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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

染雪

作者: 宮本颯太

 明暦元年 霜月 (一六五五年 十一月)。

 雪の積もった江戸の昼下がり。(すげ)(がさ)を被った二本差し姿の(さが)()(とも)(つぐ)は、町を行き交う人々の中からとある口入れ屋の主人の顔を長い(しょう)(もう)の眼に見つけると、腰の脇差にそれとなく手を掛け、口入れ屋とすれ違い様それを逆手に握り、素早く抜刀して(あばら)の隙間を突いた。

 囁く様な息を漏らしてへなへなと倒れ込んだ口入れ屋が雪の上に血溜まりを作って絶命すると、それに気づいた悲鳴が朋次の背後に聞こえた。


 人を刺した感触に滅入りつつ向かった先は、地元の仁侠の親分である(さわ)(むら)(たつ)(さぶ)(ろう)の屋敷であった。

 門の前にいた辰三郎の手下に取り次いでもらい中に通された朋次は、奥座敷で親分を待つ事となった。


「ご苦労であったな」

 戸を開けて姿を見せた辰三郎に朋次は深く座礼し、

(くだん)の口入れ屋頭領の命。脇差にて……」

 と静かに報告した。

 仕置きの代金三両をもらい、しばらく辰三郎の若き日の武勇伝に付き合った後、朋次は下っ端の侠客に見送られながら屋敷を後にした。

 舞い始めた粉雪に家路を急ぐ朋次の足を、積もった雪が邪魔をした。


 ◆


 長屋へと帰ってきた朋次は、奥で布団に横たわり咳をする姉の()()()に寄ってゆき、顔色を確かめた。昨晩よりかは血色が良い。しかしながら死人と大差ないこの青白さ。

「あ……朋次」

 千佳子が薄っすらと眼を開けて起き上がろうとするので、慌てて肩の辺りを抱きかかえる。僅かばかりでも力を込めようものならたちまち骨が折れてしまいそうなほど痩せ細った姉の身体に、朋次は心の臓を握られる心持ちであった。

「血の匂いがいたします……お前さんは今日も……刀を、抜いたのですか……?」

 苦しい呼吸の途切れ途切れに言いながら千佳子は脂汗を額や小鼻に浮かべていた。

「朋次は斬っておりませぬ。浪人に襲われ殺されたと思しき亡骸の片付けを手伝って来たのでございます」

 千佳子の脂を布で拭き取りながら、朋次はやっとの思いで弁明した。


 ◆


 日も落ち、(あん)(どん)の火が屋内を照らしている。

 動けぬ姉の代わりに朋次が(ゆう)()の支度をして並べるのはここ数年、毎晩のことである。

「姉上。お召し上がりになれますか?」

 布団から身を起こしていた千佳子は痰が絡む呼吸を深くして首を横に振り、

「あいにく気分が優れませぬ故……」

 と言って激しく咳をした。

 朋次はそっと、苦しむ姉の背中をさすった。


 朋次は元々、足軽の出であった。それがいつしか江戸の任侠に見染められて、今は仕置人として召抱えられている。

 当然にしてこれを心良く思わざる千佳子であった。幼くして両親を亡くし、病に冒されながらもその代役を務め弟と連れ添って来たは仕置人とする為に(あら)ず。


 千佳子は一層強く咳き込んだと思うと、激しく喀血した。夜着の上に溜まる鮮血は、朋次の(とが)を代弁するもののように思えた。


 身を乗り出してくる朋次の肩口を大量の血痰が付着した(たなごころ)で制し、千佳子は呼吸を整えんとした。眉間を(ひそ)めながら切れ長の目を閉じ、血を吹くが為に口から息を取り入れられぬ苦しみに歯を食いしばる苦悶の表情で天井を仰ぎ、細い鼻孔で懸命に息を繋いでいた。

 行灯に照らし出されたその姿には、痛ましさと儚さと、ひと添えの妖艶さも滲み出ていた。

「朋次」

 千佳子の頬を一筋の涙が流れ伝う。

「姉上はもう、お前に人を斬らせとうございませぬ。もしこの身を思うが故に纏う血の匂いならば、姉上は(おも)()になりとうございませぬ……」

「重ねて申し上げます姉上。朋次は斬っては……!」

「千佳子は弟に人を殺めさせてまで生きとうございませぬ!」

 思わず声が大きくなりかけた朋次の言葉を、赤く染まった口元で息をしながら肩を震わせ胸に手を当てている千佳子が遮った。

「お前さんがどれだけ人を斬っても、この身は長くは()たぬ定め。さればどうか……朋次一人でも新しく別な道を歩んで()しゅうございます」

 振り絞られた千佳子の愛情が、朋次には辛かった。彼の心を満たす想い。それは……

(それがし)は姉上の(そば)を離れとうございませぬ。ここに姉上を置いて独り歩むは余りに酷な事にございまする」

 すがりつく弟を、千佳子は苦渋にも突き放さざるを得なかった。心を鬼と化して返す言葉は、

「されば、これより千佳子を思うて刀を用いることを固く禁じる。もしこの契りを反故にすることあらば、姉上は喉を突き妖魔と成りてでもお前を連れてゆきまする。この身の為に(とが)を重ねし弟を置き去りに逝く事は出来ませぬ故……!」

 キッ、と鋭利に(きら)めく鳶色の瞳に仕置人朋次は戦慄した。

「承知(つかまつ)り申しました。仕置稼業は金輪際……」


 それからはもう何も言わず、湯に浸した手拭いで姉の口元の血を拭き取り、その(のち)に丹前を脱がした雪白の女体を替えた手拭いで丹念に拭いた。

 しかしながら、今しがた交わした契りは予想以上に千佳子を安堵させたらしい事が、柔和にほぐれた表情に伺えた。

「そういえば、姉上にとっておきの手土産が」

 朋次は丹前を着直す千佳子を手伝った後、茶を沸かして湯呑みに注いだ。

「快方に向かうとされる茶葉を使ったものにございます。城下で見知った茶屋の主人より譲り受け申した」

 弟の純真な心遣いに千佳子は慈愛と感謝の眼差しで応えた。湯呑みを持ち上げるのにも弟の手が添えられ、半口ずつ喉へ流してゆく。

「姉上。如何にござるか?」

「美味しゅうございます」

 喉元の血痰が洗い流されて息の通りが回復した千佳子に朋次は束の間、心が安らぐのを噛み締めた。


 ◆


 明暦元年 師走(十二月)。

 (あん)()の江戸に雪が降っている。粉雪ではない、もっと厳然たる冬の情緒。

 白塀に背をもたれ佇む朋次は今にも泣き出しそうになっているのを、菅笠に隠して俯いている。


 数日前。朋次は雇い主である辰三郎に事情を話して、仕置人から用心棒の一人に加え改められた。


「朋次が次に剣を抜きたるは姉上の為にございませぬ。(あるじ)が為に剣を振るうは武士(もののふ)の本懐にございます!」

 朋次からの報せを千佳子が受けたのはその日の今頃のこと。

 千佳子は微笑み、「そう……」とだけ言って朋次の目を覗き込むと、総髪の頭をそっと胸に抱き寄せた。

「はっ……、如何なされました?」

 照れ臭さに揺らぐ弟を逃さぬ様にしながら、

「覚えておりますか?お前さんはほんの少し前まで何かの折に母上を思い出しては泣いていたのですよ」

「それは随分昔のことにござる」

 慌てる弟の様子を見た千佳子は、フフフと笑った。

「ええ。ただ姉上はつい昨日の事の様に覚えておりまする……」

 朋次は顔を赤くした。

「そういう時にね、こうして胸の音を聴かせてあげると、すぐに寝かしつける事が出来申したものです……」

「いえ。ですから……」

「その度にいつも考えておりました。この子はいつまで(わたくし)に抱かれて寝てくれるのかと……」

 朋次はハッとして、目頭がじんわりと熱くなった。まだ幼い時分には目一杯に甘えさせてくれた千佳子の言葉に、時の流るる無情さが()みたのだった。

「ご武運、お祈り(たてまつ)ります。朋次」


 唯一の肉親たる千佳子の信頼と仁愛に守護されながら、ここ暫くは用心棒の任に励んでいた相良朋次。しかし、この日は……。

(姉上。信愛を賜りながら背を向けるこの愚弟の所業、何卒平に御許しを)

 遠くから雪を踏む複数の足音を聞きながら、朋次は幾度も詫びて、近くまで来た一団の前に立ち塞がった。


「むっ……闇討ちか」

 敵は五人。いずれも帯刀している。その内の一人が、朋次の頬に光るものを見た。

「三下風情が。(なに)(ゆえ)泣いておる」

 涙の理由に答える必要はない。

「……沢村一家、相良朋次。(あるじ)辰三郎の命にて、引導お渡し(つかまつ)る」

 朋次はそっと腰の刀に手を掛けた。


 ◆


 長屋で布団の上に正座する千佳子。行灯を前に追懐するのは五つ離れた弟の姿である。

 産まれて間もなかった頃の色白の柔き小さな赤子の肉体。幼心にもその無病息災を祈願したのは未だ記憶に新しい。

 やがて這う様になり、そこから立って歩き始めた時には既に千佳子が母代わりであった。


 母親を亡くしたのは朋次に物心がつき切ってからの事。その哀しみを抱えたは千佳子も同じであったが、日が暮れると心細さに泣き腫らす弟を抱き寄せ胸の音を聴かせて落ち着かせ、寝息を立てる愛おしさに母性を震わせては気丈の芯を(つらぬ)き通したのであった。

 年月は過ぎ、朋次は逞しく成長した。行き違う様に病魔に冒され苦しみ伏せる千佳子に、その厄を払わんとして見せてくれた赤備えの甲冑姿は、まさに我が子の晴れ姿を目に焼き付けるが如しであった。

 それら追憶の影は行灯に映し出され、消え去りし今、千佳子の膝下に照らされるは朋次から贈られし花柄朱色の護り刀。

「……良き弟と巡り逢い、千佳子は幸せにございました」

 麗しく微笑み、鞘に手を添え(つか)を引いた。


 ◆


 塀の前で斬り伏せた五人の遺体が転がる雪の上。刀に粘着した血と脂を振り払う気力も無く、朋次は虚ろに立ち尽くしていた。

 剣を交え、鎬を削り、一瞬の隙を突いて腹を裂き、首を刎ねた物打ちの感触がまだ手首に残っている。

 辺り一面を塗り潰す五人分の血は、さながら死霊を呼び込む黄泉への入り口。その生々しい赤色に、ふと千佳子の喀血が脳裏をよぎる。

 あれはどんな気分がするのだろう。姉の苦しみを想像した時だった。

 突如として胸を斬り裂かれる様な苛烈この上ない痛みに息が詰まり、反射的に口元を押さえた朋次の指の隙間から鮮血が吹き出して雪を染めた。

 白銀に刀を反射させながら突き立て、力が抜けて倒れ込みそうになるのを堪えた。

(馬鹿な。斬られてはおらぬ筈!敵の刃はこの身に直接触れては……!)

 混乱する朋次は自分でも気付かぬ内に今度は朱色の護り刀を思い浮かべていた。手渡した時、「綺麗……」と惚れ惚れしながら千佳子は言って、目を輝かせて喜んでくれた。


 朋次は呼ばれている気がした。確信的にそう思ったのだ。

 彼は突き立てた刀に力を込めて立ち上がり、雪風に菅笠が吹き飛ばされるのも気にせず千佳子の待つ長屋へ向かった。先程まで軽々と振るっていた刀が今にも手から滑り落ちてしまいそうになるのに対し全身全霊で柄を握り締める。最愛の姉上の()(もと)に帰るまで、彼は生き抜かねばならぬのだった。


 ◆


 雪に吹かれ、血の滴を続かせながら長屋に到着した朋次は、沈み込む様に眠る千佳子をぼんやりと照らし出す(あか)りに赤く濡れた護り刀の刃が反射しているのを見た。

 ようやく手放した刀の鈍い音が重々しく響くのを聴きながら、よろよろと姉の亡骸に寄ってゆく。どうやら喉を切ったらしい。

 もう何もかもを達観して、朋次は千佳子と向かい合って横たわり、小さくなった手を握った。

(温かい……)

 行灯に照らされた千佳子の顔は生前よりも穏やかで、安らかで、優しさに満たされていた。

(お美しゅうございます……姉上。(まこと)、お美しゅうございまする……)

 (つい)に臨むこの時となって尚も愛情を授けられた気がして、朋次は幸せであった。


 長い睫毛に纏わりし雪の塵もまた行灯の光を浴びて溶け出し、涙と共に流れ落ちて深く紅い絆に染まっていった。

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