画商
本日最終話。明日からは夕方ごろ投稿します。
「あの、ここまで来ておいて今更ですが、私のような平民がクリスティ様のお部屋に入って宜しいのでしょうか」
「あら、リディは女男爵ですわ」
「半月後には。しかし今は違います」
「誤差の範囲でしてよ」
それでいいの?
叙爵式って結構重要なんじゃなかったっけ?
なんて、言えないよね……
「畏まりました。それで、絵画とは……」
部屋の壁に飾られている絵のことではありませんよね、選ぶって言ってたのだから。
それにしても、さすが王女様の私室。広さと豪華さが半端ない。レオンハルト様のリビングにさえ匹敵する広さに加え、置いてある家具が凄い。立派なソファとローテーブルのセットがベランダの近くに、部屋の中央には猫足の繊細な彫り細工がしてある椅子とテーブルが。
二つある棚のうち一つには、ガラス細工の置物や、宝石を使ったインテリアランプなんかが並んでいる。もう一つが本棚だっだのが少し意外だった。そして、隣に続く扉の先はおそらく寝室。そっちも凄そうだなぁ。
失礼にも、ぼぉっと私が部屋を見ている間に、クリスティ様は侍女に紅茶の準備と画商を呼んでくるように頼んでいた。間もなく扉が開き、侍女が男を連れてきた。男の後には、大きな箱を抱えた男達が続く。
「画商のクラウザー・ノイマンがクリスティ王女に謁見致します」
黒いジャケットの袖口の赤い刺繍がキザっぽい、いや、芸術家らしい三十代ぐらい男が左手を胸に当て恭しく礼をする。
「顔を上げなさい。堅苦しい挨拶は良くってよ。それより絵を見せてくださるかしら」
その言葉に、後についてきた男達が慣れた手付きで絵を並べていく。
どうやら夏をイメージした物が中心のようだ。もしかして季節ごとに変えているとか? だとしたら、今壁にかかっている絵画はこのあとどうなるのだろう。
「クリスティ様、今回はブルーを基調にしたものを中心に集めました」
部屋の壁に沿うように並べられた無数の絵画。
これはかなり見ごたえがある。
しかもこの画商、中々センスがいい。
有名画家だけにこだわらず、新進気鋭の画家も含め素敵な絵を取り揃えている。
ついつい、絵画に歩み寄りまじまじと見てしまう。
はっと気づいた時には、私の後を軽やかな足取りで王女様がついてきていた。
あっ、まずい。これは立ち位置が逆じゃないだろか。
そっと後に下がろうとしたのに、逆に背中を押され戸惑いながら先を歩くことになった。
「どれがいい思う? この部屋に合う夏らしい絵を探しているの」
えーと、本当に私が選んで良いのでしょうか。
私の意見はあくまで参考程度、ですよね?
「……そうですね。印象派、抽象派とありますが……これなんていかがですか」
私が手に取ったのはとある国の風景画。昔は一つの王国だったけれど、最近隣国に併合されたとか。右側に海。左の丘の上には白亜の古城。それを繋ぐなだらかな坂には白壁に青い屋根の家が立ち並ぶ。青と白がバランスがとても良く、夏の日差しを感じるのに涼しげだ。
「ではこれにしましょう」
「へっ?」
いいんですか?
即決ですか?
思わず持っていた絵を落としそうになって慌てて抱き抱える。
「お値段は聞かなくてよろしいのですか?」
「構わなくてよ」
結構有名な印象派の画家だから、それなりの価格になりそうだけれど。画商も揉み手で喜んでいるし。
「リディ、他に素敵だと思うものはあるかしら?」
王家のお財布事情は計り知れないので、気にするのはやめよう。
私には想像がつかないくらい大きな財布なんだ。
それでもせめて、良い絵を選ぼうと見ていくと画商が一枚の絵を持ってきた。
「こちらの名画は如何でしょう。最近隣国の画商から譲り受けた物です」
有名画家の名前を口にしながら手渡してきたのは、ブルーと紫が渦を巻く中に黄色と赤の線が絡まるように踊る印象派の絵。さっき選んだのが風景画だから次はこういうのでもよいのだけれど……
「あの、ちょっと見せてもらえますか?」
「はい?」
クリスティ様より先に侍女姿の女に手を出され、画商はギロッと目を鋭くする。
だけど、クリスティ様がさっと画商から絵を取り私に渡してくれた。それを受け取り、じっと描かれた線を見る。
やっぱり。
クラウザー画商、目つきを鋭くさせなきゃいけないのは、私に対してじゃなくてこの絵に対してじゃないかしら。
「これ贋作ですね」
「なっ……、何を。侍女風情にどうしてそんなことが分かるんだ。出鱈目をいうのも大概にしろ」
「私、画商ランク特Aを持っています」
「!!!」
クラウザー画商は数歩下がりのけぞった。ま、そうなるでしょうね、普通は。クリスティ様さえ目を丸くして私を見ている。
画商にはCから特Aまで四段階ある。一年に一度試験があり、私はそれに十歳で合格した。因みに特Aは一桁ほどしかいない。数問、鉛筆を転がして解答番号を選んだけれども、それこそ誤差の範囲でしょう。
ランク付けしているのは、絵を買う人間が素人だからだ。画商のランクは信頼度を現しているので、買う側からしてみれば安心感につながる。男の反応から見て特Aランクではなさそう。と、いうか特Aランクなら間違えないしね。
「初めまして、私リディアンナ・ワグナーと申します」
いいよね。名乗っても。
叙爵まだだけど。
誤差って言われたし。
「ワグナー……では噂のワグナー男爵家のご当主ですか。商会を再開されるとの噂は聞いています」
さすが、王宮に出入りするだけのことはあって耳が速い。そして彼の年齢なら私が最年少で受かったことも知っているはず。
「リディアンナ様の噂は若い頃に耳にしたことがあります。……それで、この絵が贋作、とのことですが、それはどうしてでしょう?」
さっきより態度は柔和で丁寧になったけれども、まだ私を見る目は鋭い。そりゃそうよね。王族の前で贋作って言われたんだから。
「この絵が百年ほど前に書かれたことはご存知ですよね。この赤色、僅かですが百五十年前に使用禁止された鉱石を砕いたものが混ざっています」
ドラゴン・レッドと呼ばれるその石は、粉砕して水に溶かして使われていた。でも、その石には毒が含まれていて画家の手足の自由を奪い、時には切断も余儀なくすることが分かり使用禁止となった。
「もちろん、禁止されてからも使う画家はいます。しかし少なくともこの画家は使っていません」
キッパリ断言して絵をクラウザー画商に渡すと、震える手で掴みじっと見ていた。そして崩れ落ちるように床にへなへなと座り込んだ。
あっ、これはかなり高値で買い取ったな。
買った画商の名を聞けば、ルーク画商という。あれね、一年前に行方不明になったやつ。
とりあえず、護衛室の場所を教えてあげたけれど、被害届は書かないでしょうね。だって画商が贋作摑まされたって致命的だもん。
「でも、混ざっている量も僅かですし、タッチもよく似ています。間違えても仕方ないと思います」
可哀そうになってフォローしてみるも、項垂れた頭は上がらない。気持ちは分かる。なんていったってクリスティ様の前でやってしまった取り返しのつかないミス。これからの取引は難しいかもしれない。
「リディ、私、あと二枚ほど欲しいわ」
だから、その言葉に一番びっくりしたのはクラウザー画商だった。
「私から買って頂けるのですか?」
「あら、買うために呼んだんだから当然でしょう。それに見分けが難しい絵だったってリディが言ってますもの」
突然クラウザー様の私を見る目が変わる。
えっ何、その女神を崇め奉るような目は。
ぞっと鳥肌が立つんですけれど。
「あら、この花は初めて見るわ。ねぇ、リディ、この絵はどうかしら?」
描かれているのは赤紫の釣り鐘のような花。名前なんだったかな。絵は悪くないんだけれど、クリスティ様に相応しいほどの物ではない。
「……そうですね。綺麗ですが、少々画力が足りないように思います。それにその花の花言葉は不誠実です。それでしたらこちらのインパチェンスはどうでしょう。花言葉は鮮やかな人、クリスティ様にぴったりです」
赤い花弁の内側が白く、それが夏の闇に浮かぶように描かれている。筆遣いも色使いも素晴らしい。
ちなみに、もう一つの花言葉は強い個性。
うん、ぴったりだ。黙っておこう。
「ではこれにするわ」
またもあっさり決め、今度は画商と話を始めたクリスティ様。それは彼女なりの気づかいかもしれない。だから私はそっとその場を離れて残りの絵を見ることにした。
……そして、私はまるで吸い寄せられるように一枚の絵に釘付けになった。何これ、凄い。思わず手に取りじっと見入る。
……多分、割と長い時間そうしていたんだと思う。いつの間にか隣にクラウザー様がいた。
「さすがですね。それはオスマン・ラコットの晩年の作です。晩年になって急に作風が変わり、死んでから評価が上がった絵です」
「そうですか。知りませんでした」
ここ十年ぐらいの知識がスポッと抜けている。でも、この絵は凄い。それは分かる。
「おいくらですか?」
「金貨一枚。晩年の作がもっと出てきて日の目を見れば、きっと市場での評価は十倍以上に化けますね」
私もそう思う。いや、十倍は低いな。もっと、うまくいけば百倍も夢ではない気がする。今は無名でも、死後に評価が上がる画家は意外といるものだ。
ただ、その為にはある程度の枚数が必要になる。一定数の絵画を同じレベルで書き上げることができてこそのプロだから。
だから、今、これに手を出すのは賭けなのよね。あと何枚出てくるんだろう。
「ではそれを」
「畏まりました」
「えっ!?」
これまた、いつの間にか隣にいるクリスティ様があっさり購入された。ま、彼女にとって金貨一枚なんて大したことないのかも知れないけれど。
「リディにプレゼントしますわ。女男爵となったお祝いに」
「えっ!? 私にですか?」
「ええ。でもあくまでも女男爵となったお祝いでしてよ。婚約の祝いではないわ。だってリディはエルムドア卿より私の侍女をする方が良いと思いますもの」
えーっと。
まだ、諦めていなかったのですね?
クリスティ様付きで、平民の侍女はあり得ないけれど、男爵令嬢なら寧ろ無難なところ。
いやいやいやいや。
それはあり得ない。
だってレオンハルト様が私を手放すはずが……
「……あら、どうしたの、リディ。急に顔を赤くして」
「な、なんでもありません!」
えっ、待って。私、今何を考えた?
無よ、こういう時は無になろう。
『とある画家が描いた海と白亜の古城と青い屋根の風景画』が舞台となっているのが、悪魔に嫁いだ私の幸せない物語です。リディは出てきませんが、是非、こちらも宜しくお願いします。妹の代わりに悪魔と評される男に嫁いだ姉のお話です。




