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黄色い絵画.3


 次のお休みの日、私はダグラス様の屋敷に招かれた。


「どうしてレオンハルト様もいらっしゃるのですか?」


 通された応接室で、ふかふかのソファに座った私は隣にいるレオンハルト様に耳打ちをする。


「俺はリディの婚約者だから当たり前だろう?」


 そうなの?

 婚約ってそういうものだったっけ?

 ていうか、仕事忙しいって言っていませんでしたか?


 私としては、出掛ける時間があるなら少しでも寝て欲しい。



 私達の前に座るのはダグラス様とダグラス様のお母様。お母様の表情は固く、ダグラス様にも普段の柔和な笑みはない。


「エルムドア卿、愚息がお世話になっております。それで、今日は弟が残した絵についてお話があるとか」


 お母様はチラリと私を見る。自己紹介は先程すまし、当然ながら私は婚約者として紹介された。お母様の名前はジェシーだという。


「話があるのはリディだ。実は私もまだ詳しい話は聞いていない」


 お話するのであれば、肉親の方に一番にすべきだと思ったので、レオンハルト様にも何も伝えていない。もしかすると、私が何も話さないから気になって付いてきたのかもしれない。


「ジェシー様はバルム様が晩年描かれた絵をご覧になったことはありますか?」

「ええ、チラリとですが」


 私は持ってきた絵の一つをとりだす。夕焼けに稲穂が綺麗に揺れ、遠くに家がポツポツと見える、そんな長閑な田舎の風景だ。ただ、夕焼けは金色に近い黄色で、稲穂は燻んだ黄色で描かれている。遠目に見るとキャンバス一面が黄色に塗られたように見えると思う。


「……おかしな絵でしょう。お恥ずかしいです。こんな黄色一色の絵」

「私は素晴らしいと思います。柔らかな稲穂の黄色と、空を埋め尽くすような激しさすら感じる黄色。同じようでいて、全く違います。そしてこの迫ってくる刹那的な美しさ。この絵は間違いなく名画です」


 私の言葉にジェシー様は小さく息を飲んだあと、首を振った。


「そのようにおっしゃって頂いて嬉しいのですが……」

「お母様、私は画商の資格を持っています。そして、この絵はクリスティ様が私に買ってくださったものです」

「!!……クリスティ様が、ですか」


 ジェシー様は目を丸くして絵と私を見る。レオンハルト様の婚約者といえど、男爵を叙爵したばかりの私が王族と直接関わり合いがあるのが不思議と言わんばかり。


 この絵の価値について説明をするよりも、優先すべきはなぜこのような絵を描き始めたかにあると思う。私は枯れる前に押し花にしたジギタリスをポケットから取り出す。


「この押し花は、譲って頂いた海辺の家の庭で採ったものです。この国では珍しい花で、多分花の種が絵を入れた木箱にくっついてきたのだと思います」


 絵を入れていた木箱の幅は玄関扉よりも大きかった。きっと、一階奥の部屋の、庭に面した大きな窓を開けて家の中に入れたんだと思う。半年前なら庭の草も枯れていて私が見た時よりも酷くなかったはずだ。大きな箱だから、地面に一度置いたかもしれない。その時に種が落ちた可能性も充分考えられる。


「その花と弟の黄色い絵に関係があるのでしょうか?」

「はい、とても深い関わりがあります」


 ジギタリスと聞いて、父から聞いた話を思い出した。子供のころの記憶だから念のため図書館でも調べたけれど私の記憶は間違っていなかった。あの花が何に使われ、そしてどんな副作用があるか。それがすべての原因だ。

 

「ジェシー様、その花の名前は、ジギタリスといいます。別名キツネノテブクロです」

「キツネノ……テブクロ変わった名前ですね。確かにキツネノ手に合いそうな大きさですけど」


 ジェシー様は私が何を言わんとしているのか思案しかねているご様子。押し花を手のひらに載せ、もう片方の手を頬に当ててじっと花を見ている。


「この花を食べると様々な症状が出てきます。吐き気、嘔吐、下痢といった肉体的な症状だけでなく、頭の混乱、時には幻覚も招きます。そして、その影響は目にも表れます。物がぼやけて、黄色っぽく見える『黄視症』を患うことがあるそうです」

「黄色……」


 今度は黄色い絵に視線が集まる。キャンバス一面を塗りつぶさんばかりの、狂気さえ感じる黄色い絵。  


「では弟はジギタリスを麻薬代わりに使っていたのでしょうか?」

「私は違うと思います。乱用すると吐き気や嘔吐などの症状も大きく出てきますから、麻薬として常用するのにこの花は不向きです。おそらく、バルム様は心臓を悪くしていたのではないでしょうか」

「ええ、弟の死因は心臓発作だと聞いています。晩年、心臓を患っていたようです」

「ジギタリスは心臓の薬にもなるのです。適量を薬として飲んでいても、その副反応で黄視症になることはあります」


 ワグナー商会で薬の取り扱いはしていないので、私はそれほど薬に詳しい訳ではない。そもそも薬の売買は薬師でなければできない。商会が取り扱えるのは、保湿クリームや傷口に塗る軟膏までで飲み薬は扱えない決まりになっている。

 だから、私がジギタリスを知ったのは、同じような黄色い絵を見た時にお父様が予備知識として教えてくれたから。


「では、薬に溺れて奇行を繰り返していたというのは……」

「先程ももうしあげましたが、ジギタリスには黄視症以外に幻覚の副作用もあります。奇行もジギタリスが原因でしょう」

「すべてはこの花が原因だった……」


 ジェシー様の目から涙が一粒溢れ落ちた。


 私が慌ててハンカチを出そうとしたら、レオンハルト様の手が伸びた。ジェシー様は少し躊躇われたあと、それを受け取り目頭にあてる。


 私はもう一枚の絵を取り出す。クラウザー様から借りてきた絵だ。


「この絵はジギタリスの花束を女性が抱えているものです。生活が苦しかったと聞いていますので、自分たちで花を育てていたのかもしれません」

「弟と一緒に隣国に行った女性は薬師でしたので、おそらくそうでしょう」


「『黄視症』は珍しい副反応ですから、薬師でも知らない人はいると思います。聞けば、女性の方が先に他界されたとか。それから先、バルム様が見よう見まねで作っていたとしたら摂取量を誤った可能性も考えられます。とにかく、バルム様は薬物に溺れてなんていらっしゃいません。絵に描かれた女性はとても幸せそうに笑っておられますし、絵全体からも穏やかな感情がにじみ出ています」


「弟は幸せだったのでしょうか」

「私はそう思います。愛する人と一緒になり、好きな絵を描き、裕福ではないけれどお金では買えない幸せを手に入れ、人生を全うされたのではないでしょうか。決して薬物に溺れるなど品位を落とす生き方はされていません」


 ジェシー様は花束を抱えた女性の絵に手を伸ばし、それを胸にぎゅっと抱きしめた。


「良かった。どんな形であれ弟が幸せに生きていてくれたなら」


 細かく震えるその肩にダグラス様が優しく手を置く。


「母上、父上には俺から説明します。叔父は立派な生き方をしていたと。リディ、この女性が描かれた絵を買い取りたいのだが」

「そちらはクラウザー様からお借りした物ですが、私があとで伝えておきます」

「いや、それなら私からクラウザー様に連絡をとろう。ありがとう」


 私は口角をできるだけ自然に上げる。

 ジェシー様が抱えている絵にはまだ黄視症の影響は見られない。

 そして、その絵はごく平均的なうまさだ。

 筆遣いの特徴だけが、黄色い絵と同一人物が描いたことを物語っている。


 彼は本当に、純粋に薬としてそれを摂取していたのか。

 それとも、黄視症に気付きながら摂取し続けたのか。

 飲む量は適切だったのか。


 その疑問を口にするつもりはない。誰も真実は分からないもの。


 チラリと横を見たら、レオンハルト様が優しい目で私を見ていた。

 まるで、それでいい、と言ってるみたいに。

 


「リディ様、弟の本当の生きざまを教えて頂いてありがとうございます。それから、晩年描いた絵が素晴らしいという話ですが」

「はい。皮肉な話に聞こえるかも知れませんが、バルム様が黄視症になってから描かれた絵は素晴らしい物です。今回何十枚も見つかりましたし、これから価値がぐっと上がります。それで、不躾な話ではございますが、幾つか私に預けて頂けませんでしょうか? バルム様が画家として認められるお手伝いができると思います」

 

 ダグラス様とジェシー様は小さなお声で言葉を交わしたあと、にこりと微笑みまれた。


「リディ、その絵は家と一緒に君に売った物。代金も頂いている。すでにリディの物なのだから好きにしてくれていいよ」

「ですが……」


「私も母も叔父のことを知れて充分満足している。そして、もしリディの言う通り叔父が画家として名声を得られるのであれば、それは私達にとっても喜ばしいことなんだ」


 えーと、この絵がどれだけの価値を生むか細かく説明した方が良いのでしょうか。

 家のおまけで貰うような品ではないのだけれど。

 隣にいるレオンハルト様に助けを求めてみるも、「それでいい」と小さく頷かれてしまった。


 えっ本当にいいの?

 皆この絵の価値分かっている?

 貰っちゃうよ? あとから返せっていわないでね。


「分かりました。でも、晩年の作品も含め何枚かお譲りしても良いでしょうか? バルム様もその方が喜ばれるかと」

「では売れなかった絵をください。売れる絵は全て世に出してあげてください、絵描きとして人生を全うしたのであれば、弟もそれを望んでいると思いますから」


「お任せください。近いうちに画商たちが騒然となり絵を手に入れたがる状況になりますから」


 私にはその確信があった。ちょと手に汗が滲む。程よい緊張感と高揚感。

 こういう時の私の勘ははずれたことがない。

 

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