予期せぬ来訪者.2
本日諸事情により更新早いです。
明日からは夕方になります。
侍女が荷物を運び入れている間にエマが厨房に夕食の追加を頼んだようで、夕食は四人で摂ることになった。
いきなりエステル嬢を押し付けるようにして帰られても困る、というレオンハルト様の意向らしい。
食事の間に、領地で起きたトラブル、解決までにどのくらい時間がかかるか、必要なら優秀な者を貸そうといろいろ話をされたけれど、結局うまく煙に巻かれ分かったのは半月ほどで解決する見込みという、当初と同じ内容だった。
イネス様は申し訳なさそうに、しかし図々しく頭を下げて去って行った。
エステル嬢はそれを、下唇を噛みながら硬い表情で見送っていた。
……どうしてそんな表情をするのだろう。
だって、てっきり、レオンハルト様と一緒に暮らせることを無邪気に喜んでいると思っていたから。
どこか切羽詰まっているというか、追い込まれているようなその横顔は、十五歳の少女がするにはあまりに切ない顔だった。
私があまりにじっと見ていたからだろうか、バチリ、と目があってしまった。
丸みを帯びたあどけない瞳が、きっと吊り上がるとエステル嬢はくるりと背を向け、無言で用意された部屋へと歩いていった。
エマさんがなんだかバタバタしてたのは気づいていた。アリスさんがコソコソ動き回っていたのも知っていた。
でも、それはエステル嬢の部屋を用意しているからだと思っていた。だってそうでしょう?
それが、まさか、よ。
「エマさん、やっぱり訳が分かりません」
「リディ様、何度も言っていますがエマ、と呼んでください。お客様もいらっしゃるのでこれからは絶対です」
はい、と私は小さく呟く。もう何度も言われているのに中々直らなくて。でも、確かにお客様の前でこれは宜しくない。私だけじゃなくエマさ……じゃなかったエマの常識も疑われかねない。ちなみに、リディアンナではなく、リディと呼ぶように頼んだ。今更エマにリディアンナ様って言われるのはなんだか落ち着かなくて。
それよりも、この状況だ。
お風呂からでたら、なぜかこの部屋に連れて来られた。
「では質問するわ、エマ」
「はい、何でしょう」
「どうして私はここで寝なくてはいけないの?」
ここ、と私は白い大理石の床を指差す。二階に与えられた私の部屋の倍程の広さに加え、豪華すぎる家具。左側の扉はバスルームに続き、右側の扉は……所謂「夫婦の部屋」へと繋がる。恐る恐る開ければ中央に天蓋付きの大きなベッドがあったので、速攻で鍵を閉めた。
そう、ここは三階にある侯爵夫人の部屋。
「リディ様がレオンハルト様の婚約者というお立場をどのように捉えていらっしゃるかは分かっております。ですが、それはあくまでもリディ様のご事情。第三者がいらっしゃる場においてはレオンハルト様の婚約者として相応しい振る舞いをして頂かなくてはいけません」
エマが怖い。
話し方は丁寧なのに。
私が侍女だった頃は優しかったのに。
「客間は二階。同じ階にある部屋を婚約者のリディ様が使うのは対外的におかしいことです。半月だけでもこちらをお使いください」
正論だ。
反論の余地もないぐらいの正論を並べられたら私はぐうの音もでない。
「分かりました」
「それから、半月だけ侍女を手配しました」
「えーと、それは私の? 要りますか?」
「必要かどうかの問題ではなく、体裁の問題です」
あー、そうか。エステル嬢は侍女付き。私に侍女がいないとなるとバランスが悪いということね。もうここは素直に納得しておこう。
「エマはエステル嬢を昔から知っているわよね」
「勿論。私はレオンハルト様が男爵家にいた時からお世話をしていますから」
そうよね。エステル嬢の実の母親はレオンハルト様のお母様の妹。二人の歳の差は七歳だから男爵時代から交流があると考えていいでしょう。
「リディ様、少しエステル様についてお話しをしてよろしいでしょうか?」
「私が知ってよいことならば」
「はい。是非知って頂きたいのです。そうすれば、多少は溜飲も下がるかと。確かにあの舞踏会でのレオンハルト様の振る舞いには私も思うところはありますが、それなりの理由もあるのです。お灸は据えましたし、あの狼狽えようは側迷惑なので、もう家出だけはやめて頂きたくて」
えーと。これはもしかして、私が怒って家出したと思っている? レオンハルト様は何も説明されていない? そして側迷惑な振る舞いとは? 言いたいこと、聞きたいことはあるけれど、これについて触れるのは面倒しかない気がするからやめておこう。
なんだか話が長引きそうな気がして、私は部屋の端に置かれていた水差しと、棚からグラスを二つ取ると部屋の中央に置かれたテーブルにそれらを置く。
「水しかないけれど、よければ座って」
「いえ、そのようなことはできません」
「お水よ? エマが立ったままだと落ち着かないの」
また怒られるかな、と思ったけれど、エマは少し苦笑いしながら腰を下ろした。
「エステル様の実のお母様とレオンハルト様の実のお母様は大変仲の良い姉妹で、お互い結婚してからも交流がありました。でも、それは仲が良いというだけでなく、リカイネン男爵がとても気難しい方だったということもあるのです」
カルバット・リカイネンといえば、そこそこ名の知れた画家だった。男爵家の領地経営をしながら、そこで得れる以上の収入を絵で稼いでいたと思う。さらに民間の絵画教室もいくつか経営していた記憶がある。
「芸術家に多いタイプね。具体的にはどんな感じだったの?」
「制作がはかどらない時には、ちょっとした物音にも過敏になり逆上するので、家の中では気が休まらないと仰っていました。特にエステル様が小さい時は頻繁にお姉様の嫁ぎ先に逃げて来ていました」
レオンハルト様が養子になられたのは十歳。それまでは当然実母と暮らしていたのだから、レオンハルト様とエステル嬢は頻繁に会っていたことになる。
「暴力は?」
「奥様の顔にあざがあることも。幼いエステル様も、細い棒のようなもので叩かれた跡が足にあったことがありました」
それは……かなりひどい。思わず眉間に皺がはいる。
カルバット画伯は風景画が得意で特に花を好んで描いていた気がする。穏やかなタッチからは想像できないけれど、画風と画家の性格が異なることは珍しくない。
「幼いエステル様はリカイネン男爵にいつもビクビクしていて、伯母様のお屋敷が唯一ほっとできる場所だったのです。年の離れたレオンハルト様にもなついていらっしゃって。それにレオンハルト様は利発な子供でしたから、エステル様の置かれた状況も理解し心を痛めていらっしゃいました」
「それで、舞踏会で不安そうにしているエステル嬢を放っておけなかった、ということですか」
「男性は怖い」という彼女の言葉もまんざら嘘ではないのかもしれない。
もしくは、嘘だったとしてもレオンハルト様がその言葉を信じてもおかしくない。
「実のお母様が亡くなられてからはどうしていたの?」
「亡くなられたのは二年前、すぐにイネス様が後妻に入られました。しかし、その頃ちょうどレオンハルト様は留学をしておりこの国にはいなかったので詳しいことは分かりません。イネス様は今までいた侍女を全て首にして働く者を総入れ替えしました。エステル様にしてみれば、頼れる大人が誰もいない環境ですのでおそらくお辛い立場だったかと」
神経質で暴力的な父親と、若くしてすぐに後妻に入った義母。いやな想像しか浮かばない。
「そのことにレオンハルト様は罪悪感を感じていらっしゃると」
「レオンハルト様の実のお母様も祖父母も亡くなっておりましたから、エステル様にとってはレオンハルト様が血の繋がった唯一の大人でした。もちろん卒業したばかりのお身で、できることは限られていたでしょうが、何か助けられたのでは、と思っておいでのようです」
責任感が強いところがありますからね。妹のように可愛がっていたのなら、そう思うのも仕方ない気がする。
「それからも手紙のやりとりはあったようですが、当たり障りのない内容だったようです」
「イネス様が手紙の内容を確認してから出させていた可能性は?」
「何とも言えません」
エルムドア侯爵との繋がりは捨て難いけれど、余計なことを言われないよう管理していた可能性はある。
「ありがとう、エマ教えてくれて」
「いえ。私の方でもできる限りの配慮はいたします。リディ様にしてみれば煮え切らない態度に思えることもあるかも知れませんが、ご理解頂ければ」
そう言って深々と頭を下げるエマ。
私がいない時のレオンハルト様はいったいどんなご様子だったのか。絶対に聞かないでおこう。
それに、こんな話を聞かされちゃったら、私も冷たくはできない。さっき見たエステル嬢の表情も気になるし。
エマが出て行ったあと、私はふかふかのベッドに倒れ込んで天井を見上げた。正確にいうと天幕かな。ゆらゆらと揺れるレースをぼんやりと眺める。
エマに言わなかったことが一つだけある。カルバット画伯の絵には時折悪い噂が流れていた。「経営している絵画教室の学生の作品を金で買って自分の名前をサインして世の中に出している」という噂で、彼の絵には盗作の疑いがあった。
やっかみで噂が流れることも珍しくないから、その真偽は分からない。でも、カルバット画伯が描いた構図や筆のタッチに違和感を感じたことはある。ただ、それは微かな物だったし、何より
「エバーソン・ステライン画商が認めているのよね」
この国に数えるほどしかいない画商ランク特Aの中でもトップ、しかもステライン伯爵家と言う地位まで持っている。
子供のころ、数回その姿を見たことがある。背の高いヒョロとした男性だった。
今は初老になっているだろう彼が認めている以上、盗作とは考えられない。
あー、せっかく早く帰って来たのに疲れちゃった。
情報過多で頭が動かない。
もう、こんな時は寝るにかぎる。
それに、私史上、最高級の布団は一度寝転ぶと起き上がれないぐらい寝心地がよくって。
だから私はそのまま目を閉じた。
夫婦の部屋に繋がる扉をノックする音なんて気づかずに。
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