立ち上がり、扉を開けるとそこにはエステル嬢の侍女がいる。
「あ、あの。こちらにエステル様は来られていますか?」
焦燥を隠そうともせず、詰め寄るようにしてハンナに聞く。ちょっと様子が只事ではない。
「こちらにはいらしていませんが、どうしましたか?」
侍女の目線が、テーブルに置かれた二つのティーカップの上で止まる。
「あれは私とリディ様で飲んでいました」
「あなたが?」
「はい。リディ様が話し相手になって欲しいと」
頼んでないよー。否定するつもりはないけれど。
「あの、エステル嬢がどうかされましたか?」
侍女の目線が宙を彷徨う。あまり言いたくないみたい。
「姿が見えないなら、ハンナやエマにも探させましょうか?」
「屋敷の中は全て探しました。多分……外出されたのだと思います」
私は思わず振り返り窓の外を見る。確認するまでもなく外は大雨、嵐の真っ只中。時刻は夜九時。
「こんな嵐の夜に外出ですか! 何か心当たりでも?」
侍女はぐっと口を結び暫く逡巡したあと、決心したかのように顔を上げた。
「おそらくですが、お母様と一緒に暮らしていた家に行かれたのだと思います。温室の花のことを随分気にされていましたから」
ハンナは「知っている?」と目で訴えてくるけれど、家の話も温室も聞いたことがない。
「それは王都にあるのですか?」
「はい、ここかから馬車で二十分ほどの平民街にあります」
平民街に母親と住んでいた家? ちょっと状況が掴めない。馬車で二十分といえば歩けない距離ではないけれど、外は嵐だ。
「申し訳ありませんが詳しく教えて頂けませんか?」
「分かりました」
青い顔で侍女が話をしてくれた。
カルバット男爵は領土にある屋敷の他に王都にタウンハウスを持っている。今イネス様とエステル嬢が住んでいるのはそのタウンハウスだ。
カルバット男爵はエステル嬢のお母様がご存命の時から、タウンハウスに当時愛人だったイネス様を招き入れていたらしい。そして、あろうことか、本妻と娘を平民街にある家に移り住ませた。エステル嬢はお母様が亡くなるまでの数年間をそこで暮らされていた。
「その家にエステル嬢が向かわれたと言うのですね。ですが、こんな嵐の夜にどうして?」
「あの家はさほど大きくない代わりに、庭がとても広いのです。エステル様のお母様はとてもお花が好きで庭に温室も作っておられました。亡くなられてからはお母様の遺言で全てエステル様が継がれました」
平民街の小さな家なんてカルバット男爵は興味なさそうだものね。未成年を一人で住まわせるのは対外的にまずいから、エステル嬢はお母様亡き後はタウンハウスで暮らしていたみたい。
多分、これらの事情、レオンハルト様もエマも知っていたんだろうな。でも、本人の許可なく人に聞かせる話ではないから黙ってたんでしょう。
「エステル様はお母様から継いだ花と温室をとても大切にされていました。雨風が強くなってからは、しきりに温室の花を気にされていて。交配、品種改良、というのでしょうか。そういったこともお母様と一緒にされていましたから、あそこに咲いている花はお二人が協力して作り上げた作品でもあるのです」
「では、この嵐の中、温室に行った可能性があるのですね? ハンナ、リチャードに馬車を用意するように伝えて。それからエマ達にもう一度屋敷を探すようにも」
エルムドア侯爵邸は、主が殆ど家にいないので元より使用人が少ない。さらに今夜は嵐が来るからと早くに帰宅させている。
ハンナは早足で部屋を飛び出す。私はナイトウェアを脱ぎ、唯一持っている着古したりワンピースに袖を通した。
海辺の家から直接こっちに戻ってきたから、ボロ靴もある。あるけれど、そこは汚れるの覚悟で穴の空いていないブーツを履くことにした。
「あの、リディ様……その格好、もしかして」
「温室のある家の場所をこの紙に詳しく書いて。私が馬車で向かうから。あなたは、エステル嬢か帰ってくるかも知れないから屋敷に残って」
紙とペンを渡すと、ドレッサーの前に座る。湯上りの垂らした髪を三つ編みにして、耳の下でお団子のように纏める。
「リディ、馬車の用意ができたわ。それから雨除けの外套も借りてきた」
すっかりいつもの口調に戻っているハンナから外套を受け取る。外套は二枚あった。
「私も行くわ。あなた一人じゃ危なっかしいから」
ハンナは真っ赤な髪をねじり上げ纏めながら、にこりと笑った。
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