1-07:『覚悟の刻』
光に包まれた魔訶不思議な空間の中で、ハルトは右手に収まるアルカナに視線を注ぐ。
大きさはおよそ十センチといったところか。青白く輝く神秘の結晶はミステリアスな煌めきを放っていて、それが持つ【愚者】という異名はまるで似合わなかった。
先ほどまで感じていたはずの畏怖はすっかり鳴りを潜めて、その存在だけがハルトを支配する。他に意識が向けられることを許してはくれない。
「どうだろうか。……君の、君だけのアルカナを手にした気分は」
その問いを発した者は眼前に佇んで、白い髪に白い肌、そこに纏う白い服をなびかせている。少女のような出で立ちの大精霊は、幻想的な輝きに奪われていたハルトの意識を一瞬で引き戻す。
「綺麗だな、っていう感想しか浮かばないかな。今のところは。その……権能を見てみない限りは何とも」
「アルカナのホルダーにどんな権能が与えられるのかは、残念ながら僕も知らないんだ。この夢から目覚めたら、いろいろと試してみるといいよ」
与えられる権能は多種多様。性質によって分けられる三つの区分のどれにあたるのか。そして、それがどういった内容のものなのか。一番肝心な点であるのにも関わらず、所有権を保持するホルダーはおろか、案内役である大精霊にさえ分からないという。
どうやら、かなり試行錯誤の余地がありそうだ。行く先の展開に若干の不安を覚える。
「試す……ねえ……」
「納得できてないようだけど、こればかりはどうしようもない、仕方のないことなんだ。自分の未来は自分で切り開くのが世界の常だろう?」
「諭されてんのがどうも気に食わないけど、言ってることは正論なんだよなあ……」
だから、否定するわけにはいかない。ただ「うるさいんだよ」と感情的になって否定するだけなら簡単だが、そんな荒唐無稽な人間にはなりたくない。
事実、ハルトは長く勉学に勤しんできた『努力の人』であり、その考え方に同調できる部分が多かった。
あるべき姿という型に嵌められた気がして、何とも言えない気持ちになる。
「僕の意見を受け入れてくれて嬉しいよ。そのままでいてくれると、こちらとしてはありがたいね」
◆ その七.『ステルス状態と権能・魔法』
アルカナがステルス状態であっても、発動した随時系権能とすべての常時系権能はその効果を発揮し続ける。瞬時系権能の発動、もしくは随時系権能のスイッチをする場合、一度ステルス状態を解除しなければならない。また、ホルダーが魔法を使う場合、自動的にステルス状態が解除される。
「……えっと」
「はいはい、ミヤガミ・ハルトくん! 質問をどうぞ!」
「お前、俺の考えてることが全部分かるってひけらかしてから、余計に鬱陶しさがパワーアップしてる気がするんだけど……無視しよ」
つっこんでも無駄だと再認識して、諦念という結論に至ったハルトは小さな声でそう呟いた。そして、呆れたように微笑を見せると、
「それはその……実はもう権能が発動してるかもしれないってことか?」
「そういうことになるね。君には君だけの隠された権能があるんだと思うと、何だかワクワクしないかい?」
「気持ちは分かるけど、そんな状況じゃないから。ワクワクとか言ってる場合じゃないから」
「もう……つれないなあ。もっと楽観的に物事を考えられないと、気づかぬうちに身を滅ぼすよ?」
「お前が言うと、縁起でもないことが現実味を帯びるから怖いんだよ……」
シュテルノの単調で抑揚に乏しい話し方は、冗談さえも深刻さを増大させてしまう。
何度でも繰り返すが、そんな状況ではないのだ。悲観的になる必要はまったくないが、だからと言って楽観的になっている場合ではないのも確かだろう。
「折角だから、質問させてもらうけど――ステルス状態がパソコンのスリープモードみたいな感じで、何かを使うときはそれを解除しないといけないっていう解釈で問題ないか?」
「君の世界にあるパソコンというものに例えて考えるのなら、その捉え方は正しいね」
「あぁ、やっぱり伝わるのね……」
行動も、思考もまた、大精霊にはすべてが筒抜けだ。
現に、新たに得た知識を元の世界の道具に例えても伝わってしまう。実際に目にした文化レベルから考えて、このラストライアという世界にもパソコンがあるとは到底考えられない。
すべてが見抜かれている。その実態が分かっていても、体感するのはやはり気味が悪かった。
「さあ、そろそろ終盤だ」
◆ その八.『所有権の保持数』
一個体が保持できるアルカナの所有権は二つまで。三つ目の所有権を得ようとした場合、その者は死亡する。
「因みに、身体が木っ端微塵になるらしいから気をつけてね」
「ほら、そうやってビビらせてくる! ……本当のことなんだろうけど、もうちょっと言い方なかった?」
「文字通りの意味で本当に木っ端微塵だから、言い換えようがないかな。新たにアルカナを手にしようとしない限りは特に関係のないことだから、安心してほしいね。僕としては、君の素晴らしいリアクションが見られたから満足だけど」
「お前のことを理解しようとするの、もう疲れてきたんだけど……」
大精霊の思考を理解しようという考え自体が間違っていたのかもしれない。
ため息を吐きながら、ハルトはその前提を考え直す。シュテルノはそこに干渉しようとはせず、ただそこでじっと様子を伺っている。
間もなく文言の伝達という使命が果たされる。終幕はすぐそこに迫っていた。
◆ その九.『所有権の放棄と消失』
一度所有権を得たアルカナの所有権を放棄することはできない。ただし、ホルダーが死亡した場合に限り、それから二十一秒後に所有権が失われる。
◆ その十.『所有権の再度取得』
一度所有権を失ったアルカナの所有権を再び得ることはできない。
「以上が『アルカナ十項』のすべてになる」
「一度手にしたら死ぬまで捨てられないって、どんな厄介アイテムだよ。あとは、二十一秒っていう中途半端な時間が謎だな」
「理由を聞かれれば、それは神が決めたからとしか言いようがないね。そもそもアルカナは、何らかの事情でラストライアの行く末を見届けられなくなった神が、僕たち精霊に託したのが始まりだから。そのルールを神が決めるのは当然のことだ」
ラストライアを創ったとされる神――その常識が精霊にとっての当たり前であっても、異世界人にとっての当たり前になるわけではない。
いまいち腑に落ちない部分があったのは否めないが、取り敢えずは頷いておくことにする。
「では、どんな理由で二十一秒という時間が決められたのかということになるが、それについては僕の考えを述べようか。……もっとも崇高なる神のお考えなど、僕のようなただの精霊には理解しきれないんだけど」
口をつぐんだハルトの前で、上機嫌なシュテルノはその顎に指を添える。それから瞳を輝かせると、いそいそと説明を始めた。
「大前提として、人類種の『死』をどのように定義するのか。一般的に『死』は命を失った状態を指す言葉とされるが、そもそも命を失った状態だと判定する基準は何なのか。そういった議論は君の世界にもあるだろう? 心臓がとまったときか? 呼吸ができなくなったときか? 脳が活動をやめたときか? では、君の世界の考えにある『脳死』は、これらだけでは判断しかねることになるが、それを死と捉えていいものなのか? 生と死の境界線を誰が決める。その線引きを誰が決められる。医者が決めるのか? 人が人の『死』を決定する。そんな不確定な判断に一存を委ねられるのか?」
疑問の羅列が延々と続く。何を言っているのか、何を言いたいのかは分かるはずなのに、そこに紡がれる言葉の圧迫感に理解が阻まれている。
情報過多がハルトの声を静かに奪っていた。それでもなお、シュテルノは言葉を繋げて、
「そのすべてを決めるのが神だ。全知全能である神が『死』を決定する。君は無神教徒だと言ったが、それでもこの世界――ラストライアにおいては紛れもなく、神が人類種の『死』を決定するんだ。そして僕は、二十一秒のタイムラグが『死』を判断した者に与えられる猶予のカウントダウンだと考えている。蘇生の可能性を考慮しての二十一秒だと。これでも『人の生死は時に全知全能さえ凌駕する』というのが僕ら精霊種と神の総意だからね」
「――難しい議論は倫理的にも一概に言えないし、総意がどうとかは知らないから、今は置いといてっと。……取り敢えず分かったよ、何となくだけど」
一定の理解を示すハルトに、シュテルノは切れ味の鋭そうな視線を投げる。絶え間なく続いていた雄弁に代えて、物静かで威圧的な沈黙が空気中に据えられた。その沈黙が辺りに行き渡った頃、精霊は持論を述べ始める。
「そう、何となくでいいんだ。別に理解できなくても構わない。僕が伝えようとしたことを理解しようとする姿勢さえ示してくれればいい。その姿勢が大事なんだ。肯定しようが否定しようが、僕には関係のないことだし、君の意見にどうこう言うつもりも毛頭ない。今はただ受け入れてくれるだけ、それだけでいい」
理解を強制することはない。肯定と否定には我関せず、すべてを受け入れるという姿勢。
普通の人間とは隔絶した聖人のようなあり方に、ハルトは大精霊という超然的な存在の一端を見ていた。
「さて、あとは君がこの夢から目覚めれば、僕の使命は完了することになる。そろそろ対話の時間を終わりにしたいと思うが、まだ何か聞きたいことはあるかい? ……とは言っても、僕には神からの制約が課せられているから、答えられる範囲内に限られるけどね」
役目を終えた光の空間にはひびが入り、そこから少しずつ崩れ始める。行き場のなかった闇は再び勢力を拡大して、その終焉を物語ろうとしていた。
「じゃあ、最後に一つだけ」
「うん、何かな?」
どこからか帰ってきた気持ち悪さに身を震えさせながら、ハルトは最後の質問をする。
聞きたいことは洗いざらい聞き尽くしたつもりだった。それでも、何かを尋ねなければならない。そんな判然としない強迫観念に駆られたハルトの問いは――、
「女の子の見た目だけど、一人称は『僕』なんだな」
「そうだよ、だったら?」
「……いや、何でもない」
闇がすべての光を包み込み、それとともにシュテルノの姿も見えなくなった。再び消失し始めるハルトの五感。夢から浮上していく。耳に届く声の距離もまた、段々と遠のいていき、
「どうやら別れの時間になったようだね。君とまた話せる機会があることを期待しているよ。さよならだ――」
――意識が覚醒する。
その瞼を開けると、目の前に広がるのは宿泊部屋の光景。夕焼けが見えなくなるほどに夜は更けていて、窓から差し込む月明かりだけが暗がりを照らし出していた。
仮眠の前に感じていた強い眠気と身体に残っていた疲労感はすっかり消えてしまい、体調は万全な状態と言えるまでに回復していた。
手元にあったのは【愚者】のアルカナ。ついさっき、手にしたばかりのそれだった。
創作物の中で見てきたような異世界特有の特殊な能力を何も与えられなかったハルトにとって、今後の運命を左右するであろう一つの結晶だ。
「最後の一言、絶対いらなかった……」
自身が発した言葉を噛みしめる。いたたまれない気持ちになったハルトは両手で顔を覆い、唸り声をあげながらも、しっかりとその反省を心に刻み込んだ。
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「それにしても、元気になったよね」
夕食に案内された食堂にて、ともに食卓を囲む美少女がそう言った。
首をぐるりと回して、肩周りのこりをほぐしながら、今しがた対面にあたる席についたハルトが言葉を返す。
「お陰様でね。ご覧の通り、疲れもすっかりなくなったよ。気遣いどうもありがとう」
「うん、どういたしまして。二時間足らずの仮眠でそんなに顔色が良くなるとは思わなかった。さっきまでとはまるで別人だよ? 目つきなんてもうね……やっぱりいいや。聞かなかったことにして」
「シーナさん、もしかしてそんなに酷かったんですか……?」
「ハルト、『さん』付けは禁止!」
「あっはい、すいません」
思わず畏まってしまったハルトに人差し指を向け、敬称禁止令を掲げる彼女はご機嫌斜めな表情を見せる。
会ってまだ数時間の付き合いだが、既に旅仲間となった相手との心理的な距離を感じる接し方を、彼女はどうやら好まないらしい。通算二度目の指摘でそれを実感する。
「旨そうな料理だな。正直、期待以上」
「これぜーんぶ、ベネディクトさんの手作りなんだって」
配膳済みの食卓には彩りに満ちた夕食が広がっていて、その香ばしい匂いが鼻を掠める。
メニューは特に変わった見た目をしているわけでもなく、一般的な洋食のラインナップといった感じだった。丸くて固めのパンにコンソメと思われるスープ、シーザーらしきドレッシングがかかったサラダ、そしてメインは牛肉に近しい何かの蒸し焼きだった。
「早めに食堂に来ちゃったから、先に食べずにハルトを待ってたんだけどね。そしたらベネディクトさん、私に『これでも昔は料理人を目指してたのだよ』ってたくさん語ってから去ってったよ……」
「それはえっと……お疲れ様です」
あのキャラクターの濃さに何ともくどい話し方。自身のいない場面で展開されていた会話を想像して、ハルトはシーナへの労いの言葉を口にする。
「でも本当に美味しそうだよね。早く食べよう、いただきます!」
「……あのさ、シーナ。ちょっと大事な話があるんだけど」
「んー、どうしたの?」
左手にフォーク、右手にナイフを持って、ゆっくりと首を傾げるシーナ。異世界でもカトラリーの文化が採用されてるとは思わなかったが、美味しそうに食事を楽しむ彼女の姿は愛おしささえ感じさせる。元の世界なら、インスタ映え間違いなしだ。
大事な話だと伝えてもなお、緊張感を持った様子を見せないシーナ。対して、真剣な面持ちのハルトは一呼吸を置いてから、
「聞きたいのは、その……アルカナについてで」
「……ッ!」
フォークに刺さったローストのビーフ的な厚い肉を尻目に、シーナは不信感を募らせたのか、手の動きをピタリととめて、わずかながらも顔をこわばらせる。
聞かれたくないことかもしれない。
でも、今ここで聞いておかなければいけないことだ。
それは自分のため、エゴに満ちた行為なのかもしれない。個人的で繊細なことを相手に尋ねようとしておきながら、その行動を引き起こす感情の正体はとても愚かで独りよがりなものなのかもしれない。
「そうだな……」
相手の『心の内側に踏み込む』という覚悟を決める。
その人を傷つける可能性を背負う覚悟だ。それは決して、中途半端な覚悟であってはならない。
覚悟をすれば人を傷つけてもいい、というのはお門違いも甚だしい主張だ。良しとしていいはずがない。できることなら、傷つけない方がいいに決まってるのだから。
「何から話したらいいのか……」
ただ、相手を傷つけたくない。自分も傷つきたくない。そんな考えは机上の空論であり、甘えた理想に過ぎない。結果的には余計に傷つけ傷つけられることになるだろう。
だからこそ――、
「答えたくないことは拒否してもらって構わないからさ。……まずはこれを見てほしいんだ」
夢で出会った大精霊が論じた言葉に影響されたのか。
はたまた、それは紛れもない己の心から来るものか。
【愚者】の名を持つ結晶を、ハルトはテーブルの上にそっと置く。
その声には今までには見られなかった、強い意志が介在していた。
今後の物語の鍵を握る『アルカナ十項』という名の文言。
アルカナのホルダーたちの潜在意識に記憶されています。
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◆ 一.「所有権の取得」
アルカナの所有権を得るためには、そのアルカナを自身の中に取り込むことで、遺伝子情報を結晶の中に登録して所有者(ホルダー)になる必要がある。
◆ 二.「ホルダーと権能」
ホルダーになると、そのアルカナに応じた『権能』が与えられる。所有権を持たない者がそのアルカナの権能を発動することはできない。
◆ 三.「権能の唯一性」
与えられる権能は各アルカナによって決まっているため、ホルダーの素性や性格には依存せず、同一の権能を持つアルカナは存在しない。
◆ 四.「権能の数と制限」
各アルカナがホルダーに与える権能の数に限りはないが、認められない者にはその効果を発揮することはできない。
◆ 五.「権能の三大性質」
権能はその性質によって大きく三つに分けられる。ホルダーがアルカナに意識を送ることで発動する『瞬時系権能』、ホルダーが任意に効果の発動状態の切り替え(スイッチ)ができる『随時系権能』、ホルダーの意思に関係なく効果を発揮し続ける『常時系権能』である。
◆ 六.「ステルス状態」
アルカナのホルダーはいつでも、アルカナを自身の中に取り込むことで、それを他者から認識されない状態(ステルス状態)にすることができる。この状態は任意に解除することができる。
◆ 七.「ステルス状態と権能・魔法」
アルカナがステルス状態であっても、発動した随時系権能とすべての常時系権能はその効果を発揮し続ける。瞬時系権能の発動、もしくは随時系権能のスイッチをする場合、一度ステルス状態を解除しなければならない。また、ホルダーが魔法を使う場合、自動的にステルス状態が解除される。
◆ 八.「所有権の保持数」
一個体が保持できるアルカナの所有権は二つまで。三つ目の所有権を得ようとした場合、その者は死亡する。
◆ 九.「所有権の放棄と消失」
一度所有権を得たアルカナの所有権を放棄することはできない。ただし、ホルダーが死亡した場合に限り、それから二十一秒後に所有権が失われる。
◆ 十.「所有権の再度取得」
一度所有権を失ったアルカナの所有権を再び得ることはできない。
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