中編
やはりインスパイア元は『冒険者たち』ですかね。
「人間ごときに借りを作るとは、あたしも焼きが回ったわね」
助けなくてもよかったかな──私は罰当たりなことを思った。
感謝を期待していたわけではない。だが、人間に等しい知恵と情緒を備えた動物の危機を救った代価が、〇〇ごとき呼ばわりとあっては気分を害しても無理からぬところではなかろうか。
「感心できませんな。鼠も人も神仏の赤子ですぞ」
「あ……それもそうね。ありがとう」
さすがはポラトゥーチ博士、少しも声を荒げることなく厳かな口調で嗜めてくれる。生意気な野ネズミの小娘も尊大さを自覚したようで、即態度を軟化させた。
「こちらは私の親友です。私はモモンガのポラトゥーチ」
「博士号を持つモモンガの大賢者だ。仙術を修めた仙鼠であらせられる。君が猫に襲われているのを逸早く発見してくれたのも博士なんだ」
意趣返しのつもりで、恩着せがましい言い方をしてみる。
「そんな偉大な方とは知らず、とんだ失礼を……あたしはトガリです」
「トガリさん、あなたアカネズミとお見受けしますが」
「はい、この秋口まで山をひとつ隔てた土地の森に住んでいました」
トガリなるネズミは畏まった口をきいた。
赤味がかった褐色の典型的な野生のネズミだ。いかにも旅の途中らしく肩からは小鞄をぶら下げている。
「向こうの土地で食料にでも困ったのかい?」
私が質問してみた。本来ならば冬ごもりの時季に野ネズミが雪上をうろついている理由など、糧食の確保が不十分であったとしか考えられなかった。
「食料だけなら、ドングリも穀物もたっぷりとあるわ」
「じゃあ、どうしてわざわざ外へ出て猫に襲われたりするんだい?」
「たっぷり過ぎるからよ……一匹だけじゃ食べきれないから……」
急にアカネズミの声から溌剌とした色が褪せていく。
まずい。心の傷に触れてしまった気がした。
「ううん、あなたたちには関係のない話よ。じゃあ、あたしは旅を続けるから。本当にありがとう──あ、そうだ!」
歩きかけたトガリが小鞄の中をまさぐり始める。
「はい、お礼にこれをあげるわ。きれいでしょう!」
得意げに出した貴石を見て、私と博士がアッと声をあげた。
「博士の勾玉じゃないんですか⁉」
「間違いありません。なるほど、見つけづらいのも道理だ。あなたと一緒に移動していたからですな」
「え? これ、あなたたちの石なの?」
「博士の大事な首飾りだよ」
「ありがとうトガリさん、正直な方に拾っていただいて助かりました」
「そうだったの……」
野ネズミ娘が虚しげに小鞄の中をのぞく。
「元の持ち主に返しただけなら、全然お礼になっていないわね。でも、どうしよう。あたし、他に差し上げる物がなんにもなくて……」
「でしたら、先程のお話の続きを聞かせてくれませんか」
「僕も聞きたい。君には辛い話のようだけど」
「辛いけれど……いいわ」
そわそわと体を揺すっていたが、わりと早く決心がついたらしい。
「報恩こそが赤鼠の徳だとパパに教わったからね。あたしはね、オコジョのサグレって奴を探しているのよ」
「オコジョのサグレ? どういう奴だい?」
「あたしの家族の仇、あたしの家族を食い殺した奴よ!」
トガリはまっすぐ私たちを見据えて、冬の冒険に出た事情を説明してくれた。
─────────────────────────────────
あたしとサグレが出会ったのは夏の麦畑。
収穫前に少し失敬しておこうと忍び込んだら、まだ夏毛で茶色だったあいつがいたじゃない。
肝を潰したわ。だって、オコジョよオコジョ? イタチの仲間よ?
あたしたちアカネズミや他の野ネズミたちにとって天敵は山ほどいるけど、残忍さと執念深さにおいては、オコジョは取り分け恐れられているわ。
とっさに麦の茎に隠れたけど、ちょっと様子がおかしかった。そのオコジョは、横たわって、うんうん声をあげて苦しんでいたから。
そうっと顔を出して観察すると、そいつは片足が真っ赤に濡れていたのよ。
あたしは馬鹿だった。いくら後悔や反省をしても足りない馬鹿だった。
「……大丈夫?」
馬鹿だから、つい姿を見せて声をかけてしまったの。
さすがにオコジョが反応してこっちを見た瞬間は、心臓が凍りついたけど、足に傷を負っているんだから、万が一襲われても逃げ切れると判断してしまった。
「あんた、俺の心配をしてくれるのかい?」
弱々しい返事。これは大丈夫だと思った。
「怪我をしているのね」
「うん、人間の罠にかかってね……ああっ!」
あたし、びっくりしたわ。すごく痛そうに呻き声をあげるものだから。
オコジョだって血を流すし痛みを感じるんだ。あたしたちと同じ生き物なんだって。そんな当たり前のことも考えなかったあたしってバカ。
そうよバカなのよ。当たり前のことでいちいち同情してたら、命がいくつあっても足りないってことにも気づけなかった大馬鹿者。
「薬を塗ってあげるわ」
笊で風呂桶の水をかき出すぐらい救いようのないバカだったから、オコジョがかわいそうでたまらなくなって、小鞄から傷薬を取り出していたわ。
「あんた本気かい? 俺はオコジョだぜ」
あいつ、きょとんとしてたわ。そりゃそうでしょうね。あの時、あいつの瞳に映ったあたしは、ネズミにあるまじき間抜け面だったに違いないから。
「いいから手当させなさい。痛いんでしょう?」
「治ったら、その場であんたを取って食うかもしれないぜ」
「薬は魔法じゃないわ。すぐに動けるほどよくなりはしない」
「馬鹿だねあんた……」
あいつは呆れ顔で血に濡れた脚を差し出した。
まだ少し怖かったから、震える指で薬を塗ってあげた。ひどい裂傷だったけど、鼠印の薬草はよく効くから、これは治ると思った。
「手当終わり。もうしばらく休んでいなさい」
「おかげで楽になったよ」
「あたしはこれで帰るけど、またネズミに助けてもらえるなんて期待しないでよ。だって、あんた天敵なんだし」
「だろうねえ。あんたみたいなネズミは二匹といるまいよ」
それから、あいつと再会するのに三日とかからなかったわ。
巣に敷く藁を調達しようと遠出し過ぎたせいで、カラスに襲われていたところへ現れたのが、あのときのオコジョだったのよ。
恰好よかった。逃げ足自慢の仲間が何匹も捕食されたのが頷けるぐらいの素早い動きで、二羽のカラスを手玉に取って追い払ってくれたのよ。
「ひさしぶり。無事かい?」
「あんた怪我はいいの……!」
「おかげでご覧のとおり」
「動けるようになったお礼に来てくれたってわけ?」
「お礼の機会をずっと待っていたんだぜ」
「言い伝えどおりオコジョは執念深いのね」
「執念深いってことは義理堅いってことさ」
「物は言いようね。あたしはトガリ。あんたの名前は?」
「俺はサグレっていうんだ」
「ありがとうサグレ」
あたしはいっぺんでサグレが好きになったわ。
獰猛なオコジョと非力なネズミ、食うか食われるかの関係を超えた友情が成立したんだって、あたしは自分が歴史的な偉業を成し遂げた気になれた。
ちょっと不良じみた口調や、斜に構えた台詞まわしとかも、彼の何もかもが輝いて見えた。アカネズミの男の子たちが、みんな愚図に見えるぐらい。
でも、本当の愚図はあたしのほうだった。
道化もいいところの頓智気ネズミ、種族間の架け橋とかの美しい言葉に舞い上がっていただけの盆暗ネズミだったと思い知らされることになった。
あたしはサグレのことを両親や群れの仲間に紹介したかった。要は自慢がしたかっただけなんだけどね。一度、怖がらせるだけだからやめとこうぜって渋るサグレを説得して、巣穴のある切株の根っこ近くまで引っ張っていったことがあるの。
あれが致命的だった。ある日、巣に帰ったら、みんな消えていた。
父さんも母さんも弟や妹たちも群れのみんなも……残っていたのは血の痕やちぎれた毛や尻尾だけ。もちろんアカネズミのね。
肉食獣に襲撃されて、食い殺されてしまったことは明白だった。
(馬鹿だねあんた──)
サグレを助けてあげたときに言われた言葉が頭に浮かんだ。
まんまと利用された。あいつに家族や仲間たちの住処を教えたのはあたしだ。そう仕向けたくてサグレは、あたしに再度接近し、ピンチに助けてくれたのだ。
すべてはアカネズミの根城を突き止め、食欲と補殺本能を満たすため。
あたしはあいつの名を叫びながら森中を駆け回ったわ。でも、あいつはもう二度とあたしの前には現れなかった。