叙爵式の波紋
前半ダグラス視点
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さて、この重い空気をどうしよう。
「ダグラス、この書類をリディに渡してくれ」
「分かりました」
「ダグラス様、私は今手いっぱいだとレオンハルト様にお伝えください」
「あっ、うん。いいよ、俺がするから」
えーと。いや、夫婦喧嘩は犬もっていうけれど……ちょっとこれ、どうにかならないか。
叙爵式と舞踏会が終わって五日。ずっとこの調子だ。何があったかは言わずもがな。
リディは慣れない舞踏会で放って置かれたことに腹を立てている様子。これは分かる。
レオンハルト様にいたっては、自分に非があるのは分かっているけれど、誘われるがままに他の男と踊っていたリディに素直に謝れないでいるってところだろうか。いや、あれはある意味仕事だから仕方ないと思うんだけれど。だから俺としてはリディの味方だね。
「では、五時になりましたから失礼します」
「お疲れ様。明日は休みだからゆっくりしてね」
ぺこりと頭を下げてリディは帰って行った。張りつめていた空気が少し緩む。リディが帰ってホッとするなんて初めてだ。
「いい加減にして頂けませんか?」
「何がだ」
「あれはどう考えてもレオンハルト様が悪いです」
事情を聞けば、気分が悪くなった従兄妹が休憩室より夜風に当たりたいと言ったからあそこにいたらしい。
「レオンハルト様はあの時、私をリディのもとに行かせるのではなく、エステル嬢の介護を私に任せてご自身がリディのもとに行くべきだったのです」
「分かっている。俺だってお前にリディを任せたくない。だが、エステルが知らない男と二人になるのは嫌だ、すぐ気分が良くなるというから。エステルは複雑な家庭環境にいるから、俺としても気にかかっていて、いろいろ聞きたいこともあったんだ」
「しかし、随分戻って来ませんでしたよね」
レオンハルト様は、バサッと苛立ち気に書類を机に叩きつけると、片肘を付きその上に顎を乗せる。
「仕方ないだろう。庭に放っておけないし。それにリディは俺以外の男とずっと踊ったんだぞ」
「あれは女男爵となったのだから仕方ないでしょう。ワグナー商会を再開する以上、人脈は必須でしすし」
そこは大人になれよ。まったく、巻き込まれるこっちの身にもなって欲しい。
「とにかく、あの舞踏会はリディにとって大事だったことはお分かりですよね。そして彼女はああいう場には不慣れなことも」
「……分かっている」
「でしたら、今日は早くお帰りください。明日は休みですし、幸い締め切りが迫る書類はありません。明後日、出勤が遅れても大丈夫ですから」
とにかく、どうにかして欲しい。
仕事中も、チラチラとリディを見て話しかけるタイミングを見計らっていたのだ。この休みに是非仲直りしてもらわなければこっちが困る。
そう思って早い時間にレオンハルト様を帰宅させたのに、一時間後にこの世の終わりのような顔をして戻って来た。
「リディがいない」
机に突っ伏したこの男。
もしかして、仕事以外はポンコツか?
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私は慣れ親しんだ細道を通り、看板の後ろにある裏口から建物の中に入る。音を鳴らさないようにしても、ギギッと鳴る階段を恨めしく思いながら上がり、自分の部屋の扉を久しぶりに開けた。
マリアナ派遣所の侍女は雇い先に住み込みになることも多いので、部屋は意外と余っている。私の部屋も暫くそのままでいいと言われていて、使い慣れた服やボロい靴、その他もろもろ侯爵家に持って行くのが憚られる品が置いたままになっている。
はあ、とため息をつきながらポケットから取り出すのは、お昼にダグラス様から貰った海辺の家の鍵。明日はボロ服を着てあの家の草刈りに行くつもりだ。
住まないとはいえ、あのまま放っておけば夏になるにつれもっと酷くなるだろう。近隣の方のご迷惑を考えると、それはちょっと心苦しい。
トントン、ドアを叩く音がする。
私はここにいない。
だから開けない。
無視だ無視。
ドンドンドン!! 音が大きくなる。
「蹴破るわよ!?」
「! やめて! 開けるから」
エイダの声に慌てて扉に駆け寄ると、そこには興味深々と瞳を輝かせた二人が立っていた。
「喧嘩?」
「違う」
「ご寵愛がすぎて寝れないとか?」
「絶対違う」
「「喧嘩の方ね」」
どちらも否定したはずなのに、二人の間では結論が出たらしい。おねぇさんに訳を言ってご覧って、玩具を見つけた目で迫ってくる。絶対楽しんでるな、これ。
それから、三十分、舞踏会のことを根掘り葉掘り聞き出され、二人は私以上にご立腹だ。
「ないわー」
とハンナ。いつもと同じように円を描くように床に座った私達。ハンナは煽るようにビールを飲みほした。
「無理」
とエイダ。ナイフが凄い勢いで宙を舞う。
「そうだよね」
と、私は一口ビールを飲む。いくら従兄妹といえども婚約者(仮)を放ったらかしにするのは無いでしょう。それに、
「レオって呼ぶつもりだったのに」
ぼそりと呟いて、立てた膝に顔を埋めた。
約束したし、一応形だけでも婚約者になったし、レオンハルト様には感謝もしている。
だから、呼ぼうと思っていたんだよね。
でも、エステル嬢がレオお兄様って呼ぶのを聴いてから、なんだか呼びたくなくなっちゃて。呼んでやるものか、って思ってしまって、まだレオンハルト様のままだ。
「……ヤキモチ?」
「違う」
「嫉妬?」
「そんなんじゃない」
レオンハルト様のことは嫌いじゃないけれど。ちょっと胸はモヤモヤするけれど。それだけだもん。
「……何で二人揃って私のこと残念そうな顔で見るの?」
「だって、ねぇ、ハンナ」
「そうね。でも、ま、何ごとも時間の掛かる子はいるから」
家庭教師をしているハンナは、そういう子いる、って感じで頷く。
「でも、家出は中々良い手かもね。ハンナ、どう思う?」
「反省を促し迎えにこさせる。うまくいけばこれから先、尻に敷けるし手綱も取れる。リディにしてはいい駆け引きね」
「へっ? 何のこと?」
私は目をパチパチして二人を見る。
二人は私の様子に顔を見合わせた。
「えーと、レオンハルト様の舞踏会の態度に腹が立って、反省してもらおう、謝罪するまで許さない、実家に帰ります! てノリじゃないの?」
「で、迎えに来てもらって、『もう二度としない、愛しているのはリディだけだ』って流れじゃないの?」
「え? 違うよ。私、王都の端に家を買って貰ったんだけれど、暫く空き家だったから草が凄く生い茂っていて。で、明日休みだから草刈りをしに行こうと思ってるのね。でも、あの屋敷にはドレスか綺麗なワンピースしかないから、ここに服と靴を取りにきたの。あっ、勿論今夜はここに泊まるわよ」
王宮から見てレオンハルト様のお屋敷とマリアナ派遣所は逆方向。帰れなくはないけれど、面倒だからこっちに泊まるつもりだ。
「どうしよう、エイダ、この子、予想以上にポンコツだわ」
「でも、考えようによれば天然の魔性といえるかも」
なんだろう。今夜は二人との話が噛み合わない。
そして、胸のモヤモヤも相変わらず。
ここに来たらスッキリすると思ったのに。
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