0-00:『ラストライア』
青く澄みきっていた空は、夜という名の深い漆黒に染まり沈んでいた。
その中に火を灯すかのように、城郭に囲まれた王都アスノカの街並みが輝き続ける。
綺麗に整備された石畳の大通りは、多くの人でごった返していた。日付が変わろうとする時間になっても、まだまだ活気に溢れ返っていて、静まることを知る由はない。
そんな王都の中心部から少し離れたところに、一つの屋敷が佇んでいた。
肌を刺すような冷たい風が、辺りの木々を静かに揺らす。近くにある庭園には花々が咲き乱れ、それはまるで桃源郷のようだった。
眠りにつけない一人の少女は、母親とおぼしき女性に絵本の読み聞かせを強くねだっている。
胸に抱えた絵本は『アインゼラのたいくつ』という、この世界に伝わる大精霊の物語であった。
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今から四千年も昔のこと、神様はこの世界を創り出しました。
その名は『ラストライア』、みなさんが住んでいる世界のことです。
無の空間には、果てしない大地と渾天が広がっていきました。
平原には草木が生い茂り、新たな生命が宿りました。
そして、そこから誕生した人類種はゆっくりではあるものの、次第に文明を築いていきます。
神様はラストライアの行く末を見届けたいと切に願っていました。けれども、この地に留まれる時間は残されていませんでした。
そこで、悩んだ神様は新たに生み出した精神体・大精霊に『世界の行く末を見届ける』という使命を託して、この地を去ることにしました。
使命を託された神の子、開闢の大精霊の名はアインゼラ。
アインゼラには、使命とともに託されたものがありました。
それは『神秘の顕現』と呼ばれる結晶『アルカナ』です。
全部で二十二ある結晶のうち、アインゼラはアルカナ01/【魔術師】の所有者となりました。
【魔術師】の結晶を持つ者は、あらゆる魔法が使えるようになります。
火・水・風・土・光・闇の六属性すべて、どんな高位のものであっても。
【魔術師】のみに使うことが許される、闇属性の極致魔法〈『創造』アル・グノスト〉によって、人類種の文明は更なる発展を遂げていきました。
使命を胸に、世界の発展を見守ってきたアインゼラ。
ただ、精霊種と人類種が交わることはなく、常に孤独だった大精霊にとって、日常は退屈なものになっていきました。
天地創造から二百年ほどの月日が流れた頃、第二の精霊が誕生しました。
その精霊はシュテルノと名づけられ、アルカナ17/【星】の所有者となりました。
神様の力を受け継いだ極致魔法であっても、生命の誕生は非常に困難なものでした。
現世に宿りし精霊は、アインゼラとシュテルノの二体だけ。
初めての友となる存在の誕生を、アインゼラはとても喜びました。
唯一無二の同士であり、かけがえのない存在――。
【星】の結晶を持つ者は、己の望むことが叶えられるようになります。
可能性が存在する限り、望めば如何なることであっても。
シュテルノが望んだのは『人類種との交流』でした。
人類種との接触のために、実体を持たなかった精霊種は姿を変え、人類種の子どもに羽根を生やしたような身体になりました。
数百人の人類種と二体の精霊種の関わりは、最初こそ軋轢を生じたものの、気づけば親交を深めるようになっていきます。
退屈な日常など、そこにはもうありませんでした。
しかし、アインゼラの心には、孤独だった頃にはなかった新たな感情が芽生えていました。
それは嫉妬、つまりは『シュテルノに対する独占欲』です。
悪しき感情は心を蝕み、日を追うにつれて大きくなっていきます。
自分自身が変わっていくことに、アインゼラは感づいていました。
「このままでは、僕は僕自身を失ってしまうかもしれない」
そう思ったアインゼラはその肉体を殺し、魂を精神世界へと戻すことにしました。
さすれば、この感情を受け止めることもないから。
「僕と君は間違いなく友だった、と思う。少なくとも、僕はそう信じている」
憂いを帯びた声が消えていく――。
「僕の考えは独善的なものだった、とも思う。きっと、君には迷惑を掛けたよね」
消えていく、消えていく、消えていく――。
「でも、僕は君だけがいれば、それだけで良かったんだ――」
シュテルノは友の喪失にひどく嘆き、悲しみました。
精神世界へ帰ろうとは試みたものの、その願いは叶いませんでした。『魔術師』アインゼラの手によって、帰路が閉ざされていたからです。
【星】はどんな望みでも叶えられるという希望の権能でした。
希望と引き換えに失うものの存在、それに目を背けられるのなら。
二体の精霊はそれぞれの世界で、今も心のどこかに退屈を抱えながら過ごしています。
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王都の喧騒は息を潜め、透き通るように白く煌めく満月がそれを見つめている。
屋敷を照らす月明かりには、慈愛で包み込んでくれるような優しさを感じた。
「おやすみ、シーナ」
ほのかに、柔らかい声が聞こえた。
瞳を閉じた少女の寝顔は、天使のような微笑を浮かべていた。