雑草と絵画.4
「ですからこの絵の処分は少し待って頂けませんか? やりようによっては、百倍、大金貨十枚に化けます」
「まるで錬金術師だな。詐欺師のレベルか? 画商ランク特Aはやはり違うな」
まだ言うか、この男は。
「それから、まずダグラス様にお話しすべきかと」
「必要ない。この絵は家ごと買い取ったんだから」
「……詐欺師はどっちですか」
「何か言ったか?」
「いえ、何も」
確かに理屈から言ったらそうだけれど、筋を通さない商売はいつか足元を掬われる。きちんと話すべきだと思う。それにだ。
「ダグラス様は叔父様が有名になることを望んでいないかも知れません」
「聞いたのか、晩年の話を」
こくりと私は頷く。シュートン家の恥となるならやめた方がいい。この絵が正当な評価を受けないのは残念だけれど、死んだ人間より生きている人間の方が大事だ。
私が残りの絵を黙々と包んでいると、レオンハルト様が包み終わった絵から順に箱に詰めていってくれた。そう、なんだかんだ言ってレオンハルト様は優しい。
「リディは二階も見たのか?」
「はい。階段も踏み抜くことなく問題ありません。行ってみますか?」
「……それはリディの体重だからではないのか?」
あっ、そうかも。レオンハルト様は痩身ではあるけれど鍛えられた体躯をしていて身長も高い。少し慎重に階段に体重をかけると、ギギッと音が響いた。私が乗った時より随分大きな音だ。
「やめますか?」
「いや、多分大丈夫だ」
手摺を掴み、慎重に踏み板を確認するような足取りで二階へと向かう。階段は大工を呼んできちんと修理をした方がいいかも。
二階にある二部屋のうち、一つは玄関入ってすぐの部屋の真上に、もう一つは絵のあった部屋の真上にある。この家は海に向いて立っているので、玄関上の部屋の窓からは海が見えるはずだ。
階段を上がったレオンハルト様は、床板が問題ないことを確かめるといつもの歩調に戻って窓まで行くとカーテンを勢いよく開けた。当然埃が舞い散る。
「ゲホッ、酷いな」
「私もさっきしました。カーテンは取り替えた方が良いかも知れませんね」
手で目の前に舞う埃を払いながら、もう片方の手で口元を押さえる。その姿勢のままレオンハルト様の隣に立った私は思わず息を飲んだ。埃が入りそうで細めた目に映ったのは、海も空も赤く染めながら沈んでいく夕日だ。
水平線との境目は燃えるような赤色で、そのすぐ上は金色に雲が輝く。紅と金が混ざった強烈な色彩の上はすでに夜の気配が漂う濃紺の空。
「悪くないな」
「はい。とても綺麗です。なかなか、拾い物ですよ、この物件」
思い切って窓を開けると、ぶわっと風が室内に入ってきた。隣を見ると、夕日に照らされたライトブラウンの髪が輝き、まるで私と同じブロンドの髪の様に見えた。夕陽を浴びた陶器のような肌は、その陰影を際立たせ思わず見入ってしまうほど綺麗だった。
「うん? どうした」
「い、いえ。何でもありません」
思わず見とれていた、なんて恥ずかしくて口が裂けても言えない。
「とりあえずご近所様の迷惑にならないようにと、手入れを始めましたが、本格的にしてみようかと思います。時々きて、部屋を掃除して、壁紙を変えたりカーテンを変えたり。あっ、もちろん住もうとは思っていませんよ。でも、仕事に疲れた時にふらっと来れる別荘のような場所にしてみようかと」
「あぁ、それは良いかも知れないな」
「ハンナとエイダもきっと喜んでくれると思います」
「…………ほう、ハンナとエイダ、か」
レオンハルト様はおでこに手をあて、渋い顔をされた。それはそれで絵になるけれど、何か問題があるのだろうか?
本格的に手入れをするとなると、一番の問題はやっぱり庭だ。庭は家の右側に広がっているけれど、今日はそこまで辿り着けなかった。一階の窓からは草しか見えない荒れっぷりだし、ちょっとどんな状態か気になるところだ。
「レオンハルト様、庭の状態を上からみたいので、向こうの部屋に行ってきますね」
まだ渋面のレオンハルト様を横目に窓を閉めて隣の部屋へと向かう。
その部屋は四つの部屋の中で一番狭く、物置部屋のようだったけれど、幸い庭側に小さな窓が一つあった。カーテンさえもついていないその窓を開けて、ちょっと身を乗り出して下を見下ろす。
長方形の庭はそれなりの広さがあり、奥には百日紅の木が一本生えていた。
花壇を作って季節の花を植え、真ん中にガーデンテーブルを置けば素敵なんじゃない?
庭の隅でハーブやプチトマトを育ててもいいかも。
思わず妄想に浸っていた私の目に、赤紫色の花が映った。それは生い茂る緑の草の陰からチラチラと姿を現していて、よく見ると入口から一階の奥の部屋へと続いているようにも見える。
なんだろう、あの花。ここからではよく見えないけれど、この辺りでは見かけない花の様に見える。なんとなく、だけれど。
「どうした?」
いつの間に来たのか、レオンハルト様も私の隣で庭を見下ろす。
「ちょっとあの花が気になりまして。何の花か分かりますか?」
「花の名に詳しくない。リディが分からないなら無理だ」
きちんと見るまでもなくそう仰る。
そうですよね。この前お土産に花を選んだ時もやる気なさそうでしたし。
自分から言い出したくせに。
「私、ちょっと採ってきます。レオンハルト様、申し訳ありませんが窓を閉めておいてください」
不満の返事を聞く前に部屋を出ると、階段を走りおりて一階の奥の部屋へと向かう。庭に面した大きな窓を開けると、少し気合をいてれて目の前の草むらに飛び込む。
大げさに、ではなく、本当飛び込むといった感じ。
時には私の目の高さまである草を掻き分け、庭の真ん中の方へと向かうと、まばらに生えている赤紫の花を見つけることができた。
手を伸ばして取ったその花は釣鐘のような形をしていた。もう数本と思って草を掻き分け五本ほど手にしたところで部屋に戻ることにする。でも、あと少しで辿り着くと思ったところでブーツに蔓が絡まった。屈みこんで取ろうにも草が生い茂っていてしゃがむこともできない。
「大丈夫か?」
「足に蔓が絡まりました」
「強引に引っ張り上げて問題ないか?」
「ブーツに絡まっているので、足を傷つけることはありません」
レオンハルト様は草むらに身を乗り出すと、伸ばした二本の腕を、私の脇の下に入れるようにして、ひょいっと持ち上げた。まるで高い高いをしてもらっているような子供のような姿勢で私は運ばれ、大切な物を下ろすように、ゆっくりと床に降ろされた。
「もっと食べろ。軽すぎる」
「いえ、最近食事が美味しすぎてこれ以上太るわけには……」
私は言葉を濁しながらスカートの埃を払う。
下を向けば赤くなっている顔を見られることもないでしょう。
「それで、手に持っているのが気になった花か?」
「はい、この国では珍しい花だと思うのですが、ご覧になったことはありますか?」
「いや、ないな。そもそも花に興味がないので、たとえ見たことがあっても記憶に残っていない」
「ちなみに、何を知っているのですか?」
「薔薇、百合、チューリップ……」
「三歳児ですか」
「それからマーガレット。リディが好きな花だろう」
切れ長の瞳をふわりと細めながら言われて、胸がトクンとなった。
「よ、よく覚えていますね」
いつ話したのだろう。私は子供の頃の記憶はうろ覚えなのに、レオンハルト様はちゃんと覚えていて。これはもう、頭の出来の差としか思えない。
「リディが教えてくれたのに忘れるはずないだろう。それで、この花の名前は何だ?」
「忘れました。私も花には詳しくないのです。でも、絵について教わっている時にこの花のことも聞いた気がするんですよね」
「何だ。リディも知らないのか。名画に書かれていたのか?」
「それだったら覚えています。うーん、何でしょう。花言葉なら覚えているんですが」
気になる。というか、思い出さなくてはいけない、気がする。
「レオンハルト様、これ持って帰ってもいいですか?」
「構わない。帰ったらエマに花瓶を用意させよう」
「ありがとうございます」
さて、日が沈んで辺りは薄暗くなってきた。ランプは持って来ていないからそろそろ帰らなくてはいけない。
「では一緒に帰るんだな」
「はい、辻馬車は疲れますので乗せてください」
今から辻馬車を拾うのは無理だから、乗せて貰わなきゃ帰れない。
当然のように答えながら窓を閉める私の背後から、はぁー、と疲れたため息が聞こえてきた。
《補足》
大金貨 100万 金貨 10万 大銀貨 1万
銀貨 千円 銅貨 100円 のイメージ。
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