叙爵式1
そして半月後、
私は王宮の大広間ではぁ、と大きく息を吐いた。
「随分緊張していたな」
「当たり前です」
私が今いるのは王宮の大広間。以前仮面舞踏会が開かれた場所だ。先程、叙爵並びに叙勲式が終わったところで、私の手元には国王陛下から賜った男爵家の紋が入った円形の飾り皿と男爵印がある。
それをどこからともなくすっと現れたリチャードに手渡す。ずっと持っている訳にはいかないからね。リチャードさんは恭しくそれを持つと、気配を感じない足取りで扉の外に消えた。
それにしても、周りから感じる視線が痛すぎる。もう、ぐさぐさと全身に刺さって心臓が耐えられない。若くして女男爵となった、しかも曰くつきのワグナー男爵の直系の私を訝しみ値踏みするように見る男性の目。
しかし、それ以上に多いのは、隣にいるレオンハルト様をうっとりと見てから、嫉妬の炎に燃える目を私に向けるご令嬢達だ。
「レオンハルト様、視線で殺されそうです」
「心配するな。それで死んでいたら俺はとっくにどうにかなっている」
あぁ、そうかもしれませんね。でも。地味に目立たずをモットーに生きて来た私にこれは辛すぎるのだ。どこにいった、私の平穏。
あっ、あっちのご令息達がこっちを見ながらひそひそと話をしている。
と思ったらレオンハルト様がその視線を遮るように私を背に隠してくれた。是非その勢いでご令嬢の視線も遮って欲しい。
「今、国王陛下に謁見しているのは、今年デビュタントをするご令嬢達ですね」
私の目線の先には、淡く色とりどりのドレスに身を包んだ令嬢が固い顔に笑顔を張り付けていた。この国の社交シーズンはこの式典を皮切りに始まる。
「私、あそこまで笑顔ぎこちなくなかったですよね?」
これでも、侍女歴長いから作り笑いも慣れたもののはず。
「いや、よく似たものだったぞ」
「えっ!?」
「むしろ彼女達の方がうまいぞ」
「それはないでしょう」
そんな! 私の営業スマイルは完璧なはず。
「それより、ほら。ご令嬢の挨拶も終わった。そろそろダンスの時間だ」
「緊張が解けたらお腹、空きました」
「それはダンスが終わってからだ」
レオンハルト様はそういって私に手を差し出す。
ちょっと躊躇いながら、そこに手を重ねる。重ねた左手にはブルーダイヤモンドの指輪が輝いている。
出かけに、「そうだ」と思い出したかのように言って、私の手を掬い上げさらっとつけてくださった。跪くこともなければ求婚の言葉もない。そう、これは本当の意味では婚約指輪ではない。
私は正式に女男爵になると同時に、レオンハルト様の婚約者となった。でも、それは少なくとも私にとって「仮」ではあるし、レオンハルト様もその辺りの私の気持ちはご理解いただいている。
しかし、それは私達の間でのことで、傍から見ると正式な婚約者なのだ。そうなると、指輪をしてないのはおかしい。
だから、レオンハルト様は指輪を用意してくれた。そして、それを敢えて、書類を渡すかのようにさらっと渡してくれた。きっと私の気持ちを尊重してくれたのでしょう。そのことは嬉しい、嬉しいんだけれど、でも……
ブルーダイヤモンドって。
しかもこの透明度と大きさ。
値段の推測が立つだけに恐ろしすぎる。
いや、これ、(仮)で着けていいレベルじゃないから。見た瞬間に頬が引き攣っちゃったよ。
ちなみに、胸にはパライバ・トルマリンのネックレス。ドレスは濃紺地に銀糸で刺繍を施したものだ。一応、女男爵なので落ち着いた色がいいだろうとエマさんが選んでくれた。でも、絶対衣装負けしている自信がある。
音楽が流れ始めた。スローワルツの踊りやすい曲はデビュタントのご令嬢のための選曲でしょう。
国王夫妻、クリスティ様と婚約者のセドリック様、それから第二王子のエドワード様は婚約者がいらっしゃらないので遠縁の侯爵ご令嬢をお相手に選んだらしい。その三組が広間の真ん中でダンスを始める。
音楽の第一章が終わったところで、デビュタントのご令嬢が婚約者や身内と一緒にダンスに加わる。叙爵した私もこのタイミングで広間に向かう。音楽に合わせて一歩踏み出す。
初めてのダンス。
さっきは強がってお腹がすいたなんて言ったけれど、本当はずっと緊張してて。
隠せない手の震えはレオンハルト様にも伝わっているはず。そんな私の手を優しく包み、そっと腰に手を回して踊りやすいようにリードしてくれる。
仮面舞踏会ではこの大広間で踊ることができなかった。シャンデリアの煌めきと奏でられる音楽が全身に降り注いでくる。緊張で頭が真っ白になって、足が床についてないようにフワフワする。私、ちゃんと踊れているのかな。
別に爵位には執着も関心もないけれど、ちょっと、胸に込み上げてくるものがある。
「リディのデビュタントだな」
甘露のような声が降り注いできた方を見上げる。普段は鋭い切れ長の目は優しく細められ、とろけるような甘い微笑みを浮かべながらレオンハルト様は私を見つめる。カァっと頬が熱くなるのが自分でも分かった。
「……女男爵としてですから、少し違うと思いますが」
「何、たいして変わらない」
照れくさくって、思わずでた可愛げのない言葉も、ふっと笑って受け流される。なんかもう、私の考えてることなんてお見通しって感じで。
「レオンハルト様は楽しそうですね。 ダンスはお嫌いでは?」
「今宵は特別だ。リディのファーストダンスの相手が俺であれば、とずっと思っていたからな」
何その甘すぎる言葉。
そんなことを綺麗な顔でさらっと言われたら、私は返す言葉さえ浮かんでこない。
真っ赤な顔を見られたくなくて俯いたら、ぐっと腰を引き寄せられた。おでこがレオンハルト様の胸にあたる。
「近いです」
「誤差の範囲だ」
さっきよりも強く漂ってくる、自分と同じ香りに私は顔を上げることができない。他の人より近い距離で踊る私達に向けられる視線にさらに追い打ちをかけられ、私はただひたすら音楽が終わるのを待っていた。
一曲踊り終え、ほっと一息つく。足を踏んだ回数は忘れることにして、私達は壁の花となるべく大広間の端のほうへと向かう。でもそこに向かうまでにも色々な人に声を掛けられて中々進めない。中には知った顔の文官の方もいて、えって感じで二度見された。
「文官に知り合いが多いんだな。書類はダグラスに持って行かせているはずだが」
「もと侍女ですからね。昼食をお渡ししたり、ちょっとしたお使いを頼まれたりはありましたよ」
それにしても、私、明日から普通に働けるのだろうか。
男爵令嬢が侍女をしていても不思議ではないし、私より爵位の高い文官なんて山ほどいるから、意外と目立たないと思ってはいるんだけど。
それに私はレオンハルト様の執務室から出ることがほとんどないし。他部署に用事があって出ようとするといつも引き留められるのよね、で代わりにダグラス様が行ってくれる。迷子になんてならないのに、やっぱり過保護だと思う。
「レオお兄様!!」
そんなことを考えていたら、聞きなれぬ言葉が飛び込んできた。うん? お兄様?
声のする方をみれば、淡いブルーのドレスに身を包み、デビュタントの証である小さなティアラを付けたご令嬢がこちらに向かってくる。
「エステル。そうか今宵がデビュタントだったな」
レオンハルト様が珍しく砕けた笑顔を見せる。
赤みがかった茶色い髪を巻き上げ、大きな瞳はレオンハルト様と似たライトブルー。すらっとした高身長はとても今年デビュタントとは思えない。
「はい、そうお手紙にも書いたと思うのですが、忙しくて読まれていないのでしょう?」
さくらんぼのような唇を尖らせるご令嬢に、レオンハルト様は苦笑いを浮かべる。
「リディ紹介しよう。俺の従妹のエステル・リカイネンだ。エルムドアの血筋ではなく俺の実母の妹の娘だ」
レオンハルト様は子供の頃にエルムドア侯爵家の養子となっている。でも、だからと言って生家と絶縁したわけではもちろんない。両親はすでに亡くなっているけれど、生前は交流があったらしい。
「エステル、俺の婚約者のリディだ」
うわっ、さらりと言った。到底慣れることのない響きに、私はぎこちない微笑みを浮かべる。
「……ではお噂は本当だったんですね。ワグナー男爵家が再興されたので婚約の契約も再び有効となったとか」
あれ、なんか目に敵意がない? それに言い方も。ま、婚約したというより自動的に有効になったっていう受動的流れであることに間違いはないけれど。
「リディ・ワグナーと申します。私も今宵がデビュタントのようなもの。無作法がありましたらお許しください」
お互い作法を気にしないで気楽に、という思いで声を掛けてみたのだけれど鼻でふっと笑われた。
え? 笑われた? 思わず目をパチリとしている間に、エステル嬢の視線はレオンハルト様に戻る。
「そうだ、レオお兄様、私随分ダンスが上手になったんですよ。デビュタントの記念に一曲踊ってください!」
そういうと、華奢な腕でレオンハルト様の腕を絡めとる。あ、これ確実に悪意あるやつだ。
そして、「レオ」という呼び名が私の胸に小さなとげの様に刺さった。このパーティの間には私も呼ぼうと思ってたんだよ、レオって。
「分かった。分かったから腕を離せ。それからデビュタントしたならいつまでも子供の頃の様に俺の名前を呼ぶな」
「えぇ? でも、レオお兄様はずっとレオお兄様です」
じゃれつくように体を寄せるエステル嬢をきっぱりと拒絶することはなく、レオンハルト様は困ったように笑うばかり。そして、私に「少しだけ待っていてくれ」そう言い残して、甘ったるい声に引っ張られるように再び広間の中央に向かった。
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