(8)寒(かん)の戻(もど)り
外気がいよいよ春の鼓動を高め、暖かさを増しているというのに、東風がそれでも…と観葉植物の鉢を外へ出さないのには理由があった。いつの年だったか…と、すでに記憶は薄れてはいたが、今の頃、家の中へ取り入れておいた観葉植物の鉢を寒の戻りでダメにした苦い経験があったからだ。幸い、全滅は免れたが、奇襲された真珠湾のような惨憺たる状況となり、多くの鉢を失ったのである。
「これはこれは東風さんっ! 今年は暖かですなぁ~!」
「いやいや、油断はなりませんぞっ! 梅花さんっ!」
散歩の途中、知リ合いの老人に話しかけられた東風は、思わずそう返していた。
「…油断ですか?」
「ええ、油断ですっ! 油断はいけません、いけませんっ!」
「はあ。そらまあ、春風邪ということもありますからなぁ~」
「いや、そんな程度では済みませんぞっ! 死にますっ!」
「そんな大層なっ!」
「いやいや、これくらいの気分でないとっ!」
「死にますか?」
「ええ、死にます」
「…まあ、年寄りは抵抗力がなくなってますからなぁ~!」
「いやいやいや! そういう問題ではなくっ!」
「さよですか? こんなに暖かですが?」
「それでも、ですっ! それでもっ!」
東風は、それでも! を強調した。
その三日後、寒の戻りで遅霜が降りた。東風は、そら見たことか…としたり顔になった。
この場合のそれでもは、正解だったことを意味する。ただ、したり顔をするほどのことではない。^^
完