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雑草と絵画.3


 どうしたのでしょう。

 レオンハルト様がいます。

 そしてかなりのご立腹。


「あの、……レオンハルト様?」

「この男は知り合いか? 舞踏会でもリディと踊っていたようだが」

「エステル嬢のお知り合いです。あのパーティーでもエステル嬢をエスコートされていました」


 エステル嬢の名前を口にした途端、レオンハルト様の腕がピクッと動いた。その隙をついて私は腕の中からするりと抜け出す。


「アロイはエステル嬢のお父様に絵の指導を受けていたそうです。お父様のアトリエが近くにあるそうで偶然出会いました。草刈りを一人でしていると言うと、手伝うと仰ってくださったのでお願いいたしました」


 「アロイ」と言ったとたん、レオンハルト様の目が険しくなった。


「随分親し気に名前を呼ぶのだな」

「同じ男爵家ですので」


「エルムドア侯爵、自己紹介をしても宜しいでしょうか? 私、アロイ・スーテリーと申します。リディ様がお一人で草刈りをしていると聞き、私から手伝いを申し出ました。出過ぎたことをして申し訳ありません」


 アロイは紳士らしくすっと頭を下げた。レオンハルト様は眉間に皺を寄せたままそれを見下ろしている。


「エステルをエスコートしていた男は途中で会場から姿を消したと聞いているが」

「知人の画商と話し込んでしまいました。エステル様がお世話になったようで、私が不甲斐ないばかりに申し訳ありません」

「いや、こちらこそ私の婚約者が世話をかけたようだ。この後のことはこちらで手配する。スーテリー男爵には改めて礼を伝えておこう」


 レオンハルト様の腕が再び私に伸びてきて、肩を引き寄せられる。


「父への礼は不要です。では、私はこれで失礼致します」

「あ、アロイ、ありがとうございます。助かりました。私一人ではここまでできませんでした」

「リディの役に立てたなら良かったです」


 アロイは私に笑顔を向けたあと、自分の絵を再び布で包み一礼して立ち去って行った。


「……あの。手を離してくれませんか?」


 いつまでも肩に廻されている手に軽く触れると、その指先に力が入り身体をくるっと回され向き合う形になった。


「レオンハルト様?……!!」


 次の瞬間、私の身体はレオンハルト様の腕の中にすっぽりと納まってしまっていた。お揃いで買った香水がふわりと鼻孔をつき、私は自分が今日その香水を付けていないことを思い出した。


「あの、レオンハルト様。離してください」


 慣れない体勢に身体がカット熱くなり、胸の辺りを押したり叩いたりしたけれど、腕は弱まってくれない。


「……ない」

「はい?」

「すまない。舞踏会でリディを一人にしてしまった」


 頭の上から辛そうな声が降って来た。押しのけようとレオンハルト様の胸に当てた手からは、少し早い鼓動が伝わってきて。それにつられるように私の鼓動も早くなっていく。


「……エステルが嫌がっても他の者に看病を任せるべきだった。リディは舞踏会に慣れていないのに、離れたのは俺の失態だ」

「…………慣れない場所であれは心細かったです」

「すまない」

「次々とダンスを申し込まれ疲れました」

「助けに行こうとしたのだが、エステルが……いや。言い訳だ」


 私はかろうじて首だけ動かし、レオンハルト様を見上げる。切れ長の、時には悪魔の様に鋭くなるその目が、辛そうに伏し目がちになっている。

 その目を見ていると、胸の中にたまっていたモヤが少しずつ晴れるような気分になった。まだちょっととげは残っているけれど、謝ってくれたならいいか、と思ってしまう。


「……分かりました」

「では、許してくれるか」

「はい、ですから離してください。片付けが途中です」


 この体勢は恥ずかしすぎる。私の鼓動まで早くなっていることに気づかれそうで早く離れたい。


 私の言葉にレオンハルト様の腕がすっと離れた。


 良かった。

 そうだ、絵、出しっぱなしだから早く片付け……

 と思ったのに、

 

 今度はドン! と耳元で大きな音がして、気づけば扉を背に追い詰められていた。


 あれ、どうしてこうなった?


 背中は扉にピッタリくっついて、身体が密着するぐらいの距離にレオンハルト様。そして先程まで私を抱きしめていた腕は、私の顔の両側にあり、前後左右どこにも動けない。逃げれない。


 目の前に迫るライトブルーの瞳から、さっきまでのしおらしさは消し飛び、獲物を見つけた捕食者のように私を捕らえている。


「許してくれたのなら、俺の質問に答えて貰おうか」


 ちょっと待って。


 確かに許すとは言った。

 でも、だからって。

 お顔が別人かって感じに変わっています。


「昨晩はどこにいた?」


 レオンハルト様の骨張った指が私の顎を掴むから、目を逸らすことができない。形の良い唇の端が笑っているのに、迫り来る圧迫感。


「……マリアナ派遣所の寮に」


 ほぉ、とばかりに目を細め私を見下ろしてくる。


「どうしてだ?」


 顔が先程より近づいてきて、息がかかるほど近い。後ろに行きたいのに、背後は扉。まさしく追い詰められた獲物。


「き、今日、休みだからこの家の掃除をしようと思いまして。汚して良い服がレオンハルト様のお屋敷にはないので、寮に帰りました」

「そんなこと、人にさせれば良いだろう」

「先立つものがありませんっ!」


 ちゃんと理屈は通っている。それに、外泊することはリチャードに伝えたはず。レオンハルト様にそのことを伝えると、チッと舌打ちをされた。


 えっ? 舌打ち?


「だからあいつらは昼まで待とう、なんて悠長なことを言っていたのか」

「リチャードから聞いていないのですか?」

「あいつは、俺の舞踏会での振る舞いに思うところがあったようだから、お灸を据えるつもりだったんだろう。俺が落ち込んでいるのを陰から見ていたに違いない」


 うん? 落ち込んでいた?


「しかし、ハンナとエイダは、リディは舞踏会でのことを怒っていて、海辺の家に住むつもりだと言っていたぞ?」

「どうしてそこで、その二人が出てくるのですか?」

「リディが行くのならマリアナ派遣所しかないと思って、訪ねたんだ。そしたら教えてくれた。それでリディはこの家に住むつもりなのか?」

 

 それじゃ、最初の質問は何だったんですか。

 私の居場所、知ってたんじゃないですか。

 いや、それよりも、ハンナとエイダだ。あの二人には草刈りに行くってちゃんと説明している。


 脳裏に浮かんできたのは、にんまりとした二人の笑顔。きっと昨日の私の話を聞いて、わざと不安を煽るような言い方をしたんでしょう。


 私のためか、レオンハルト様の反応を楽しんでいたのかは謎だけれど。


「レオンハルト様、私、掃除はしましたけれどここに住むつもりはありませんよ。だってここからだと王宮に通えませんし。このまま夏を迎えたら家が草に覆い尽くされ、ご近所様のご迷惑になるから手入れしただけです」


 ライトブルーの瞳が見開かれ瞬きを一つする。暫く呆然としたのち、腹の底から出したような大きなため息を吐きながらその場にしゃがみ込んでいく。


「リディに愛想を尽かされたと思った」


 私の足元で頭を抱え込む姿は、普段見る執務室での姿と程遠い。私の意図しないところで、リチャードさんとハンナとエイダが暗躍したようだ。……あとでお礼を言っておこう。

 しかし、さすがにちょっと可哀想にもなってきた。目、赤いし寝てないんじゃない、これ。


「ダグラス様から鍵も頂いたので家の中も確認したいと思っていたのです。レオンハルト様も見ませんか? 思っていたより傷みは少ないですよ」


 私は後ろ手にドアノブを掴むと、蹲るレオンハルト様を押し退けるようにして扉を開けた。


「さあ、ワグナー邸へようこそ。レオンハルト様が一番のお客様です」

「……アロイは中に入らなかったのか?」


 埃が積もった床の上に残されたのは私の小さな靴の跡だけ。


「はい。アロイは中に入っていません」


 そうか、と言ってレオンハルト様は立ち上がり家の中に入っていく。私も絵を抱えそのあとへと続き、奥の部屋へと向かう。


「何もない部屋だな。この木箱の中身は絵か?」

「はい、先程出したのを片付けたいので、少し待って貰えますか?」


 私は足で埃をざっとよけると、その上に布をおいて絵を包み始める。


「絵は全て処分して欲しいと言われているから、そんなことしなくて良い。服が埃で真っ白になるぞ」

「そのつもりで選んだ服です。それに、この絵なんですが……」


 私は、晩年に書かれた絵をレオンハルト様に見せる。


「私はこれと良く似た絵を、クリスティ様の部屋で見ました。オスマン・スコットという画家だったのですが、おそらくこの絵も彼が描いたものです」

「それは、ダグラスの叔父であるバルム氏とオスマン画家が同一人物ということか」


「隣国へ愛の逃避行をしていますからね。名前を変えていても不思議はないです。金貨一枚のお値段でクリスティ様が買ってくださり、今は、エルムドア邸の私の部屋に飾ってありますよ」

「はぁ!? 聞いてないぞ」


 だって言ってないもの。

 画商ランクがバレた経緯がそのあたりにあるから、絵の話はあまりしたくなかったんだもの。レオンハルト様のことだから蒸し返してチクチク言ってきそうだし。


「そうか。クリスティ様にお見せするということはそれなりに価値がある絵なのだろうな。俺は絵心がないから分からないが、画商ランク特Aが気に入ったんだから、さぞかし素晴らしい物なのだろう」

 

 ……ほら、やっぱり。

 そういう性格だもの、この人。

 だから言いたくなかったんだ。


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