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ARCANA=LIFE ~愚者と21の可能性~  作者: 義樹
第一章:『愚者と運命の輪』
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1-08:『無の権能』


 空に浮いていた三日月が太陽の光で姿をくらます頃、ハルトの目覚めは清々しいものであった。


 寝起き特有の瞼の重さを感じることもなく、覚醒した意識は鮮明である。昨夜まで溜まっていた疲れは微塵も残ってないが、逆に過剰な睡眠による寝疲れが心配になる。

 まともな寝台での起床は三日ぶり、異世界転移後なら初めてだ。一昨日も昨日も草原のど真ん中。ガラリと変わって、今日はふかふかベッド。


「やっぱり、寝床って大事なんだな……」


 敷かれたシーツを指でぎゅっと掴んで、ハルトは素直に感想を呟いた。

 二度寝に興がることもなく掛け布団から脱出すると、身体を捻って木の床に足をつける。氷のようにひんやりとした感覚に、思わず足を引っ込めてしまう。床暖房が恋しくなる。


 宿屋で準備されていた寝間着は厚い布地のもので、完全に冬向けの仕様。触り心地のいいシルクのように滑らかな素材は、ハルトの睡眠を快適なものにした要因の一つだ。

 そんな寝間着を脱ぎ捨てて、慣れ親しんだ衣服一式にフォルムチェンジ。勿論、そのまま放置したりはせず、しっかりと畳んでベッドの上に置いておく。


 着替えを終えたのはいいものの、同じ服を四日連続で着ているという事実には不安を覚える。それは主に体臭などの方面において。

 身体は軽く拭いてある状態だが、服に染み込んだ汗はどうしようもない。草原の上でこのまま横になってたことを顧みると、とてもじゃないが清潔とは言えない。

 替えのことを考えずに洗濯するか。大人しく新たな衣類を購入するか。現状として、この世界のお金である『フィール』の持ち合わせは少しもないが、いずれにしても早急に対策する必要がありそうだ。


「……よし」


 部屋の外に出て、それなりに急な勾配の階段を下りる。念のために手すりを掴んで、怪我への保険は万全に。こんなところで怪我するなんて、冗談にしたって流石に笑えない。


 一階のカウンター前に置かれた大きなソファー。そこに腰を掛けてハルトを待っていた少女は、目標の存在を視認してスッと立ち上がると、右手を振りながら屈託のない笑顔を見せる。


「おはよう、ハルト」


「やあシーナ、おはよう」


 朝の挨拶を済ませる二人。この世界の挨拶もまた、日本語であった。

 昼のこんにちは。夜のこんばんは。これらもきっと同じように伝わるんだろうな、とハルトはどうでもいい見当をつける。いや、挨拶は大切だからね。どうでもいいわけがないぞ。


 大学では第二外国語としてドイツ語の授業を受けていたが、使いこなせるレベルだとは到底言いがたい。日本語と英語以外での意志疎通を要する場面になったら立ち行かなくなるので、どうか他の言語が登場しないことを祈るとして。


「……もしかして待たせちゃった?」


「ううん。そんなに待ってないから、気にしなくていいよ」


 今度は否定の意味を込めて、顔の前で掌を振るシーナ。本当かどうかはさておき、これ以上気にするのは無駄か。

 一般的に『待ち合わせは男が先に来るべきだ』という通説もあるが、シーナにはそれも関係なさそうだ。


「じゃあ……行こうか」


「うん。早くしないと、朝ごはんの時間になっちゃうもんね」


 ハルトが移動を促し、シーナがそれに応じる。

 宿屋を出て、二人は裏庭へと向かう。時刻は朝の六時過ぎといったところか。肌を撫でる冷たい風が身体を震えさせる。

 

「そういえばハルトの服って、今着てるそれだけだよね?」


「あぁ……うん。替えがないから仕方なくね。夏服だから流石に寒くて」


「その『夏服』っていうのはよく分からないけど……どっちにしろ、不便なのには変わらないよね」


 これは後から聞いた話だが、この世界には四季の概念がなく、朝と夜では気温差の激しい気候が常だという。それなら『夏服』という言葉が通じないのも納得だ。


「じゃあ、あとで上着でも買ってあげる! 風邪を引かれても困るし。昨日のお詫びと仲間になった証として、プレゼントさせて」


「いやでも、それは申し訳……違うな」


 シーナの突然の提案に対して、条件反射で遠慮してしまったが、それは彼女の親切心を無下にすることになる。

 お詫びとして。旅仲間の証として。名目上はそうであっても、こちらに気を遣ってくれたのは間違いないだろう。ここは素直に受け取るべきか。


「ありがとう。この恩はいつか絶対に返すから」


「恩だなんてそんな。……これでも私、お金はそれなりに持ってるんだよ?」


 シーナは腕を後ろに組みながら、柔らかな表情でハルトの顔を覗き込む。真っ直ぐに見つめてくるその瞳に慣れない恥じらいを覚えて、ハルトは思わず目を逸らす。


「まあ……今回はありがたく受け取ることにするよ」


「うんうん、それで良いんだよー」


 ハルトの返答に満足したのか、気楽にスキップし始めるシーナ。その様子はとにかく楽しそうで、後のことなど何一つとして考えてなさそうだ。

 シーナのことを端的に表すなら、まさにお人好し。親切が過ぎて、トラブルに巻き込まれることはないのかと少し心配になってしまうほどのお人好しだ。もっとも、現在進行形でその気持ちに助けられている立場としては、何とも言えない状況なんだけど――。


 シーナの服装は昨日と同じく、白を基調としたものだ。華美ではなくても品質は良好で、確かに値が張りそうな気がする。少なくとも、お金に困っているようには見えない。

 何色にも染まっていない布地には、空の青さを想起させる長い髪が綺麗に映えていて、少女の美しさと可愛らしさ、その両方を際立たせていた。


「着いたよ。……うん、ここなら大丈夫そうかな」


 先ほどまで一定のリズムを刻んでいたシーナの足取りは、目的地に到着したことでその動きをとめる。


 二人が辿り着いたのは裏庭――とは言っても、アニメで見るような広大な庭園ではなく、乱雑に草が生い茂っているだけの小さなスペースだ。街の片隅にあるような公園と同等のサイズ感だが、宿屋の裏庭ならこんなものだろう。


「ねえ遅いよ、早く早く!」


「分かったけどさ。そんなに急かさなくても……」


 無邪気な元気を見せるシーナに付いていくので精一杯だった。必要以上に関わりを持とうとせず、普段からローテンション気味のハルトには無理もない話だ。

 少し離れた位置でようやく立ち止まったハルトに、シーナは一つの行動を促す。


「ハルト、もうちょっとこっち」


「えっ、何で?」


「とにかく! もっと近くに来てくれないと、これから困るの!」


「これからって……まあ、理由があるなら仕方ないな。仰せのままにするよ」


「あのさー、その言い草だと、私にはあんまり近づきたくないって言われてる気分なんですけど?」


 ご機嫌斜めに頬を膨らませるシーナに、ハルトは冷や汗をかきながら弁明を始める。


「いや、そういうつもりじゃなくて! 俺的にはこの距離感がベストだったってだけで、シーナみたいな可愛い人に近づきたくない男なんているわけなくて……」


 その止めどない早口からは、ハルトの焦りがよく読み取れる。


「ふふっ、冗談だから安心して。あと、急に『可愛い』とか言われたら恥ずかしいからやめてね……」


 先ほどとは打って変わって、頬を紅に染めるシーナ。どうやら不意打ちの褒め言葉には弱かったようで、俯いて視線を合わせないようにしていた。

 表情がコロコロと変わるシーナに、ハルトの嗜虐心は少なからず煽りを受ける。


「あー分かった、分かったよ。これからシーナに『可愛い』って言うときは、しーっかりじーっくり目を見て、面と向かって言うことにするから許してくれない?」


「もうっ、そういう意味じゃないんだけどなあ……」


「はいはい、ごめんって。今回は冗談返しってことで」


 おどけた様子を見せるハルトと、それに振り回されて照れるシーナ。普段の二人の性格からすると、それは少し珍しい光景だった。


 シーナの要求に従って、ハルトは三歩ほど足を前に運ぶ。彼女が手を差し出せば、すぐに握り返せる距離になった。


「このぐらいで良いか?」


「うん、大丈夫。――〈ファレイリア〉」


 シーナの詠唱呪文を合図として、半透明な光の膜が二人を包囲するように展開される。

 半球状に張られた防壁の大きさは、シーナを中心にして半径二メートルぐらい。ハルトの頭があと数センチで当たってしまいそうな、かなり狭い空間だった。


「おおっ……」


「どう、スゴいでしょ? 本当はもっと大きく展開することもできるんだけど、それだとあんまり長く持たないからね。範囲よりも時間重視って感じ」


「……近くに、っていうのはこういうことか」


「うん。この中なら、誰かに話を聞かれる心配もいらないし。お話をするにはピッタリだと思うの」


「ああ、確かに。ここなら問題なさそうだな」


 先ほどまで耳をかすめていたはずのそよ風はもう聞こえない。よっぽどの大声を出さない限り、外部への音漏れはないという。防音効果付きの即席部屋といったところか。


「昨日はビックリしたんだよ? まさかハルトがホルダーだとは思わなかったし、初対面のときもアルカナのことは知りませんって感じだったから」


「こうやってシーナに聞いてるのも、何が何だか分かんなくて困ってるからなんだけど」


「本当に何も知らないみたいね。ハルトが異世界から来たっていう話、実はほんの少しだけ疑ってたんだけど、やっぱり嘘じゃないみたい。そうじゃなかったら、あんな場所で堂々とアルカナを出したりしないもん」


「無知だったとはいえ、それについては面目ない……」


 右手を顔に当てて、申し訳なさそうにハルトは苦笑いを浮かべる。




 ◼◻◼◻◼◻◼◻◼◻◼◻◼◻◼◻◼◻◼




 昨夜の食堂にて、ハルトがアルカナをテーブルに置いた直後のこと。食事中だったシーナはすぐさま立ち上がり、急いでハルトの耳元に口を近づけた。

 ハルトの耳に聞こえてきたのは「今すぐそれをしまって!」という、小声でも力強い一言だった。


 今になって冷静に考えてみれば、アルカナを顕現させたままにしておくことの危険性は確かに高い。端的に言えば、あまりにも不用意な行為だった。

 それは過去のシーナの行動からもよく分かる。盗賊だと勘違いして、魔法で攻撃してきたこと。ミシックの街に入る直前、所有している【運命の輪】のアルカナをステルス状態にしていたこと。すべては何者かにアルカナを奪われないための行動だった。


 急いで【愚者】のアルカナを引っ込めたハルトを見て、シーナは少し呆れたような顔を浮かべる。

 シーナが発した『それをしまって』という言葉は、その文字通りの行動を指していたのではない。念じることで自身の体内に取り込める、ステルス状態のことだったようだ。


 よくよく考えれば、それが最も効率的なアルカナの隠し方だ。

 大精霊から伝えられた神秘の顕現に関する十の文言『アルカナ十項』は何とも不思議なもので、思い出そうとすれば頭の中に文章がずらっと並んでくれる。一言一句に間違いはなく、はっきりと。潜在意識に記憶されるという信じがたかった伝達については認めざるを得ない。

 ただ、その伝達を受けて、ホルダーであることを自覚したばかりのハルトには、咄嗟にその判断を下せるはずもない。


「はあ、いきなりビックリさせないでほしいんだけど……」


「えっと……ごめんなさい?」


「……いいよ。少なくとも、ハルトが私のことを敵視してないのは分かるから」


「敵視なんてするわけがないだろ? 王都まで連れてってもらう約束だってしてるし。そもそも、メリットがないからね」


「そこで『俺たち、もう仲間だろ?』とかじゃなくて『メリットがない』って言っちゃうあたり、ハルトらしい気がするけど……うん、そうだよね」


 落ち着きを取り戻したシーナは、木製の椅子に再び腰を掛ける。考えを巡らせるために沈黙を選んで、厚いお肉をパクりと一口。そして、ゆっくりとした咀嚼を終えると、


「それについてはここじゃ話せないから、場所を移しましょう? 今日はハルトも疲れてると思うから、明日の朝にでも」




 ◼◻◼◻◼◻◼◻◼◻◼◻◼◻◼◻◼◻◼




「まあ、隠しておけば大丈夫ってことならさ、これからは気を付けるよ。アルカナ狙いの盗賊がいるってのは、シーナの魔法で十分に理解したつもりだから」


「んっ、ハルトの意地悪! 本当にごめんなさいって思ってるんだから……」


 シーナは頬を膨らませて、不機嫌な心持ちをハルトに示す。可愛い顔がリンゴのように真っ赤に染まっていた。

 その頬の風船を両手で潰してやりたい衝動に駆られるが、そんな勇気がハルトにあるはずもなく、大人しく静かになだめることにする。

 どうどう、とか言ったら流石に怒られるよな。もしかしたら『女子高生』と同じように、意味が通じない可能性もあるけど……うん、やめておこう。


 二日間で交わした言葉の数々が、二人の関係性を少しずつ変えていく。

 盗賊から旅仲間へのグレードアップなら、人付き合い初心者にしては上出来だろう。


 ――実際のところは九割方、シーナとレガルのお陰なんだけど。


 緩んでいた口元をきゅっと引き締める。適度に和らいだ空気を感じながら、ハルトはゆっくりと口を開く。


「さてと、そろそろ本題に移りたいんだけど……オーケー?」


「うん、私もハルトに聞きたいことがあるの。話さなきゃいけないこともたくさん」


「あぁ……そうか、そうだよな」


 シーナの言葉を耳にして、ハルトは一つの考えを正すことにする。『オーケー』は通じるんだと思ったことは、ここではひとまず置いといて。

 自分が疑問を抱えるのと同じように、彼女もまた疑問を抱えているのだ。相対しているのが異世界人だというのなら、尚更だろう。


「そういうことなら、今回はレディーファーストってことで。お先にどうぞ」


「えっと……私からでいいの?」


「ああ、それは勿論。一方的に質問を押し付けまくる、どっかの誰かさんとは違うんでね」


「……ハルトが過去の行いを反省してるのはよく分かったわ。その提案を飲みましょう」


 何かを察したからなのか。シーナは力が抜けたような微笑を浮かべながら、譲られた会話のイニシアチブを素直に受け取る。

 そして、瞳を見開いて二回ほど瞬きをしてから、ハルトに問いを投げ掛けた。


「私からの質問は一つだけ。――ハルトはここじゃない、別の世界から来たんだよね。なのに、何でアルカナを持ってるの?」


「それは、その……俺が持ってるのはおかしいってこと?」


「おかしいというか……えっとね。アルカナはそもそも、ラストライアで四千年以上語り継がれてきた伝承にも出てくる『神秘の顕現』なの。全世界に二十二個しかない貴重なもので、私にとってはお父さんから託された大切なもの」


 それは昨日、ミシックへと向かう馬車の中でも聞いたことだ。

 彼女にとって、アルカナという存在がどれだけ大切なものなのか。小一時間交わされた会話の節々から、そこはかとなく感じていた。


「ハルト、言ってたよね。結晶を見たことはあるけど、何なのかはよく知らないって。その言葉はきっと本当で、嘘じゃないとは思うんだけど……それならどうして、ハルトがアルカナを持ってるのかなって。それが不思議で仕方ないの」


「因みに、一つ聞かせてほしいんだけど……俺の話が嘘じゃないって思うその根拠は?」


「うーんと……女の勘?」


「あっ、さいですか」


 つまりはこれといった理由を持たない『信頼』だ。一瞬たりとも、疑うという思考はなかったのだろうか。

 確かに、女の勘はよく当たると言われる。しかし、アルカナが関係するこの場面においても、直感という漠然としたものに委ねていいのか。

 理屈的で論理的な思考を持つハルトは、シーナの判断基準の理解に苦しむが、


「……まあ、信頼してもらえるに越したことはないか」


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