(9)確か…
ふと、脳裏に浮かび、食べたくなった湯野屋の豆腐を葛餅は買いに出よう…と思った。以前、買った豆腐が実に美味しく、それからしばらく買い続けてはいたが、転勤の都合で買えなくなり、遠ざかっていた・・という経緯があった。いざ、元の古巣へ戻ってみると、不思議なことに一番先に浮かんだのが湯野屋の豆腐だった。葛餅は、居ても立ってもいられなくなり、さっそく買いに出たのである。
「…妙だなぁ~」
記憶を頼りに湯野屋近くへ来てみると、そこは別の店になっているではないか。葛餅は仕方なく、近くの民家で訊ねてみることにした。
「つかぬことをお訊きしますが、確か…この辺りに湯野屋というお豆腐屋さんはございませんでしたでしょうか?」
「ああ、湯野屋さんですか。湯野屋さんなら北海道の函館へ引っ越されましたよっ!」
「ええ~~っ!!」
葛餅が驚いてガックリ肩を落としたのも無理からぬ話だった。というのも、函館は葛餅が5年ばかり住んでいた転勤先だったのである。だが、古巣へ戻ってしまった葛餅としてはどうしようもない。それでも、葛餅は、あの豆腐をもう一度、食べたい! と思った。
「課長、もう一度、私を函館へ異動させてもらえないでしょうか?」
「なにを言っとるんだねっ、君はっ! 本社へ戻れたんだから御の字だろっ!」
課長の茶葉は顔を真っ赤にして怒った。
「はあ、それはそうなんですが…。豆腐が…」
「豆腐!? なんだ、それはっ!」
「豆腐が食べられないんで…」
「馬鹿か君はっ! 豆腐なんぞ、どこでも買えるじゃないかっ!」
馬鹿! 阿呆! 虚け! 間抜け! と、茶葉の叱責は、しばらく続いた。
その後、葛餅が湯野屋の豆腐を食べられたかどうかまで私は知らない。ただ一つ、それでも! と葛餅が食欲を満たそうとしたことは確か…なようだ。^^
完