1-04:『"運命の輪"』
ハルトとレガルの『契約』が交わされてから約二時間、二人を乗せた馬車は一度も止まることなく、あの大いなる山脈に向けて進み続けていた。
徒歩のときと比べると、スピードが段違いだ。あんなに遠くに見えていたはずの山々がだいぶ近づいてきた。乗ってるだけで進んでくれるというのも、そう思わせる理由の一つだろう。改めて、乗り物の利便性を実感する。
今にも電池が切れそうなスマホで、現在の時刻を確認してみると、そのデジタル画面は午後三時を過ぎた頃だと示した。レガルに尋ねたところ、この世界の時間も一日二十四時間で変わりはないらしい。『分』や『秒』といった単位まで、元の世界と同じだ。唯一の違いは時間帯の名称だけ。午前のことを『昇刻』と呼び、午後のことを『降刻』と呼ぶらしい。それなら、午前と午後でいいんじゃないか?
因みに、スマホの用途について聞き返されたが、「ただの時計だ」と伝えると、何も疑うことなく納得したようだった。未知のものに対して、畏怖を抱かないのだろうか。やろうと思えば、ワンタッチで写真も撮れるというのに。
目的地の王都――アスノカまでは、距離にして約百三十キロになるらしい。道中の街で商売を行いながら進むようで、到着はまだまだ先のことになるそうだ。現状では好意に甘えて、同行させてもらう以外の選択肢はない。
本日の行程は、二十キロ先にある山脈手前の小さな商業都市――ミシックまで。そこで二日ほど滞在する予定だという。「今夜は疲れもあるだろうし、宿で夜を明かすからな」とレガルは言った。宿代まで出させるのは申し訳ないと思ったが、無一文に口出しする権利はなかった。アスノカで何かしらの収入源が確保できたら、そのときはすぐにお金を返すとしよう。
お腹は適度に満たされたし、喉だって十分に潤っている。草原を流れていく爽やかな風が、肌を撫でるようで気持ちいい。生命線が繋がったことによって、美しく壮大な風景を楽しむ余裕さえ出てきた。
馬車は雄大な草原を駆け続ける。
ただ、そこに乗っていたのは二人だけではなかった。
「あなた、誰なの! 今すぐに名乗りなさい!」
突如として、荷台の後方にある荷物の山から声が聞こえてきた。視線を向けると、そこにはこちらを睨みつけてくる青髪の美少女が立っていた。薄手の白いコートのようなものを羽織っている。
俺の方に右の掌を向けたまま、左手でその手首を掴んで固定しているように見える。何の構えだろうか。少なくとも、友好的な態度には見受けられない。
腰の辺りまで伸びたロングヘアで、身長は百六十センチぐらい。その凛とした瞳はサファイアのように綺麗だが、どこか幼さが介在しているようにも見える。
あれ、どこかで見たことがあるような気が……?
「……ぁあ!」
「えっ、何!?」
"また"驚かせてしまった。俺には人を驚かせる才能があるのかもしれないな。うん、いらないけど。
「あのときの女子高生!!」
「――ジョシ……コウセイ……?」
そうだ。あのときの女子高生だ。
この世界に来る前日に訪れた、大学の近くにある食堂にて。落とし物と表して、あの謎の結晶を渡してきた美少女JKに間違いない。髪色こそ違うが、あれから染めたんだろう。青髪でも様になるんだから、女性の『美しさ』っていうのは恐ろしいものだ。
まさか、この世界でまた会うことになるとは思わなかった。人生、何があるか分からないな。
――十中八九、異世界転移の原因はあの結晶だ。
この世界に転移してしまったのは、あの『落とし物』を手にした翌日だ。それを原因だと考えるのは何ら不思議なことではない。大前提として、異世界なんてものが非論理的なんだから。
疑惑の張本人とここで会ったのは、こいつの策略か? いったい何を考えてるんだ?
聞きたいことが山ほどあるんだ。思う存分、聞かせてもらおうか。
訝しげな表情を見せる少女に、ハルトはゆっくりと近づきながら、強気の姿勢で尋ねてみる。
「質問に答えてほしい。あの結晶は何だ?」
「――ふぇっ?」
――こいつ、しらばっくれてるのか!? いちいちリアクションが可愛いな!!
想定外の質問に戸惑ったのか、その少女からは平静さが失われて、若干の焦りも垣間見える。そこで追い討ちだと言わんばかりに、ハルトは質問を重ねる。
「このぐらいの大きさの結晶。あれから酷い目に遭ってるんだけど、心当たりはないか?」
「……これのこと?」
少女はその胸に下げたネックレスを手に取って、こちらに見せてくる。そこに繋がっていたのは、紛れもなく例の結晶だった。一回り小さく見えるような気もするが、おそらく間違いないだろう。
「そう、それだ!」
「……ッ!?」
その瞬間、少女の警戒は明らかな敵意に、顔は鬼の形相へと変わっていく。
「一昨日、これを渡してきたのはお前だろ!?」
「レガルに何したの!!」
あっ、ダメだ。話が通じない。完全にキレてる。
何をしたと言われても、ただただ二人で会話を弾ませてただけ。この世界についての知識を教えてもらっただけだ。怒られるようなことは、何もしてないはずだ。
怒っている理由が分からない以上、自身では少女の制御ができないと判断したハルトは、レガルに助けを求めようとする。しかし、当の本人は荷台の壁に座って寄りかかったまま、ぐっすりとお昼寝中だった。その体格の大きさからは想像できないほどに静かな寝息が聞こえてくる。ただちに弁護をお願いしたいが、起きる気配は微塵もなさそうだ。
取り乱した相手に何を言っても、真意は上手く伝わらないだろう。さて、どうしたものか。
「うーん……」
「何も、答えないのね」
声のトーンが下がった気がする。少し嫌な予感がした。
「――覚悟!〈シャレイル〉!」
少女が発した未知の言葉の正体は、魔法の詠唱呪文だった。
構えられた右の掌には、いくつもの小さな光の弾丸が現れ、そこから照準に向かって一気に放たれる。そのスピードはまさに光速で、一瞬にしてハルトの身体を貫いた。回避する間なんてなかった。
弾丸といっても、それは小さな針でチクっと刺されるようなものだ。死に値するような痛みがもたらされるわけではない。大きな衝撃波が発生して、遠くに吹き飛ばされるわけでもない。
ただ、その弾丸をくらった者は――、
「あ、うぅっ……」
頭の中に凄まじい光の奔流が押し寄せ、瞬く間に駆け抜けていく。そして、激しい目眩のような感覚に襲われ、平衡性が乱されたと思えば、立っていることさえ困難になっていた。気づけば、ハルトは荷台の床に伏せることを余儀なくされる。
――あの、魔法を使える人間はレアケースって聞いてたんですけど!?
常識的に考えれば、こんな魔法を使える人間が元の世界にいるはずがない。ということは、この少女は異世界人なのか? それとも、俺と同じように転移してきたのか? それに、あの結晶を渡してきた女子高生は……?
そんな疑問を声に出すこともままならないほどの目眩が襲ってくる。レガルの話からイメージしていた魔法は、業火で一面を焼き尽したり、猛吹雪を巻き起こしたりと、もっと派手な攻撃系のものだった。しかし、この光魔法もまた、見た目の地味さとは裏腹に、効果は絶大だった。
「うっ……」
「あなたはそこで眠ってて。――〈デュレイラ〉」
遠ざかる意識。次第に眠りに落ちていく。頭の中を巡っていた数多の光が、次第にポツリポツリと消えていく。
その言葉を合図にして、ハルトの視界は暗闇に落とされた。
肌に触れる冷たい外気が、眠気を消し去っていく。
瞼を開くと、先ほどよりも高度を下げた太陽の光が瞳の中に射し込んだ。その眩しさを煩わしく思いながらも、ハルトはゆっくりと目を覚ます。
子どもの頃から低血圧気味だったからか、寝起きはあまり良くない方だ。それは朝だけでなく、この時間の睡眠にも当てはまる。もっとも、今回の場合は昼寝というよりも、催眠術にかかった感じと言うべきか。
まだハッキリしない意識の中で、辺りの状況を確認しようと試みる。頭の下には、クッションのような柔らかい感触。枕か何かの類いだと思われる。
対して、その目線の先には荷台の天井が見えた。昏倒した場所から移動した様子はなさそうだ。
「ハルト、起きたか」
呼ばれた名前に反応するように、ぼやけた視界は鮮明なものになる。ハルトの真横には、心配していた顔を綻ばせるレガルと、どこかふてくされたような表情を見せる例の青髪美少女が並んでいた。
「やあレガル、おはよう……って感じではないよな」
「時間も降刻の四時頃だからな。本当に心配したぞ」
まだ『降刻』という概念に慣れていないので、脳内でそれを『午後』に変換する。どうやら、意識を失ってから一時間ほど眠っていたらしい。
「あ、あの……!」
「ん?」
先ほどまで俯いていたその少女は、何かを決心したように言葉を続ける。
「さっきは本当にごめんなさい! その……昼寝から起きたら、知らない人が馬車に乗ってたから、思わずビックリしちゃって」
「ああ、うん……大丈夫」
違うな、これは嘘だ。大丈夫なはずがない。
いきなり攻撃魔法を食らって、少しトラウマになりそうだ。ここが異世界だとはいえ、初っぱなからのハードモード設定はツラい。
「レガルは寝てるだけだったのに、倒されたんだって勘違いしちゃったの。それに、あんな聞いたこともない言葉――『ジョシコウセイ』だっけ? そんなことを言いながら近づいてきたら、私だって盗賊が襲ってきたって勘違いしちゃうじゃない! 紛らわしいことしないでよ、もう!」
「えっ、えぇ………」
謝られていたはずの相手から、いつの間にか怒られているのは何故なんだ? 正直、理不尽にも程があると思う。
「そもそも〈シャレイル〉と〈デュレイラ〉を連続で食らったら、普通なら半日は起きられないの! こんなに早く復活できたのは、私の治癒魔法のお陰なんだから、少しは感謝して!」
「あっ……ありがとう……?」
絶対に何かが間違っている。しかし、それを口に出してはいけない気がした。
その少女が述べた弁明はとにかく早口で、焦っていることがよく分かった。そう、テンパってる。自分の意見を発表するとき、気づかぬうちに論点から話がそれてしまうタイプの人間だな、これは。
「まったく……シーナ、お前がやったんだろ!」
レガルはその弁明に呆れながら、シーナと呼ばれた少女の額に一発のデコピンをする。パチンと素晴らしい音が鳴った。
「痛っ! だって、しょうがないじゃん!」
「しょうがなくない、ちゃんと謝る!」
その強面の威力が発揮された瞬間を目の当たりにする。
「ひぃっ……はーい」
俺に対しての注意ではなかったのに、身体中から冷や汗が出てくるぐらいだ。それなりに怖かった。元の世界でヤクザだと言われたら、すぐに納得できてしまう。
その少女――シーナは一呼吸おいてから、ゆっくりと謝罪する。
「……うん。言い訳はさっきの通りだけど、勘違いで攻撃しちゃったのは本当に悪いと思ってるの。だから改めて、ごめんなさい」
「ああ、怪我もないし許すよ。正直、あの魔法はかなりヤバかったから、トラウマになりかねないんだけどな」
今回は正直に答えておくことにした。
今夜の目的地であるミシックまで、あと一時間半ほどの道のり。たくさんの疑問を抱えたハルトは、それらをシーナにぶつけることにした。一時間前の敵に自己紹介をしてから、その話を進める。こことは別の世界から来たと伝えたときの反応、これがまた可愛かった。
あっ、レガルさんは再びの昼寝モードです。本当によく寝るよな。『寝る子は育つ』ってこういうことなのか。
まずは、元の世界の女子高生とシーナとの関係について。最初に見たときは、どう考えても同一人物にしか思えなかった。黒と青、この髪色の違いが気にならないほどに似ていたからだ。しかし、シーナは「ハルトに会ったのはこれが初めてだよ」と言った。様子を窺ってはみたものの、嘘をついている様子はなかった。
いきさつを説明しても伝わらない上に、『女子高生』という言葉自体を知らないことから、最終的には『同一人物ではない』という結論に落ち着いた。顔だけ見れば双子レベルの一致度だから、いまいち腑に落ちない部分もあるが、踏ん切りをつけておくことにする。
次に、魔法についての諸々を尋ねた。以前に教えてもらった『魔法が使える人間は全世界でも千人程度』という事実に偽りはないらしい。すなわち、シーナはそのレアケースに当てはまるということだ。それなら、魔法の話をした流れで、レガルが昼寝中のシーナのことを紹介してくれれば、こうはならなかったのに。そう思ったことは内緒にしておこう。
シーナが放った二つの魔法――〈シャレイル〉と〈デュレイラ〉はどちらも光属性の魔法らしい。この世界の魔法は、火・水・風・土・光・闇の六属性に分類されていて、二つ以上の属性の魔法を使える人間はいないそうだ。つまり、シーナは光属性の魔法使いということになる。
それから、話題は最大の疑問点へと移っていく。すべての元凶である謎の結晶についてだ。
「そのネックレスについている結晶、それって何なんだ?」
「あれ? ハルトは知ってると思ってた。襲ってきたときに指差してたから」
「いや、見たことはあっても、それが何なのかはよく知らないな。あと、襲ってないから! そこ重要だから!」
シーナは口元に手を当てて「冗談よ」と笑っている。当事者のハルトは冗談にならない冤罪に、思わず顔を引きつらせる。
「これは『アルカナ』、別名『神秘の顕現』と呼ばれていて、全世界に二十二個あるって言い伝えられてる貴重なものよ。私にとっては、亡くなったお父さんから受け継いだ御守りみたいなもの」
「大切なものだっていうのはよく分かった」
シーナの攻撃の理由は、盗賊にアルカナを奪われると思ったから。正当防衛のつもりだったということだ。それなら、あの攻撃も少しは納得できる。うん、少しだけ。
「その……アルカナには、異世界の人間を召喚する能力があったりするのか?」
「……分からない」
「えっ?」
肯定でも否定でもない答えは想定外だった。
「アルカナを持つ人間、所有者にはそれぞれに固有の権能が与えられると言われてるの。分かりやすい例を挙げるなら、どんな自然現象も操れるようになるNo.16/【塔】の権能かな?」
魔法だけにとどまらず、権能たるものまで登場してきた。流石だな、異世界ファンタジー。
どうやら、アルカナごとに番号と通り名があるらしい。16番の【塔】って、タロットのカードにあった気がするが、確信はいまいちない。世奈が占いにハマってたときに、本でチラッと見ただけだからな。
「そんなこともできるって……魔法の上位互換的な感じか?」
「権能によっては、そう言えるかもしれない。だから、異世界からハルトのことを召喚する権能があってもおかしくはなくて。でもね、私の権能はそうじゃないから……」
「だから『分からない』ってことか」
「うん、そういうこと」
先ほどの返答の理由を聞いて、ハルトはひどく納得した。実際に異世界召喚の権能を目にしていないことは、存在しないことの証明にはならない。消極的事実の証明、悪魔の証明はできない。
「ごめんね、あんまり力になれなくて」
「大丈夫だ。分からないことだらけで参ってたから、どんな情報でも嬉しいよ」
「――そっか、ハルトは優しいね」
少女は儚げを帯びた微笑を浮かべる。その笑顔は今にも消えてしまいそうで。そして、とても美しかった。
「それで……シーナのアルカナの権能は何なんだ?」
馬車の駆ける音だけが聞こえる、静けさに包まれた空気。それを打破するかのように、少女は一つの告白をする。
「私のアルカナはね、No.10/【運命の輪】で、権能は……ないの」