雑草と絵画.1
朝食を食べると、私は辻馬車を乗り継いで海辺の街へと向かった。レオンハルト様の馬車なら一時間半だけれど、辻馬車だと二時間半。おしりが痛い。
早めに出たけれど、懐中時計の針は十時を指していた。休むことも早々に、早速作業に取り掛かる。
今日の私の格好は動きやすさ重視。エンジの膝下ワンピースにボロい靴。雨の日によく着る組み合わせね。コーディンに言ったら、鎌と軍手と草を入れる麻袋を数枚貸してくれた。
「俺も仕事がなきゃ手伝ってやりたいんだけれど」と、済まなさそうに眉を下げて言ってくれた。いやいや、いろいろ貸してくれただけで充分助かる。
さてと、と庭を前に腰に手を当てる。そして、これ、今日中には無理かもとすでに諦めモード。
とりあえずやれるところまでやろう。気合いを入れて袖を捲り、私は虫除けのハーブを身体に吹き付けてから草むらに足を踏み入れた。
草刈りは初めてではない。普通、侍女は下働きのメイドがするような仕事はしないけれど、派遣侍女なんて何でもありだ。
だから、手慣れたもので、草刈りは順調に進む……と思っていたけれど甘かった。
派遣先でしていたのは、あくまでも手入れされた庭の草刈り。ちょこちょこっと生えているのを抜くくらい。そして今、私の目の前にあるのは荒れ果てた庭。
えっ、蔦ってこんなに伸びるの?
この草、初めて見る。
えっ、いつのまにか服に何かがくっついる?
いや、甘く見てたね。刈っても抜いても全然なくならない。入り口から数歩入ったところで、麻袋はすでにいっぱいになった。そして時間はお昼。
朝が早かったから、お腹もすいた。私は休憩もかねて、丘をおりて昼食を買いに行くことにした。
やっぱりこの街はいい。海風と、この解放感ある景色が気持ちいい。食堂やカフェはいくつかあるので迷ったけれど、テラスがある小洒落たカフェに入ることにした。
海に向けてテラスが広がっている。日差しがあるのでパラソルの下を選んで座ると、被ってきた帽子をとる。汗ばんだ髪に潮風が当たって気持ちがいい。
頼んだのはワンプレートにいろいろ載っているランチセット。そら豆の冷製スープは色まで涼し気で、口当たりもまろやか。サラダもレタスにトマト、コーンと色鮮やかでかけられたドレッシングも酸味が効いて美味しい。さて、パスタは、とフォークを手にした時ふいに名前を呼ばれた。
「リディ様?」
様、という慣れない敬称に振り返ると、この前舞踏会で会ったばかりの男性が立っていた。向こうも私の姿を見つけてびっくりしたようで、綺麗なグリーンアイを丸くしている。
「リディ様ですよね? どうしてここに?」
「この近くに私の家があるのです。アロイ様は?」
「リカイネン様が用意してくれたアトリエが海沿いにあります。画家の仕事がない時はそこで制作活動を。ま、つまり大抵そこにいます」
アロイの手元を見ると描きかけの絵があった。十号ぐらいの大きさかな。この辺りは景色がいいし風景画を描くにはうってつけだ。
「よければご一緒していいですか?」
私の前の席を指差す。席は四人席。断る理由もないので頷くと、絵を空いている席に置いて私の前に座った。そしてお店の人を呼ぶと手慣れた様子で注文する。
「リディ様のお屋敷がこちらとは知りませんでした」
「家は、男爵家を叙爵するにあたり知人から空き家を譲り受けたのです。だからとてもではありませんがお屋敷と呼べるような物ではなくて。それから、同じ男爵家、しかも私は新参者ですので敬称は不要です」
私だけ食べるわけにはいかないのでフォークを置くと、アロイは手で食事を促してくれた。それなら、とトマトパスタを一口頬張る。バジルの香りがふわっと香って爽やかな酸味が美味しい。
「男爵家当主を敬称なしは憚られますが、ここは遠慮なくそうさせて頂きます。私のこともアロイとお呼びください。ところで空き家、というと、もしかしたら丘の中腹にある白い家ですか?」
「はい、そうです。ご存知で?」
「素敵な造りの家だと思っていました。しかし、最近は手入れが全くされていないようで。……もしかして、あの家をお一人で手入れされるのですか?」
アロイが私の全身にサッと目をやる。裾の汚れたスカート、年季が入り過ぎているブーツ。
「すみません、こんな格好で。ついこの前まで平民の侍女でしたから」
せめてもと、乱れた髪を直すけれど、今更だよね。
「いえいえ、そうじゃなくて。人にやらせないのかなって思っただけで」
あぁ、そういうことね。確かに女男爵自ら、鎌を持つのはあまり見られない光景。少なくとも私は見たことない。
「ワグナー商会の再開は決まりましたが人を雇う余裕はありません。家屋の手入れは無理でも、できることは自分でしませんと」
ようはお金がないんです。
正直に話したら、どんな顔するだろうってちょっと心配したけれど、アロイは気にする素振りはない。
「今、男爵家はどこもよく似たものです。私も先生のもとで働いて学費を稼ぎながらアカデミーを卒業しましたから」
そっか。そんなこと言ってたかも。没落寸前の男爵家は少なくない。領地経営だけではままならず、皆いろいろ商売に手を出したり、娘のよい嫁ぎ先を探すのに必死だ。この場合の「よい」は娘にとってではなく、家にとって。だから歳の差、後妻何でもありだ。
運ばれてきた食事を食べながら話す会話は意外とスムーズだった。神経質そうな見た目と違い、アロイは話上手だし、育った環境も似ていた。
帰りにお店の人に頼んで裏の井戸で水筒にお水を入れる時も、手慣れた様子で水を汲んでくれた。
「よければ私も手伝いましょうか?」
「そんな! 大丈夫です。絵の続きを描いてください」
「実はちょっとスランプ中なんです。こんな時、いつもなら頭を空っぽにして部屋の掃除をするんですけれど、既に片付けようがないぐらい綺麗で。ですから、草刈りはちょうどいいんです」
画家がスランプに陥るのはよくあること。解消法は人それぞれで、食べたり、踊ったり、やっぱりひたすら描いたり。単純作業に打ち込むうちにアイデアが湧くって人も珍しくない。
「本当にいいんですか?」
「ぜひ、私の作品のためだと思って」
そう言うとアロイはもう歩き始めている。私は慌てて跡を追った。
「アロイ、もしかするとこの家、近所で有名でしたか?」
迷うことなく、家まで来ることができたアロイの横顔を見ながら、私はおずおずと聞いてみる。
「あー、そうですね。この辺りは空き家は少ないし、この荒れっぷりは目立ちますからね」
やっぱり。これは早く綺麗にしなければ。でも、そんなに頻繁に来るのは無理だし……と頭を抱えている私の横でアロイはジャケットを脱ぐ。シャツの腕を捲って準備万端とばかりに草に手を伸ばすので、急いで鎌と予備の軍手を渡した。
「これを使ってください。画家ですから手を傷めてはいけません」
「ありがとう。リディはこんな私でも画家扱いしてくれるんだな」
あれ? 一瞬だけどグリーンの瞳に翳りが見えた気が。でもそれはすぐに消え、アロイは手袋を嵌めている。
「手袋は貰うけれど、鎌は一つだけでしょう。リディが使ってください。私は引き抜きます」
その申し出はありがたい。申し訳ないけれど、それが効率的だと、鎌は私が使うことにした。
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